6-2 抱えた想いを手放さない
さまざまな時間が入り組んだあの空間を抜けて、辿り着いたのは見たことのない街だった。
街そのものが森の中にあるかのように、ツリーハウスがあちこちに存在している。木々と木々の間にはクオーレカルティの街のようにガーランドが張り巡らされており、それがファンタジーな印象を強めている。
ツリーハウスになっている大樹には、それぞれはしごがかけられており、人々はそれを使って木々の上に登っているようだった。よく見ると、木々の間を飛んで移動している人影もちらほら見られるため、どうやら空を飛んで移動するという手段もあるようだ。
クオーレカルティの街と、以前マルティエに連れ去られた際に連れて行かれた街と、今回やってきたこの街。フィアーワンダーランドに来てから、ほかの街を訪れるのはこれで三回目。だが、どの街もそれぞれ雰囲気が大きく異なり、慕の心はそのたびに好奇心で満たされる。
「すごい、森の中に街がある……」
「そういう場所なのよ、ここは。もともと魔力が潤沢にある森でね。ここに目をつけた魔術師たちが集まって、そうして街になったっていう歴史があるの」
「へぇ……じゃあ、ここは魔術師の街なんですね」
フィデリオの説明に耳を傾けながら、改めて周囲を見渡す。
魔力が潤沢になる、魔術師たちが集まる森の街――街の成り立ちを知ってから見渡してみると、木々の間を飛んで移動している人影があるのも納得できる気がした。
目を輝かせながら街を見渡している慕の姿を、フィデリオも微笑ましい気持ちで眺める。
最初、慕が同行したいと言い出したときには驚いたが、こんなに楽しそうな様子を見れるのなら連れてきて正解だったかもしれない。
仕事の話が一段落したら、ちょっと連れ回してみてもいいかもしれないわね――。
心の中で一人呟きつつ、フィデリオは慕の手を軽く引いた。
「はいはい、ゆっくり見て回るのは後で。まずは仕事先に行くわよ」
「あ……は、はいっ!」
はっと我に返り、慕はフィデリオを見上げて大きく頷く。
素直な反応に少しだけ微笑ましいものを感じつつ、フィデリオは慕の手を握ったまま歩き出す。
己の手の中にすっぽりと収まってしまうほどに小さい手から伝わってくる体温を感じつつ、目的地に向かってどんどん進んでいく。
風の音も木の葉がこすれる音も、そして暮らしている人々の気配も、全てが全て感じ慣れているもののはずなのに、慕が傍にいるだけで全てが新鮮であるかのように感じられた。
多分、これが意味することは――。
「……フィデリオさん?」
「……なんでもないわ。気にしないでちょうだい」
ほんの一瞬、フィデリオの表情に影がさしたような気がして、慕がフィデリオへ呼びかける。
だが、フィデリオはすぐにそれを隠して笑みを浮かべると、気にするなというように片手をひらひらと振る。そして、まだ何か物言いたげな顔をしている慕から視線をそらし、見えてきた大樹へと目を向けた。
「それよりも、見えてきたわよ。ほら、あれが目的地」
その言葉とともに、フィデリオは大樹を指で指し示した。
魔術師たちが住まう森の中で、もっとも大きな樹。森全体を見渡せそうなほどに高く成長したそれは、慕の興味をひくには十分すぎるほどの力を持っていた。
不満げだった彼女の視線が大樹へと向けられ、幼い子供のようにきらきらと目を輝かせはじめる。
「あの木が……ですか? すごく大きい……」
「実際、この森の中で一番大きな木よ。依頼人はあの大樹の管理を任されてるの。……ほら、見えるかしら」
フィデリオの指先がゆっくり動き、大樹の枝の上に作られた建物を示す。
慕はじっと睨むように目を細めて大樹を見つめ――やがて、フィデリオが示しているものを発見すると、あっと声をあげた。
「見えました! 枝の上に人が住めそうなスペースがありますけど……あそこに?」
