6-4 抱えた想いを手放さない
――さて、どうしようか。
フィデリオの姿が宙を舞い、枝の上に作られた建物の中へ消えていくのを見届け、慕はずっと振っていた手をゆっくりと下ろした。
彼の仕事が終わるまで街を見て回りたいという選択をしたため、ここから先は自由時間だ。思い切ってデートに誘い、良い返事が聞けた以上、今のうちになんとか準備を進めておきたい。
けれど、長らく恋愛に対して臆病になっていた慕には、デートのプランニングというスキルはあまり身についていなかった。
「……でも、まずは……やっぱり、お店のチェックからかなぁ」
うんうん唸りながら考えたのち、小さな声で一人呟く。
異性――それも、自分が想いを寄せているかもしれない相手との外出と考えたら難しく感じてしまうが、一緒に出かけたいお店や場所を探すと考えたら少し気が楽になるかもしれない。はたして、それで本当にデートになるのかという不安もあるが、なんとかなると思いたい。
自分の頬を軽く叩き、気合を入れると慕は勇気を出して一歩を踏み出した。
そのまま二歩、三歩と踏み出していけば、あとは慕の中にある好奇心が背中を押して導いてくれる。
自然豊かな森の中に作られた街は、一人で歩くとより印象的な街として映る。全ての建築物が木々の上に作られているため、魔法を使えない慕ははしごを使って上がらなければならない。そのたびに体力を使うけれど、それすらも楽しくて仕方ない。
何度もはしごの上り下りを繰り返し、適当な店の前に上がったところで小さく息をついた。
「すごいなぁ……綺麗な眺め……」
高い木の枝の上から見る世界は、とても広々としていて美しい。遠くまで森が広がっているのが見え、青い空に森の緑がよく映える。
元の世界では、木登りなんかしたことがない。仮にできたとしても、はしごを使わなければならないほど高いところに怖くて登れないだろう。
フィアーワンダーランドに来なければ見れなかった景色だと思うと、とても貴重なものに思えた。
「……元の世界かぁ……」
いつかは、帰らなくてはならない場所。
最初はあんなに帰りたくて、帰りたくて、仕方がなかったはずだ。それなのに、今ではこの地を離れることを考えたらどうしようもなく寂しくなる。
自分は、この世界に本当の意味で馴染めない。どこまでいっても異物のままだ。
だけど――居心地がよくて、この世界を離れるのが苦しくなるほどに、この世界での呼吸に慣れてしまっている。
「……帰らなきゃいけない……のになぁ」
帰りたい。
帰らないといけない。
――帰りたくない。
いろんな気持ちが自分の中でぐるぐると渦巻いて、わからなくなってしまいそうだ。
青い空を見上げて、深い溜息を一つついた――その瞬間。
「何してんだ?」
「……ッ!?」
ずい、と。目の前に広がっていた青空が隠れ、見覚えのある顔で埋め尽くされる。
喉からあがりかけた悲鳴をすんでのところで飲み込み、慕は素早く首を元の状態に戻して振り返る。
極彩色の瞳に、サイケデリックな髪。こんな色合いを持った人は、一人しか知らない。
「マルティエさん!?」
「よぉ。いつかぶりだな、シタウ」
にやりとした笑みを浮かべ、慕の顔を覗き込んできていた相手――マルティエはそういった。
マルティエとは何度か言葉を交わしたことがあるが、今いる場所は彼と会ったことがある場所ではない。こんな場所にもいるなんて、全く予想していなかった。
目を丸くし、ぽかんとした顔をしている慕を見ながら、マルティエはくつくつと笑う。
「なんでここにいるんだって顔だな?」
「ええ、まあ……」
彼の言葉に、こくりと素直に頷く。
すると、マルティエは肩を揺らして押し殺した笑い声をあげてから、口を開いた。
「ここは俺が本拠地にしてる街から近いんだ。だから、ここによく来てる」
「あ……な、なるほど……。そういうわけだったんだ……」
フィデリオがいる場所に姿を現しているんだとしたら、一種のストーカーか何かかと一瞬考えてしまった。
そんな失礼なことを考えてしまったことを内心恥じつつ、慕は納得がいったような声色で呟く。
「そういうわけだな。シタウ、お前はどうしてここにいる? ここはお前とフィデリオがいる場所から離れていると思うが?」
「あ……えと、フィデリオさんのお仕事についてきたんです。ちょっと、無理をいって……」
今度はマルティエに問いかけられ、はっとしながらも答える。
過去にマルティエとフィデリオは何やら仲が悪そうなやりとりをしていたが、どうしてここに来たのか答えるくらいなら問題ないはずだ。
慕の答えを耳にし、マルティエは納得したような顔をしたのち、何やら考え込む。
「……なるほど。じゃあ、あいつは今、傍にいないのか……」
独り言のような言葉を静かに呟き、考え込む。やがて答えを出したのか、マルティエはゆっくりと慕へと視線を移し、耳元へ唇を近づけた。
「なら、ちょうどいい。お前に見せたいものがあるんだ」
「見せたい……もの?」
周囲に聞かれないように気をつけているかのような、ささやき声。
きょとんとしてマルティエの言葉を復唱すると、彼の大きな手が慕の手を握った。
「ああ。お前にだけ見せたいものだ。そこで少し話もしたい。……ついてきてくれるな?」
問いかけのはずなのに、断るという選択肢を与えない強い物言いに――慕は、小さく頷くしかできなかった。
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