第6話 抱えた想いを手放さない

6-1 抱えた想いを手放さない

「シタウ、そろそろ行くわよ。準備できてる?」

「は、はい! 今行きます!」


 慕がフィデリオからのお使いを引き受けた翌日。

 玄関から聞こえる彼の声に返事をし、慕は普段よりも上品で落ち着いた可愛らしさがあるワンピースの裾を揺らし、フィデリオの下へと駆け寄った。


 慕が引き受けたお使いは、途中で少々考え込んでしまうこともあったが、結論から言えば成功に終わった。

 慕が悩みながら選んだ布と材料は、見事フィデリオのお眼鏡にかなうものだったらしく、抱きしめられて頭を撫で回され、少々過剰にも思えるスキンシップとともに非常に褒められた。


 フィデリオへ向けている感情が恋心かもしれない――その可能性に行き着いた今の慕には、ひどく刺激が強い褒められ方だったのは言うまでもない。


「あら。今日はそれにしたのね、可愛いじゃない」

「ありがとうございます。フィデリオさんのお仕事についていくから、ちゃんとした格好をしたほうがいいかなって思って……」


 フィデリオが柔らかく目を細めて笑い、優しく一度だけ慕の頭を撫でる。

 彼の手のぬくもりを受け入れながら返事をしつつ、慕はふにゃりと表情を緩めた。


 そう。今日は慕が出かけるフィデリオを見送るわけでも、フィデリオが再びお使いに行く慕を見送るわけでもない。彼が作った依頼品を依頼主の下へ届けるのに同行させてもらう日だ。


「でも、意外ねぇ。ついていきたい、だなんて。シタウのことだから留守番するかと思ってた」


 そっと慕の頭から手を離し、フィデリオが少々意外と言いたげな声色でそういった。

 軽く髪を整えて、慕は彼の言葉に返事をするために口を開く。


「最初はそれも考えたんですけど……私が選んだ材料で作った帽子を渡しに行くんでしょう? どんな人がかぶるんだろうって少し気になって」


 本音が半分、隠していることが半分。

 自分が選んだ材料で作った帽子をかぶるのが、どんな人物なのか気になる――という言葉に嘘はない。それは本当だ。


 だが、その裏にはフィデリオと一緒に出かけたいという思いも隠されている。

 エリュティアからはデートの一つにでも――と言われているが、誘うのにも勇気がいる。フィデリオの仕事が一段落したら誘えたらいいなと考えてはみているけれど、実際に誘えるかどうかはわからない。


「まあ、その気持ちはわかるわ。アタシもはじめて帽子を作って納品したときは、どんな人が手にとってくれるのか気になって仕方なかったもの」


 だから、もしかしたらシタウは帽子職人としてやっていけるかもしれないわね。

 柔らかな笑顔とともに告げられた言葉に、慕の胸がじんわりと温かくなる。


 帽子職人としてやっていくには、必要な知識も技術も持っていない。まずはそれらを身につけるところからスタートしなくてはならない。

 けれど、もしかしたらそれを職業としてやっていけるかもしれないと言ってもらえるのは――なんだか、この世界に身を置き続けてもいいと言われているような気がした。


 迷夢蝶に出会えないまま、時間ばかりが過ぎていったら――そんな生き方を選んでみてもいいかもしれない。


 一人、ひっそりとそんなことを考えながら、慕はだらしなく緩みそうになる口元を引き締めた。


「……もし、帰る目処が立たなかったら、帽子の作り方を教えてくれますか?」


 とても小さな声量での、独り言のような問いかけ。

 それでも傍にいたフィデリオの耳には届いていたようで、彼は一瞬きょとんとした顔をしたあと、いつものようにふわりと笑みを浮かべた。


「ええ、もちろんよ。そのときは、手取り足取り教えてあげるわ。……ただ、厳しくいくから覚悟しておいてちょうだいね?」

「あはは……お手柔らかにお願いします、そのときは……」


 苦笑いを浮かべながらそういったが、実際にそのときが来たら、どれだけ厳しくても食らいついていく気ではある。


 必要な技術を身につけることができれば、きっと今よりもフィデリオの役に立てる――そんな気もしているから。


「さて、と――そろそろ出発するわよ。おいで」


 フィデリオの手が慕へ伸ばされる。

 それだけで、彼が一体どうやって移動するのか読み取れるようになった辺り、いつのまにか彼と長く時間を過ごしているのだなと頭の片隅でぼんやり思った。

 伸ばされた手に己の手を重ね、優しく引き寄せてくれる力に身を任せる。

 すぐ傍に感じられるようになった体温に、慕の心臓が普段よりも早く鼓動を打ち始めた。


「目を閉じて。いくわよ」

「はい」


 どうか、この心臓の音が彼に気づかれませんように――。

 そんなことを考えながら慕は目を伏せ、わずかに感じる力の流れに自身を任せた。 

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