「ええ。結構高い位置にあるから、大体あいつに用がある奴は魔法を使って移動してるわね」
フィデリオがゆっくりと手を下ろし、慕へ目を向ける。
慕もその動きにつられてフィデリオを見上げれば、薄い青紫色の瞳と視線が絡んだ。
「さて、どうする? シタウ。あんたが希望するなら、あんたをアタシの弟子ってことにして一緒に連れて行くけれど。別に、アタシの仕事が終わるまで街を見て回ってても構わないわよ」
フィデリオの言葉に、慕は考える。
彼の弟子ということにして、一緒についていきたい気持ちはある。帽子を手にするのがどんな人か気になるし、できるだけ長くフィデリオの傍にいたい思いもある。
だが、今からフィデリオが会うのは仕事の依頼人だ。無関係な自分がいることで、もしかしたら邪魔になってしまうかもしれない。
それに――森の中に存在する街を目にしてしまえば、少し見て回りたいという欲も顔を出した。
「……どんな人が会ってみたいですけど。邪魔をするのもよくないし、ちょっと街も見て回りたいので……待ってます、私」
悩んで、考えた末に慕が出した答えは、これだった。
フィデリオの仕事は邪魔をしたくない。帽子の持ち主になる人物は気になるけれど、この先も同じような依頼があればそのときに顔を見れる可能性がある。フィデリオの傍にいるのも、仕事が終わったあとに一緒に過ごせば問題ない。
それに、これはデートに誘う口実を作るチャンスかもしれない。
てっきり一緒についてくると思っていたのか、フィデリオは一瞬目をぱちくりとさせたのち、柔らかく笑顔を浮かべた。
「そう、わかったわ。なら、できるだけ早く終わらせるようにするから待っててちょうだい。シタウはこの辺りの土地勘がないんだから、あんまり遠くへ行きすぎないようにね」
「はい。のんびり見て回りながら、フィデリオさんの仕事が終わるまで待ってるので……そ、その……」
大きく息を吸って、吐き出して、慕は深呼吸をする。
誘うなら今しかない――何度も心の中で自分へ言い聞かせ、大きく息を吸い込むと、唇を動かした。
「お、終わったら! い、一緒に、デート、してくださいね!」
勇気を振り絞って紡いだ言葉は、普段よりも少し大きい声になっていた。
誘った! 言った! 誘ってしまった!
慕の中でそんな思いがぐるぐると渦巻き、急速に顔へ熱を集めていく。チャンスだと思って行動を起こすと決めたのは自分だが、いざ口に出してみると恥ずかしくて仕方なかった。
対するデートに誘われたフィデリオは、まさか慕がこんなことを言い出すとは思っていなかったのかぽかんとした顔をしていた。数分の間をおいたのち、慕が口にした言葉を理解し、くっと表情を緩める。
「……ふふ。なら、なおさら早く終わらせないといけないわね。楽しみに待っててちょうだい、アタシも楽しみにしてるわ」
「……! は、はい!」
いたずらっぽく笑ったフィデリオが、ずっと握っていた慕の手を離す。離れた体温を少しだけ名残惜しく思いながらも、慕に背を向ける。爪先で軽く地面を叩けば、森に満ちている魔力が反応し、ぶわりと風を起こしてフィデリオの身体を上へと運んだ。
風を起こして空を飛びながら、少しだけ振り返る。つい先ほどまで己が足をつけていた地上には、こちらを見上げて手を振る慕の姿があった。
ああ、全く、本当に――。
「……可愛い子」
風が歌う中、とても小さな声で呟き、フィデリオは視線を前へ向ける。
デートという表現を使って外出に誘われたのは意外だったが、そこまで彼女がこちらに懐いてくれていると思うと悪い気はしない。
待ちくたびれさせてしまうのは避けたいから、待っていてくれる彼女のためにも、早く仕事を終わらせなくては。
しかし、このときの判断を。
慕を自由にするという判断を。
フィデリオは、後に後悔することになる。
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