8-6 あなたのせいで我が侭になったから
「クロトリさんたち、近くにいる?」
彼らの特徴を思い浮かべ、周囲へ呼びかける。
とっさにつけたあだ名だ。この名前に反応して姿を見せてくれる可能性はゼロに近いが――それでもいい。あだ名よりも、慕の声に反応してくれるのを期待しての呼びかけなのだから。
慕の喉から発された声が静寂に満ちた空気を震わせ、浸透していく。
なかなか変化が起きず、近くにはいないのかと判断しそうになったところで――ふと。慕の耳に何かが羽ばたく音が届いた。
「人間」
「人間か?」
「人間だ」
「フィデリオのお気に入りの人間だ」
羽ばたく音の直後、口々に聞こえてきた声。
まるで慕がはじめてフィアーワンダーランドに迷い込んできたあのときのようで、慕ははっと顔をあげた。
「人間、シタウ、なんでここにいる?」
「フォリルシャーポ、言ってた。シタウは帰ったと」
「なのに、どうしてここにいる? シタウ、なんでここにいる?」
口々に聞こえてくる声は、慕が今立っている場所から数歩歩いた先にある木から聞こえてきている。ゆっくりと視線を上にあげれば、その木の枝に黒い三つ足の鳥が数匹、並んで止まっているのが見えた。
きろきろと首を動かし、鳥たちは真っ直ぐ慕を見下ろしてきている。
「シタウ、どうしてだ?」
問いかけ続けてくる彼らの視線は、純粋な疑問を込めたものだ。はじめて出会ったときのような、獲物に向けるような鋭い視線ではない。
ただただ、なぜここにいないはずの者がいるのかを問うてくる純粋な疑問の視線。
彼らから向けられる視線を真っ直ぐ受けながら歩み寄り、慕は柔らかく笑みを浮かべた。
「久しぶり、クロトリさんたち。帰ってきちゃった」
「帰ってきた?」
「シタウ、また迷夢蝶に会ったのか?」
ぎゃあぎゃあ、ぎゃあぎゃあ。
慕がクロトリと呼ぶ鳥たちが口々に声をあげ、森の空気を震わせる。
もう何度も耳にしていた、けれど久々に聞いた声でもある無数の鳴き声。それを耳にしていると、ああ、本当にフィアーワンダーランドに戻ってこれたのだなと実感する。
同時に、故郷だったはずの世界は慕にとってすっかり生きにくい場所になってしまったのだな――とも感じ、苦笑いが浮かんでしまった。
自分が生まれ育ち、両親や友人がいる世界のはずなのに――過ごし慣れていたはずの日常が非日常になり、戸惑っていたはずの非日常が日常に反転してしまった。
改めて考えると両親に申し訳ない思いが湧いてくる。だが、どうしても慕はこちらの世界にいたかった。
元の世界にいる両親や友人への申し訳なさと、クロトリたちが声をあげるたびに感じる懐かしさ。二つの感情を噛み締めながら、慕は口を開いた。
「うん。迷夢蝶と運良くまた会えたから、どうしてもこっちに帰ってきたいって思って……一か八か、また迷夢蝶にさらわれてみた」
慕が発した言葉に、クロトリたちは目を丸くした。
人間ほどはっきりと表情はわからないが、どこかきょとんとしたような顔をしているように感じられる。それが幼い子供の反応のように見えて、慕は思わずくすくすと笑った。
彼らを怖く思う気持ちはまだ心の奥底に残っているが――久しぶりに会えたからだろうか。以前よりも『怖い』という気持ちが薄まっていく気がする。
「シタウ、お前、見直した」
「シタウ、度胸ある」
ぎゃあぎゃあ、ぎゃあぎゃあ。
見直したと言いたげな声が慕の鼓膜を震わせて、思わず表情を緩める。
「ありがとう。きっと、私がこうなれたのもフィデリオさんのおかげだと思うの」
あの人にもう一度会いたいから。
あの人と離れるのがどうしても耐えられないから。
そんな彼への強い想いが慕に今回の行動を起こさせたのだから――きっと、フィデリオが恋心を教えてくれたおかげだ。
ぎゃあぎゃあ、きゃらきゃら。慕が発した言葉に反応し、騒ぐ声の中に笑い声が混じった。
彼らが発する笑い声につられて慕もわずかに笑ったあと、小さく息を吸い込んだ。
ここからが本題だ。
「それで、クロトリさんたち。少しお願いしたいことがあるんだけど……いい?」
「なんだ? なんだ、シタウ」
「ただで頼みを聞くのはごめんだけれど、今は特別。頼みを聞いてもいい」
「どうした、シタウ」
内心、ほっとしてから、慕は本来の用事を口にする。
「ここはフィデリオさんが住んでる森の中だと思うんだけど……ここがどの辺りか教えてほしいの。下手に動くと迷っちゃいそうだし」
大体の位置でいい。大体の位置がわかれば、どの方角に向かって歩けばいいのか予想ができる。
どうか彼らが素直に教えてくれますように――心の中で少しだけ祈りながら尋ねる。
すると、クロトリたちは顔を見合わせたのち、実に楽しげな声色で慕へ返事をした。
「シタウ、シタウ、フォリルシャーポのところに行きたいのか?」
「え? うん。そうだけど……」
だって、そのために彼らへ現在地を尋ねたのだから。
一つ頷いて肯定すると、クロトリたちはきゃらきゃら笑って言葉を続けた。
「なら、簡単! 簡単!」
「シタウ、空から見ればいい!」
「空から見る、フォリルシャーポのところまで飛んでいく、簡単!」
「……へ?」
彼らのくちばしから紡がれた言葉に、慕は思わず目を丸くした。
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