7-4 淡く育った想いを差し出して

 闇に目が慣れ始めていたタイミングで光が差し込み、ほんのわずかに目がくらむ。

 しぱしぱと数回瞬きを繰り返し、光に目を慣らしてから自身の背後にいた存在を両目に映した。


 慕の背後にいたのは、とても大きな生き物だ。全身を覆う鱗は、ぱっと見た印象では黒に見える。しかし、光が当たっている部分は濃い紫色に光って見えるため、おそらく黒ではなく黒に近い紫なのだろう。

 地面についている四つ足には、指先に鋭い爪が生えている。四足部分は鱗ではなく、鱗と同じ色をした被毛に包まれている。背から生えている翼も被毛に包まれており、先端には手のような部分と鋭い爪らしきものが生えていた。


 腰の辺りからは鱗に覆われた長い尻尾が伸びている。全体的なフォルムを見れば竜のようだが、獣のようなパーツも多々見られ、竜と言い切るには少々難しい面がある。

 ちぐはぐで、見る者によってはおぞましさも感じそうな姿。けれど、慕の目にはとても美しい生き物に映った。


 これが、彼の――フィデリオの、本来の姿。


「……綺麗……」


 はつり。慕の唇から素直な感想がこぼれ落ちる。

 慕がまさかこのような反応をするとは思っていなかったのか、フィデリオは人の姿をとっているときと同じ薄い青紫色の瞳を見開いた。

 瞬間、慕の目の前で竜のような生き物の姿が揺らぎ、見慣れたフィデリオの姿へと変化する。


「……シタウ、あんた正気?」

「えっ、いきなりひどい」


 人としての姿になったフィデリオが、深い溜息をつきながら呟いた。

 何か変なことを口走ってしまっただろうかと考え込む慕を見つめ、再度深い溜息をつく。


「普通、あんな姿を見たら怖がるか不気味がるかするでしょう? なのに、綺麗って」

「ええ……でも、本当に綺麗だと感じたんですよ。それに、私、言ったじゃないですか。フィデリオさんならどんな姿でも怖くない、って」


 そう返事をし、慕はふにゃりと緩んだ笑みを浮かべた。

 先ほど口にした言葉には、何一つ嘘はない。フィデリオなら本当にどんな姿をしていても怖くないし、現に先ほどまでの彼の姿を見ても全く怖くなかった。

 フィデリオがぐっと言葉に詰まる。一瞬とても苦いものを口にしたように表情を歪ませ、けれどすぐに息を吐き出し、目を細めた。


「……シタウ。アタシ、あんたのことは臆病な子って思ってたんだけど……結構変わってるところもあるのね」

「えええ……そんなに変わってるかなぁ……。フィデリオさんだから怖くないと思ったし、綺麗だと思ったのも本当なんだけど……」


 なんだか納得がいかない。全部本当のことをそのまま口に出しているだけなのに。

 不満そうな色を声に滲ませながら、慕はあまり納得できていなさそうな顔をして首を傾げる。

 そんな慕を観察するように見つめていたフィデリオだったが、ふっとわずかに表情を緩ませた。


「あの鳥たちごときに怯えてた子と同じとは思えないわね。アタシがその気になれば、あんたの感情なんてあっという間に食べれるのよ? わかってる?」


 フィデリオの指先が慕の胸を――正確には、その下に隠されている心を指す。

 フィアーワンダーランドに来た直後の慕なら、ひどく怯えてしまっていたかもしれない。怖がり、泣きわめいていたかもしれない。


 だが、今ここに立っているのは、フィアーワンダーランドでの時間をフィデリオの傍で過ごしてきた湖心慕だ。


「……前の私なら怖がってたかもしれませんけど……今の私は、ここでの時間を過ごした私ですから」


 フィデリオへ答えながら、これまで過ごした時間を改めて思い返してみる。

 はじめて彼と出会った日から始まり、チェシーレとの出会い、マルティエの来襲、エリュティアとの会話――本当にたくさんの時間を過ごし、さまざまな人たちと出会った。

 そのほとんどが心喰族だったというのは正直驚いたが、それでも慕にとっては大事な記憶だ。

 それに、マルティエと言葉を交わすうちに導き出した想いもある。


「……フィデリオさんが恋心を好んで食べるっていうのは、マルティエさんから聞いてます」


 ぴくり、と。フィデリオの指先がかすかに動いた。

 慕の視界の端で、彼が引き連れてきた光る蝶がひらひら踊っている。


「私、それを聞いて思ったんです。私の恋心をあげるなら、フィデリオさんがいいなって」


 慕の肩に、ひらひら舞っていた迷夢蝶のうちの一匹がとまる。

 ばくばくと心臓がうるさいほどに音をたてている。鼓動とともに広がってくる指先までしびれそうなほどの緊張感は、何度か味わったことのあるものだ。


「好きです、フィデリオさん」


 ひゅっ、と。

 息を呑むような音を奏でたのは、どちらの喉だろう。


「心喰族だったとしても、私はあなたのことが好きです。この恋心が誰かの糧になるのなら、私はあなたの糧になりたい」


 きっと、私はあの日。はじめてフィデリオと出会った日。人ならざる彼に魅入られていた。


 本格的にフィデリオを好きになるよう、仕組まれていたのだとしても――きっと、あのときに彼を好きになるきっかけはすでにあった。

 仕組まれていても、仕組まれていなくても。慕がフィデリオを好きになる未来は、きっと変わらなかった。


「だから、フィデリオさん。私の恋心を、あなたにあげます。……いつかは対価を支払う約束だったでしょう?」


 そういって、慕は柔らかく笑う。

 苦しそうに表情を歪めたフィデリオがこちらへ手を伸ばしてくるのを見つめたのち、慕はゆっくりと目を伏せた。

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