第2話 エルフの姫の悩み事


 何がかなしゅーて異世界まで来て浮気調査なんぞせにゃならんのだ。

 とはいえ調査対象者が勇者というのはおもしろい。勇者というからには、この異世界で最も名の知られた超大物とみていいだろう。


 元の世界では俺が調査したことのある一番の大物といえば、とある有名人の息子の素行調査というのがあった。

 あんときは結局息子が大麻を吸っているのが発覚してニュースにまで発展してしまった。それからしばらくはその息子の仲間らしい怪しい男が、依頼人、有名人である父親宅をうろついていたことがあった。


 その息子の逮捕を端緒に芋づるで仲間が捕まったことへの逆恨みだろう。

 俺自身は顔を見られることもなかったから害はなかったが、もし俺の存在がバレていたらもっと早く死んでいたかもしれないし、結果的に依頼人に被害が及ぶのは俺の本意でもない。


 大物相手というのはそれだけリスクがある。仕事だからといつも通りに万全を期しても足りないし、ましてやミーハー精神で気軽に乗ってもいけない。

 やるかどうかはともかくとして、ひとまず話くらいは聞いてみよう。どうせ異世界に来たばかりで生活しようにもとっかかりがなさすぎるからな。


「勇者の浮気に悩んでいる、ということは、セーナさん、あなたは勇者の恋人、婚約者か何かだと考えていいのだろうか?」


 セーナは唇を薄く噛みながら、小さく頷いた。


「……はい。勇者様とともに魔王を討伐した仲間の一人でした。魔王を討ち取ったあの日、勇者様はわたくしにプロポーズをしてくださったのです」


 はぁ~、やってらんね。異世界ヒロインがいきなり彼氏持ちかよ。


「いまなにかおっしゃいました?」

「いや何も言ってないが? しかしセーナさん、見たところあなたは俺みたいな人間とは少し異なるように見える。要するに何が言いたいかというと、あなたはエルフというやつで、勇者は俺みたいな人間なんじゃないか?」


 あぶねえ。心の声と「ケッ」が口の端から漏れていた。


「コースケ様は次元の稀人ですのによくご存じですのね。おっしゃいます通り、わたくしはエルフであり、その王の娘。勇者様はこの世界に最も繁栄を極めている人間の由緒正しき一族の末裔ですわ」


 異なる種族の権威ある血脈同士の婚約か。異世界らしいっちゃらしいが。

 日本でも自由婚こそ一般的だが、上流階級ではそういった血統の考えが根深く残っている。

 だからこそ、俺のような探偵に相手方の素行調査や親類筋の犯罪歴調査なんかの依頼が舞い込んでくるんだからな。

ここに至っては血筋どころか種族まで違うんだ。そういった問題はより複雑になっているんじゃないだろうか。


「ですが、勇者様とはいえ人間、わたくしのようなエルフとは深い溝がございました」


 やはり。


「世界は平和になり人間とエルフ、そして他の種族たちも一つの街で穏やかに暮らすことができるようになりました。しかし、同じ街で暮らすことと、結婚し家を一つにするというのは歴史上、あまりあることではありません。ましてや、王族と英雄の婚姻など……」

「だが話から察するに、婚約自体はできたんだろう?」


 セーナは頷いた。


「魔王討伐後のしばらくは大変忙しく、勇者様が残党狩りをしながら人間の王都とエルフの森の都、この二つを行き来しながら互いの家族に許しをいただくまで通い詰めました。ときにわたくしの父親から罵声を浴び、殴られることもありながらも、勇者様は人間の叡智を極めた王都で人気の甘い御菓子(でざーと)を手土産にしてようやく許しを得ることができたのです」


 エルフ父ちゃん安いなおい。


「ただし、条件がありました。エルフは契約をなにより大事にする種族です。わたくしがエルフの慣習に則り成人し婚約の儀をするまでは身体を重ねてはならぬと。それがしきたりなのです」


 貞淑な種族なのだろう。日本でもたまにそういうやつはいるしな。


「勇者様はお父様の条件に合意し、より一層、魔王の残滓を狩る仕事に精を出しておりました。もちろんわたくしも同行し、結婚という目標に向けて情熱を絶やすことなく二人で清い関係を続けていたのです」


 しかし異世界に来てしょっぱな人の惚気を聞くとか結構きついなこれ。

 視線が泳ぎ始めた俺に気づくことなく話を続けていたセーナだが、次第に表情が暗く、俯くようになった。


「ようやく、近頃になって魔王の残党も減って落ち着きを取り戻してきた矢先、勇者様が見知らぬ女と館に入っていくのを、わたくしは目撃してしまったのです」

「だが、それだけでは浮気とは限らないんじゃないだろうか」


 セーナは小さく首を振る。


「数日前の魔王討伐の日を記念する式典でも、勇者様のお顔はわたくしといても晴れず、終わると同時にわたくしとの食事もそこそこに席を立ち、一人で立ち去ってしまったのです。わたくしは心配になってこっそり後をつけました。そうしたら、先日見た同じ人間の女性と勇者様が二人で建物の中へ消えていくのを――」

