第5話 異世界でもおばちゃんの勢いはすげえ


 勇者エルドラン。王国歴836年8月生まれ。


 セーナから聞いた基本的な勇者の情報だ。

 さっきの子供たちに聞いたところによると、今は王国歴861年8月だそうだから、勇者は丁度25歳になったばかりということになる。


 俺はより正確な情報を得るために王都にある行政施設を目指した。

 この世界にあるかどうかはわからないが、見たいのは日本で言うところの住民基本台帳だ。

 二十年ほど前の日本なら名前と住所くらいなら市役所等に行けば自由に閲覧することができたのだが、個人情報保護の強化でそれも難しくなった。

 そういった社会の変化は、例えば探偵が人探しをする際にも向かい風になったが、それでも横のつながりや最新機器を駆使してなんとかやってきた。

 日本ではそんな制限はあったが、だがこの異世界ではどうだろう。


 実感として日本ほど情報化社会化はしていないと俺は見ている。

 そして王都のこの多種多様な人の多さだ。王国として成立しているからには税の徴収もあるだろう。ならば王都に住む人たちを管理するための台帳なりそれに代わるものがあるのではないか、と俺は読んだのだ。

 情報がきちんと管理されていれば、俺が文字を読めなくても係りの職員に口に出してもらえばいい。そう思ってのほほんとした垂れ目の優男に尋ねてみたのだが。


「住民の情報? そんなもん、国家機密だよ。一般市民に見せられるわけがないでしょう。こんな小さな区画管理所じゃ扱ってないよ」


 区画管理所というのはつまり区役所みたいなものだろう。王都はいくつかの区画に分かれていて、この辺り一帯を管轄している場所だ。


「ほんのさわり程度でいいんだ。勇者の住所とか名前とか」

「勇者エルドランのこと? なおさら無理だよ!」

「そこをどうにかならないか。どうしても必要なんだが」

「ダメダメ。あったとしても見せられないよ。こっちが騎士団に殺されちゃう。王様の大事な資産を勝手に使っちゃうようなものだからね」


 その一言で俺はその厳重さの理由を悟ることが出来た。

 近代化された日本では個人の情報はあくまで個人のもので、国や自治体は法律を根拠にアクセスするしかない情報だ。これは要するに社会契約というやつで、自分が生まれたコミュニティに所属するために自動的に交わされる契約のため、いくら個人のものといっても完全に隠すことは出来ない。

 国が把握しているという点では同じだが、一方でこの異世界では、王家にとって国民の情報は資産と同じなのだ。個人情報、というより国民それ自体が王家の所有物という考え方が強いのだろう。ゆえに管理体制が厳重で一般市民はアクセスができない。


 さすがの俺でも異世界に来たばかりで王家の資産を盗み見る勇気はない。異世界初日で反逆罪なんかに問われたくないからな。

 しかしそうなると情報に根拠を見出すのが難しくなってくる。住所や生年月日、職業、家族構成、そして名前すらも含めて、それらの信憑性が薄くなってくるからだ。

 その程度の個人情報なら婚約者であるセーナに聞けばいいだけではあるが、身近な人間以外の社会的視点というのは結構大事だ。

 俺が昔結婚詐欺師の調査をしたときは、婚約者に伝えていた名前も偽名だった、なんてこともあった。さすがに勇者がそこまでしているとは考えにくいが、疑いすぎて情報源(ソース)を求めるのはまあ、俺の職業病みたいなもんだ。

 俺が途方に暮れていると、不意に後ろからとんとんと肩を叩かれた。


「あなた、勇者エルドランのことを調べていらっしゃるの?」


 と声をかけてきたのは人間の女性だ。年齢はおよそ五十代ほど。目の端に笑い皺の貯まった気の良いマダムって感じだ。


「急にごめんなさいね。あなたが話しているのが聞こえたものだから」

「ああ。構いません。実際そうなんです。勇者に興味がありまして。ここなら何か教えてもらえるかと思ったんですが」


 期待外れだった、と言わんばかりに俺は大袈裟な溜息を吐いて後ろ頭を掻きながら下を向く。

 こういうときに話しかけてくる人は、何かしら情報を持ってきてくれることも多い。特におばちゃんなんかはこっちがいかにも残念がっていたら、何かと教えたがるのだ。


「ならちょっと近くの喫茶店で一緒にお茶しましょうよ。私たちね、勇者エルドランのファンなのよ」

「ファン?」


 訝しみながら言われるがままに案内された喫茶店は、区画管理所の二軒隣りにあった。テーブルに近付くと、そこには似たような年齢層のマダムが二人席についていた。どうやらおばさんが区画管理所に用事があって、他の二人はそれが終わるのを待っていたようだ。


