第7話 淡く育った想いを差し出して

7-1 淡く育った想いを差し出して

 ――今、自身の魔力に似た気配と揺らぎを感じた気がする。


「……?」


 動かしていた足を止め、フィデリオはゆるりとした動きで周囲を見渡した。

 顔見知りへ依頼の品を届け、仕事の話を終わらせて、今。街のどこかで待ってくれているであろう少女の姿を探して散策していた最中のことだった。


「シタウ……?」


 小さな声で探している少女の名前を呼ぶ。が、もちろん返事は聞こえない。


『どうしたんですか? フィデリオさん』


 そういって、不思議そうな目をこちらに向けてくる少女の声が聞こえない。

 今まで何度もあったことなのに、今日はなんだかそれが不安で仕方がなかった。


「……どこを見て回ってるのかしら、あの子」


 じわり、じわり。布に落としたインクのように、少しずつ不安が滲み出てくる。

 そう広くない街のはずなのに、慕の姿はなかなか見つからない。街の住民に数回尋ねた結果、目撃情報は得られたから街のどこかにいるはずだ。


 けれど。そんなに広くないはずの街で、目撃情報もあるのにすぐに見つけられないなんてこと、あるだろうか。

 それに、先ほど確かに感じた魔力の気配と揺らぎは、一体何だろうか。


 浮かぶ疑問が不安へと変わり、フィデリオの心をじわじわと締めつける。

 慕には以前、自身の魔力を込めたブレスレットを渡している。あれにまだ魔力が残っていたとしたら、魔力の気配を感じ取ったのは慕がそれを使ったからだと説明ができる。

 どのような魔法を使ったのかまではわからないが、慎重な性格をした慕が面白半分で魔法を使うとは思えない。彼女のことだ、必要なとき以外は魔法を使おうとしないだろう。


 つまり。

 もし、慕が魔法を使って、フィデリオがその気配を感じ取ったのなら。

 魔法を使わないといけないと判断させる何かが、彼女の身に起きたということだ。


 じわり、じわり。一度感じた不安は消えず、フィデリオの心を締め上げていく。

 一刻も早く慕の姿を見つけ出して安心したい――不安が焦りに変わり始めた頃、フィデリオの背中に聞き覚えのある声が投げかけられた。


「あら、フィデリオ。こんなところに来てるなんて、珍しいじゃない」

「……エリュティア」


 反射的に振り返り、数歩離れた先に立っている少女の名前を口に出す。

 紅茶を愛し、自身の手で理想の一杯を作り出すことを選んだ紅茶園の主。紅茶の女王――エリュティア・ローゼレーヌ。マルティエが慕を強引に連れ出した際にも顔を合わせた彼女が、そこに立っていた。


 エリュティアは少々目を丸くしてフィデリオを見つめていたが、表情が驚愕で彩られていたのはほんの一瞬だった。すぐにエリュティアの表情は揺らぎ、一瞬の困惑を見せてから、いつものしかめっ面へと変化する。

 足元を彩る赤いヒールを鳴らし、エリュティアがフィデリオの傍へ近寄ってくる。


「ちょっと、どうしたの。ずいぶんひどい顔じゃない」

「……ねえ、エリュティア。あんた、シタウを見なかった? あの子、アタシの仕事が終わるまで待ってるって言ってたのに、なかなか見つからないのよ」


 エリュティアの問いには答えず、慕の行方を探すための言葉がフィデリオの口から紡がれる。

 はっと目を見開き、フィデリオは自身の口元へ手を当てた。

 言葉を発したのは自分自身だ。しかし、挨拶もせず、相手の問いかけにも答えず、ほかの問いかけをしたことに少々驚いた。


 いつものフィデリオなら、まずは挨拶をして、相手の問いかけに答えてから自身が聞きたいことを尋ねる。それができないほど、今の自分は慌てているのかもしれない。

 エリュティアも、らしくないフィデリオの様子に驚きを隠せなかったらしい。深紅の瞳がまん丸く見開かれ、ぽかんとした顔をしていた。


「……いいえ。あの子の姿は見てないわ。どこかの店に入って待ってるんじゃないの? ここ、飲食店も結構あるでしょう?」

「アタシもそう思って、飲食店をチェックしてみたわ。あの子が好きそうなお店も。でも、どこにもいないのよ」


 エリュティアへ答えながら、フィデリオは表情により強い焦りの色を滲ませる。

 慕を保護し、ともに暮らす中で彼女の好みは大体把握できるようになった。故に、彼女が行きそうな場所へ足を運んだが、どこにもあの小さな背中は見当たらない。

 まだ決まった場所にしか足を運んだことがない彼女が、フィデリオに無断で街の外に出ていくとは考えがたい。


 考えれば考えるほど、慕の姿が見えないことに対する不安が大きくなっていく。

 話を聞いていたエリュティアの表情も、少しずつより険しいものへ変化していく。いつも以上に眉間へシワを寄せ、腕組みをした。組んだ腕に指先をのせて、とんとんと短いリズムで動かしている。


「……それに、アタシの魔力と似た気配と揺らぎを感じたのも気になるの。あの子にはアタシの魔力を込めたブレスレットを与えてるから。あの子があのブレスレットを使ったのなら、シタウの身に何か起きたんじゃないかって思って」

「……なるほど。だから、らしくない振る舞いをする程度には慌ててるわけね」


 エリュティアは納得したように呟いたのち、わずかに思考を巡らせてから口を開く。


「それなら、魔力の気配と揺らぎを感じた場所に向かってみなさい。この中で姿を見かけないのなら、シタウが何かに巻き込まれた可能性は高いと思うわ」

「……そうね。なら、早速」

「待ちなさい」


 すぐに向かおうとしたフィデリオを、エリュティアの声が呼び止める。

 動きかけた足を止め、再度彼女のほうを見る。こちらを正面から見据えるエリュティアの表情は、どこか険しいものに見えた。


「フィデリオ。あんたにとって、シタウは何?」


 突然の問いかけは、フィデリオの思考を一瞬止めるには十分だった。

 すぐに答えなかったフィデリオへ、エリュティアはさらに言葉を重ねる。


「あんたがらしくない振る舞いをする程度には、あの子のことを気にかけているのはわかった。でも、フィデリオ。あんたにとって、あの子はどんな存在なの?」

「どんな、って……」


 慕は――湖心慕という少女は、保護して面倒を見ている少女だ。

 迷夢蝶の力によって迷い込んできた、フィアーワンダーランドのことはほとんど知らない人間の少女。傍に置いて、一緒の空間で暮らしている同居人。

 ……それと同時に、ひどい味がするけれど、自身がもっとも好んでいるものを持っている獲物だ。


 でも、本当に――それだけ?


 答えようとした言葉が喉で詰まり、唇からなかなか紡がれない。

 黙り込んでしまったフィデリオの姿をしばし見つめたのち、エリュティアは再び口を開いた。


「……あの子を探しに行くのはいいけれど、自分の中で答えを出しておきなさいな。じゃないと、『あのとき』と同じ傷を負うことになるわよ」


 静かな声で言い放ち、エリュティアはフィデリオに背を向け、離れていく。

 彼女の背中が完全に見えなくなるまでその場に立ち尽くしていたが、フィデリオもやがて止めていた足を再び動かして、走り出した。

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