6-5 抱えた想いを手放さない
マルティエに手を引かれる形で、彼とともに街から離れた場所へと向かっていく。
小さく頷いたのはいいけれど、マルティエは一言も話さずに足を動かしているため、どうにも不安になってしまう。
木々が生い茂る道を進み、森の奥へ、より深い場所へ。どんどん歩いていきながら、慕はおそるおそる口を開いた。
「あの……マルティエさん、一体どこに向かってるんですか……?」
街にはフィデリオがいる。彼には街を離れることを一言も伝えずに、こうしてマルティエと行動をともにしている。
きっと、街のどこにも慕がいないとなると、フィデリオはかなり心配するはずだ――できるなら、フィデリオには余計な心配をさせたくない。
できるなら街に戻りたい。その思いを込めて問いかけるも、マルティエはにやりと笑うだけだった。
「もう少しだ。お前にとっても悪いものではないから、安心するといい」
そんなこと、いわれても。すでに不安でいっぱいになってるのに。
思わず眉間にシワを寄せ、慕は唇を横一文字に結ぶ。できるならば手を振り払い、来た道を戻りたいが、がっつり手を握られているので難しい。
本当に、この人は一体なんの用事なんだろう。
心の中に浮かんだ疑問は、口に出すことなく溶けて消えていく。
少ない会話を交わしながら、慕とマルティエはどんどん森の奥へ進んでいく。
街からすっかり遠く離れ、周囲の景色も太陽の光がほとんど届かないほどに木々が生い茂るものになった頃。慕をずっと引っ張っていたマルティエの足がようやく止まった。
「シタウ。あれだ」
マルティエの手が離れ、前方を指差す。
おそるおそる彼の後ろから顔を出して指し示された方角へ視線を向け――慕は、大きく目を見開いた。
木の葉と枝に太陽の光が遮られ、薄暗い中。さらさら流れる川の上に、うっすらと青い光を放つ生き物がいる。
ひらひらと宙を舞い踊りながら、淡い光を放つ鱗粉をこぼしながら群れになって飛んでいる。
光を放ちながら飛んでいるその生き物を、慕は一度目にしたことがある。
迷夢蝶。
慕がフィアーワンダーランドに迷い込むことになった――否、慕をフィアーワンダーランドにつれてきた存在だ。
「……嘘……」
唇から思わず小さな声がこぼれる。
迷夢蝶は次にいつ現れるかわからないと聞いていた。だからこそ、迷夢蝶が次に現れるまでをこの世界にいれるタイムリミットにしていた。
いつ現れるかどうかわからないのだから、今、この瞬間現れてもおかしくはない。
でも――よりにもよって、今、だなんて。
「嘘みたいだろう? 俺も見つけたときは驚いた」
呆然と迷夢蝶を見つめる慕のすぐ傍で、マルティエが答える。
ちらりと彼を見上げてみると、マルティエはまっすぐに舞い踊る迷夢蝶の群れを見つめていた。
「森の中を歩いていてこれを見つけたとき、シタウに見せたいと思った。お前は確か、迷夢蝶が現れるのを待っていたはずだから」
「……それで、わざわざ、ここまで……」
でも。
でも、なんでわざわざ見せようと思ったんだろう。
マルティエと慕は、何度か言葉を交わしたことはあるけれど、それくらいの仲だ。迷夢蝶を見つけたからって、わざわざ教えてくれるほど親しいわけではない――はず。
それなのに。
「なんで、わざわざ……」
一体、どうして。
わずかな動揺を胸に抱いたまま静かに問いかければ、マルティエの視線がこちらに向いた。
極彩色に彩られた彼の瞳が正面から慕を射抜き、心臓が少しだけ嫌な音をたてた。
急速に慕の中で緊張が広がっていき、心臓の鼓動がいつもよりも速くなる。口の中から水分が失われ、どんどん渇いていくような感覚に陥る。
真っ直ぐに向けられた視線の先で、マルティエがわずかに笑みを浮かべるのが見えた。
「故郷に帰れないっていうのは困るだろ。俺はこれでも困ってる奴は放っておけない質なんだ」
……あれだけ慕を振り回しておいて、そういわれても信じられない。
思わず慕が半目になった瞬間、マルティエがさらに言葉を続けた。
「それに、これを見せたうえで――お前が故郷に帰れると見せたうえで、お前に話したいこともある」
彼の唇が紡いだ一言に、はっとして目を見開いた。
そういえば、マルティエが慕をここに連れてくる前、確かにそういっていた。
慕にだけ見せたいもの。
そこで話したいこともある。
見せたいものは迷夢蝶だった。あとに残されているのは、マルティエの話したいことだけ。
何を話そうとしているのか全く予想ができず、慕の身体を支配する緊張がさらに色濃いものへ変化する。
心臓の鼓動がさらに速まるのを感じながらじっとマルティエを見上げていると、彼が身をかがめ、そっと慕の耳元に唇を寄せた。
「お前が懐いてるあいつ――フィデリオ・フォリルシャーポ。あいつは、人間のふりをしてお前を騙してる心喰族だ」
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