「聞いて聞いて。この人ね、勇者ちゃんのことを聞きにここに来たんですって」


 俺に声をかけてきたマダムがおばさんウェイブで手招きのようにぱたぱたすると、他の二人も頬に手を当てておばさんムーブをしてくる。


「あらまあ、それはよりによって一番来ちゃいけないところに来ちゃったわねえ」

「勇者ちゃまとは一番相性が悪いものねえ」


 ちゃまって。

 まあそれはいいとして、口々に勇者とこの場所のミスマッチを指摘してくるマダムたちに俺は聞き返す。俺よりも一回り以上は年齢が上であろう三人に、口調も丁寧に直して。その方が彼女たちはいい気分になって話したいだけ話してくれるからだ。


「と言いますと?」

「ここは徴税請負人の詰め所でもあるのは知ってるでしょう? で、勇者ちゃんたらよく喧嘩してるじゃない? だからここじゃ勇者ちゃんの悪口ばっかり言ってるのよ。それもデタラメばーっかり!」


 それはそれで聞いてみたい気はするが。


 徴税請負人。地球で言えば中世ヨーロッパで騎士階級に託された国家事業としての徴税を担う職業のことだ。

 異世界の徴税請負人がどういう扱いなのかはわからないが、徴税官てのはどの時代も嫌われるものだ。化学の発展に貢献したラボアジエが、徴税請負人になったせいでフランス革命で処刑されたなんて歴史もある。


「しかしどうして徴税請負人と勇者の仲が悪いんです? まあ仲が良い人もそんなにはいないでしょうが」

「ほら、勇者ちゃんたら何度か税金を滞納して差し押さえされかけて一度徴税官たちと東門大広場で武力衝突したでしょう。あのときはすごかったわねー。広場が半壊して徴税官たちが『修繕費が! 修繕費が!』って泣いていたもの」

「勇者ちゃまと徴税官が犬猿の仲になったのもそれからよね~」

「そんな経緯があったんですね。きっと勇者のことだ。魔王が討伐され平和になったからといって、王都が不当な税金集めをしないよう自らを盾にして抑制させたのでしょう」

「あらー! あなたよくわかってるじゃない!」


 煽ててみると、おばさんは自分のことのように喜んで俺の肩をバンバン叩いてくる。いてえ。

 それにしても、勇者が納税で国と争ってるとかあんまり聞きたくなかったな。「集めた魔法具は経費だ」とか主張してるんだろうか。徴税に武力で対抗してるあたりロクデナシ感がうなぎ登りだ。


「五年前に魔王が退治されてから、ほんとに徴税官たちってば強気になりだしたのよ。ほら、移民もたくさん入ってきたじゃない? 騎士団もそうだけど、役人たちがやたらと高圧的になったのよね。舐められたら終わりとか思ってるのかしら?」

 やーねえ。と同時に相づちをうつおばさんたち。


 ここで俺は事前にセーナに聞いていた情報の一つを確定させた。

 魔王が討伐されたのは、今から五年前。こうして見知らぬ市民から同じ情報が出てくるということは、セーナの情報は間違ってなかったと見ていいだろう。

 弁解しておくが、別にセーナを疑っているわけじゃない。ただこの世界の歴史を知らず、文字も読めない俺が情報に客観的な正確性を求めるなら、こうして複数の証言を得るしか方法はないというだけだ。


 しかし、五年か。すると勇者がセーナにプロポーズしてから二人が一緒に暮らせるのは、七年経ってからということになる。魔王を倒す以前に、冒険をしながら恋愛感情を育んでいたならもっと長期間ということも考えられる。

 七年。確かに長い。まだ若い勇者が他の女に走るのも無理はない、か?