「それで悲しくなって、ここに一人で来ていたと」


 話していて思い出したのだろう。セーナはまた目に涙を浮かべてこくんと頷いた。


「母からは感情に隙が生じれば禁術が発動するからと注意を受けておりましたのに……どうしても一人で抱えるには重すぎて」


 そりゃそうだろう。どんな世界でも自分の伴侶となるべき人に裏切られれば心はズタズタになる。

セーナはどうやら魔法の適性が高いようだ。エルフの姫であるならまあそういうものなのだろう。勇者が前衛でセーナが後衛の魔法使いといったところか。スタンダードな構築だ。


 そこで俺はピンときた。

 エルフは長寿だというじゃないか。もしや、セーナが成人するまであと百年かかるとか、そういうことなら勇者が待ちきれなくなったという可能性もある。


「一応聞いておきたいんだが、セーナさんが成人するまであと何年かかるんだろうか? ああ、もし無礼にあたるならもちろん無理に答えなくてもいいが」


 セーナは躊躇いがちに、二本の細い指を立てた。二十年? はたまた二百年か。


「あと二年、待ってくださっていれば、私は勇者様にこの身体を捧げることを決めておりましたのに……」


 二年か。思った以上に短かった。

 これだけの美女を婚約者にしておきながら、二年程度も待てないのは勇者に堪え性がなかったというべきか。

 それとも、目の前のごちそうを前にして触れることすら二年もできないのは男として地獄だと同情するべきか。


 俺が無言で思案していると、セーナは不安になったのか、悩ましげに「んぅ……」と声を漏らして自分を抱くように両腕を自分の身体に回す。

 その腕に、まぁあれだ。おっぱいが乗っている。零れんばかりだ。

 自慢じゃないが俺はうぶだ。女性と話は普通にできるが、手が触れあったりそれこそ性的な接触なんてあろうものならテンパってしどろもどろになる。

 天パがテンパってる草、とか古代兵器を持ち出すやつは好きじゃないから黙っておけ。


「どうかなさいましたか?」

「うぇっ? うぇあなななんでもないけど?」

「……?」


 まあこうなる俺だが、仕事中は集中しているから女の裸を見てもなんとも思わないのが自分でも不思議だ。異世界にくる原因になった依頼人の婚約者も現場でほぼ裸だったしな。

 必然、平静を保つには俺は仕事モードに入らなくてはならなくなったわけだ。


「事情はわかった。俺としてはセーナさんの力になりたいところだが、なにぶん俺はこの世界の事情に疎い。滞在する場所もないしな。そこらへん、セーナさんの力を借りることができるなら、勇者の浮気の真偽を確かめる仕事を請け負おう」


 本来、探偵への報酬は内容に対しての拘束時間で決められる。浮気調査であれば何日から何日の間のこの時間に調べてくれ、みたいな感じだ。延長があればその分料金は加算されていく。

 今回ばかりは俺の生活基盤を整えるという意味も込めてこういう条件を提示した。


「お任せください。コースケ様のご不便がないようにわたくしが取り計らいますわ。わたくしが勝手に呼び出してしまったのですから。それからもちろん、真実を突き止めることができましたら、成功報酬をお支払いいたします」


 悪くない。探偵らしさが戻ってきて、俺は顔がほころんだ。

 俺はこの瞬間が結構好きなんだ。探偵としての俺と、依頼人の目的が定まり意志が合致して同じ方向に向くこの瞬間が。探偵業は俺だけでは完結できない仕事だ。依頼人の協力がなければ成立しえない。

 だからこそ、俺は依頼人を自分の対等の存在だと認め、彼らのために全力を尽くす。


「改めて自己紹介しよう。俺は探偵、百々目木耕介だ」

「たん、てい?」


 探偵という言葉自体あまりこの異世界では馴染みがないようだ。セーナはピンときていない目で俺を見返してくる。


 無理もないかもしれない。日本でも興信所や探偵社が誕生したのは十九世紀後半と、実は結構新しい。

 それ以前は探偵というよりも、狙った相手の情報を潜んで掴むスパイのような存在で、大衆社会では秘匿されていた存在だった。


 公に探偵が誕生したのも、社会が発展して個人や法人の情報が一人では掴みきれないほど複雑化していったためで、必然と必要になってきた職でもある。

 今では呼び方も調査会社や探偵社、興信所と様々だが、探偵業法のもとに営業をしているのは共通している。


「俺の世界で真実を突き止めることを生業とした職業のことをそう呼ぶ。探偵の報酬はあなたが思っている以上に高いぞ?」


 不敵に笑ってやると、セーナは、望むところ、と言わんばかりに蠱惑的な笑みを返してきた。


「その価値を納得させられるものであるならば、完遂の暁にはどんなものでもコースケ様にお渡しいたしますわ」

「ようし、決まりだ」

「まずは活動の拠点を決めなければなりませんわね」

「この辺りには建物もないようだが、勇者のいる街は遠いのか? 美しい湖を見れて感無量ではあるが、あまり移動に体力を割きたくないな」

「ここはウルコス湖畔。わたくしが一人で過ごすときによく来る秘密の場所ですわ。ご安心ください。街までは歩いても一時間もかかりませんので」


 時間単位は元の世界と同じか。わかりやすい。


「助かる。実を言うと腹ぺこなんだ。旨いものでも食いながら作戦会議といこう」

 セーナはクスリと笑い誘うように手を伸ばして言った。

「さあ、参りましょう。王都クルドアへ」





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