最終話 あなたのせいで我が侭になったから

8-1 あなたのせいで我が侭になったから

 ただいま速報が入りました。

 一年前の五月頃、下校途中で行方不明になった湖心慕さんが矢羽木海浜公園で発見されました。


 湖心さんは下校途中の道で路地裏に入っていく様子が店先の防犯カメラに映っていましたが、それきり行方がわからなくなっていました。

 当時は学校の制服を着用していましたが、発見された際には制服ではなくワンピース姿だったため、警察は行方不明になっていた間、湖心さんは何者かと一緒にいた可能性が高いとみています。


 発見当時、湖心さんは呆然とした様子で矢羽木海浜公園内にある撮影スポットで座り込んでいたそうですが、健康状態に問題はないようです。

 一年もの間、何者かに誘拐、監禁されていた可能性もあるとして、警察は捜査を――……。



  ――………………。

 ――…………。

 ――……。



「慕ー! 一緒に帰ろー!」

「うん、いいよ」


 大勢の生徒で賑わう放課後。

 教室の入り口でこちらへ呼びかけてくる元クラスメイトの顔を見て、慕はゆるりとした動きで頷いた。


 フィアーワンダーランドを離れ、故郷に戻ってきてからの慕の日常は、目まぐるしく過ぎていった。

 戻ってきた日のことは、今でもはっきり思い出せる。迷夢蝶が放つ光が消えたと思ったら、幼い頃に家族で遊びに来たことがある海浜公園の中で一人ぽつんと座り込んでいた。呆然とした顔をしていたところを海浜公園に来ていた人間に声をかけられたあとは、あれよあれよという間に話が進み、大勢の人に囲まれることになった。


 慕が故郷を離れた日から、一年が経過していた現実を知ったときは、ひどく驚いた。フィアーワンダーランドには確かに長く滞在していたが、まさかそんなにも長い時間が経っていたとは思っていなかったからだ。

 戻ってきてしばらくの間は、病院で少しの期間入院したり、警察や報道関係者に何度も声をかけられた。だが、何があったのかは詳しく話さなかった。


 だって、違う世界にいました、なんて。

 そんなこと、素直に話しても誰も信じないとわかりきっていたから。


 机に並んでいた教科書やノート、筆記用具などを鞄の中に放り込んで立ち上がる。

 一年前はクラスメイトだった友人たちは、今では先輩になっている。過ごし慣れたはずの教室には知らない生徒たちで溢れ、あまり馴染みのない場所へ移り変わっていた。

 一年ぶりに帰ってきた故郷はやはり落ち着く空気に満ちていたけれど、慕だけが取り残されているようで、強い違和感を覚えてしまう。


「お待たせ、帰ろうか」

「全然待ってないよ、気にしないで」


 首を左右に振り、慕は友人と並んで学校からの帰り道を歩いていく。

 もう何度も歩いた道、もう何度も見慣れた町並み。だが、たった一年離れただけで、全て慕にとって見慣れないものに変わってしまった。


 本当なら慕も隣にいる友人と一緒に二年生に進級できていたはずなのに、離れていた時間がそれを許さない。

 どれもこれも仕方がないことなのに。


 それが、今では息苦しくて仕方がない。


「あ、そういえばさ。慕、なんか男の子と二人でいたんだって? こっちですっごい話題になってたよ」

「え? ……ああ、そういえばそうだっけ……。うん、そうだけど」


 ほどよく相槌を打ちながら友人の話に耳を傾けていたが、こちらに話題をふられ、慌てて頷いた。

 すぐ隣にいる友人が目を輝かせる。


「愛海が知らない子と慕が一緒にいるのを見たっていっててさー。で、で、どうだったの? その子と何かあったりした感じ?」

「何か、いっていっても……」


 わずかに視線をそらし、慕は苦笑いを浮かべた。


「すっごく格好よかった子らしいけど、告白とかされちゃった?」

「……告白は、されたけど。でも、断っちゃった」

「えええー!? なんで? 格好いい子なんだし付き合えばよかったのに!」


 目を丸くする友人へ、慕は再び苦笑いを見せる。

 慕へ告白してくれた男子生徒が現れたのは、今日の昼休みのことだ。


 同じクラスになった男子生徒で、昼休みに人気のない校舎裏へ呼び出されて告白された。おそらく、一緒に校舎裏へ向かう途中を目撃されたのだろう。

 勇気を振り絞って、ありったけの想いを告げてくれた。


 以前の慕なら同じ気持ちを返せるかわからずに断っていたが、今の慕は相手が向けてくれる想いに答えられない理由がある。

 苦笑いを向けるだけの慕に対し、友人は少しだけ考えてから再び口を開いた。


「……もしかして、慕が行方不明になってる間、助けてくれたっていう人がいるから?」

「……うん」


 慕の脳裏に、フィデリオの姿が浮かぶ。

 この世界のどこを探しても、絶対に会えない人。慕に焼けつくように強い恋心を教えて、それを消えない傷に変えたひどい人。

 故郷に帰ってきてからも、フィデリオはずっと慕の心を縛りつけている。


「私は、あの人が好きだから。他の人に想ってもらえるのは嬉しいけど、応えられないなって思っちゃうから」


 本当に好きな相手がいるのに、他の誰かの手を取るのはしたくない。

 中にはそれを選ぶ人もいるのかもしれないが、好きではないのに交際するだなんて、想いを告げてくれた相手に失礼だとどうしても思ってしまう。

 だが、隣にいる友人はそうではないらしく、困ったような顔をしながら人差し指で頬をかいた。


「でも、また会えるかわからないんでしょ? もう会えるかわからない人を想い続けるより、もう新しい恋に踏み切っちゃったほうがいいと思うんだけどなー。それに、もしかしたら危ない人かもしれないし」


 つきり、とわずかに慕の胸が痛む。

 それも一つの意見かもしれないけれど、フィデリオを忘れて次の恋に進む――なんて。したくないし、できそうにない。


 言葉は何も口にせず、少しだけ寂しそうに笑い、慕は足を動かし続ける。

 言いようのない息苦しさと居心地の悪さが、ずっと慕の周囲を取り囲んでいた。

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