「そうでしたか。俺は最近地方の町から王都に越してきたばかりで、噂に聞いた魔王退治の勇者が近くに住んでいると知って興味を持ったんです。勇者の顔も見たことがなかったのでせめて噂話だけでも、と来てみたんですが、当てが外れてましたね。情けない限りです」


 物知らずな田舎者を演出し、肩を落として悲壮感を醸し出す。すると狙った通りにおばさんたちは構いたくなったようだ。大仰なまでにあわあわしだして憐憫の目を向けてくる。


「まあまあまあまあ! そうなのー!」

「あんたあれ見せてあげなさいよ! この子可哀想よ!」


 この子て。まあともかく。

 言われておばさんは、まあ全員おばさんだが、おばさんの手元にあった革袋をごそごそ探り出し、何かを引っ張り出した。


「これ私の宝物なのよー。高かったんだから! 王都で人気の絵画師ゴリュオンが傑作、『勇者ちゃまの肖像画』、のミニ版!」


 取り出したのは、A4サイズほどのカンヴァス。油絵だろうか。額にも入れず裸のままだ。

 つうか常に持ち歩いてんのか、この人。

 絵画を持ち歩くなどとあまりに不合理な行動に、俺はつい聞いてしまう。


「持ち歩くなら、写真の方が便利なのではありませんか?」


 言葉が通じるなら俺の言っているその単語も通じるかと思ったのだが、おばさんはそれを初めて聞いたというように小首を傾げて繰り返す。


「しゃしん……? って何かしら?」

「……いえ、なんでもありません」 

「ねっ、ねっ、そんなことはいいから、見てみなさいよ。勇者ちゃまったら可愛いでしょお?」


 押しつけられるようにぐいぐいと俺の視界に入れてくるおばさん。


「ふむ。立派な絵ですが、いいんですか? 俺が触れても?」

「大丈夫よお! 魔術師に頼んで劣化防止の魔法をかけてもらってるから!」


 勇者のバストアップの肖像画だ。色が鮮やかで、細部までよく描き込まれている。高名な画家が描いたものと思える素晴らしい出来だ。

 かなり端正な顔立ちで黒髪の下にあるきりとした目元は若者らしい意志の強さが窺える。俺みたいなすれた野暮ったい目はしていない。うるせえな。

 確かにおばさん受けしそうな顔ではある。額には光り輝くサークレットを身に着け、勇者の風格も否応ナシといったところだ。

 勇者の顔もなんとなくわかった。これはありがたい収穫だ。当たり前だが尾行するにしてもあらかじめ顔がわかっていた方が捗るからな。


「素晴らしい肖像画です。特にこのサークレット。勇者の威光を表現するのにこれ以上のものはない。そしてそれに劣らない眼光の鋭さ。おそらくこのサークレットは業物でしょうが、その輝きに勇者の眼差しが負けていない。つまり勇者はそれだけの英傑であるということをこの絵は表しているのでしょう」


 おばさんが宝物と言っていた手前、無味に返せば反感を買うと思い適当に褒めてみると、おばさんたちが一斉に立ち上がった。


「まああああ! あなたなんて目の付け所がいいの!」 

「こんなに勇者ちゃまに理解を寄せてくれる人は珍しいわ!」

「あなた是非勇者ファンクラブに入りなさいよ! 私たち幹部なのよ!」


 全力で遠慮したい。引いている俺をよそに、おばさんたちは勝手に盛り上がっていた。  


「額に輝くエルヴンサークレットが闇世を照らし!」

「翻すマントは風を斬り!」

「唸る聖剣が雷鳴のごとく邪をねじ伏せる!」

「「「かっこいいわよね~」」」


 最後に調和す(ハモ)るおばさんたちだった。

 盛り上がるマダムたちを放っておいて、俺は勇者のミニ肖像画をじっくりと眺め、ぽつりと呟いた。


「そうか。この世界には写真がないのか」


 これは俺にとって結構不利な条件だった。ここで新たな問題が表出したわけだ。

 いくら探偵と言えど、「勇者が浮気しているのを見ました」なんて証言だけでは証明にはならない。どうしても客観的物証が必要だし、俺としても証言だけなどという不確かな仕事はしたくない。


 写真がないとなると、今度は物的証拠をどうやって確保するかという問題になってくる。あらかじめ下調べしておくという俺の判断は間違っていなかった。後でこういう問題が出て来てもすぐには用意できないことが多いし、穴があったりするからな。

 そこで俺は一つ思いついた。おばさんの絵画のように、この世界では魔法が日常的に使われているようだ。もしもしたら、そういう魔法もあるんじゃないだろうか?

 そうと決まればのんびりおばさんたちに付き合ってもいられない。俺は適当な理由で席を立ち、近くで薬屋をやっているという魔術師(ウォーロツク)を訊ねることにした。






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