5-6 その感情の正しい名前は

「ほい、到着っと。ちょーっと待ってて欲しいにゃあ、今お茶とか準備するから」


 風船か何かのように連れられてやってきたチェシーレの店は、慕が最後に訪れたときと何も変わらなかった。

 店の奥のほうに用意されたカフェスペースのような場所まで連れてこられたところで、チェシーレはそういいながら指を縦に振る。

 途端、宙に浮いていた慕の身体がゆっくりと重力へ引っ張られ、両足が床につく。履いているブーツの靴底が木製の床を叩いた音がした瞬間、身体がずんと重たくなるような感覚がした。


 奥の部屋へ向かっていくチェシーレを見送ってから、慕は改めて店内を見渡す。

 さまざまな品物が集められた店内は相変わらず薄暗く、どこにどんなものが置かれているのか、ぱっと見ただけではよくわからない。目に見える範囲からでも、並んでいる商品には統一性がない。一体どんな店なのか、はじめてやってきた人は混乱しそうだ。


 椅子を引き、慕は素直に設置されていた椅子へ座る。

 チェシーレが戻ってくる前に帰ってしまうという選択肢も考えたけれど、それはお茶に誘ってくれたチェシーレに対して失礼なように感じられた。


「シタウ、紅茶は何が好きにゃあ? フィデリオのところでは何をよく飲んでるのか、教えてくれると嬉しいにゃあ」


 戸棚に向かい合っていたチェシーレの顔が、ぱっとこちらを見る。

 その声に反応し、慕はそちらへ視線を向ける。こちらを真っ直ぐ見てくるチェシーレの手の中には、見慣れない紅茶の缶と見覚えのある紅茶の缶が一つずつあった。


「あ、えっと……確か、そっち。そっちの紅茶は、フィデリオさんがよく淹れてくれる奴だと思います」


 そういって、慕はチェシーレの右手の中にある缶を指差した。

 紫色のラベルが貼られた缶は、朝起きたときにフィデリオがよく淹れてくれるものだ。詳しい茶葉の名前はわからないが、どんな味がするのかはよく覚えている。

 チェシーレが右手の缶をかしゃかしゃ振り、ラベルを確認する。


「ふぅん、レディグレイとは相変わらず小洒落たものを好んでるんだにゃあ。よし、ならこれを淹れてくるから、それでも食べてもうちょっと待っててほしいにゃあ」


 そういって、チェシーレが指先を空中で滑らせる。

 すると、チェシーレの傍にあった戸棚からマカロンが入った小瓶が飛び出し、慕の前にあるテーブルへ置かれた。さらに追加で指先を動かせば、今度は奥の部屋から小さな箱が浮いた状態でこちらへ近づいてきた。


 とすん、と小さな箱も慕の目の前へ置かれる。

 さらにチェシーレが指を鳴らせば、かちゃんがちゃんと音をたて、皿やカップが用意されていく。


 魔法でティータイムの準備が整えられていく様子は、現実で起きていることのはずなのに、夢か何かのように思えた。


「……本当にすごいなぁ、魔法って……」


 自分は魔法が使えない。学んだとしても、きっとこの先も使えない。

 そう思うと、生まれつき魔法を使えるチェシーレたちが少し羨ましくて――同時に、心から尊敬するという思いが生まれる。


 小さく心の内を呟きながら箱を開けてみると、中には可愛らしくデコレーションされたカップケーキが二つ、『EAT ME』と綴られたメモ書きと一緒に入っていた。

 先ほどまで広がっていたもやもやしたような思いがかき消え、少しだけ喜びで胸が踊る。


「美味しそうだなぁ……」


 胸にきらきらした思いを抱え、カップケーキを皿に並べて準備をする。

 直後、かちゃんという音とともに温かさを感じるポットが置かれ、チェシーレの姿も椅子の上に現れた。


「なんだ、まだ食べてなかったのかにゃあ?」

「ちょ、ちょうど準備をしている途中だったので……」


 チェシーレが急に姿を現すことができる人だとわかっていても、実際に姿を見せたときに驚かずにいられるかと問われたら答えはノーだ。

 大きく深呼吸をして跳ねた心臓を落ち着かせ、慕は用意していたカップケーキのうちの一つをチェシーレへと差し出した。


「はい。これがチェシーレさんの分です」

「ん、ありがとにゃあ」


 感謝の言葉を口にしながら、チェシーレがカップに紅茶を注ぐ。

 湯気とともにふわりと立ちのぼる香りは、繰り返しフィデリオの家で感じた香り。今の慕にとって、安心できるものになったそれは、慕の心に落ち着きと平穏を与えるのに十分な力を持っている。

 カップを持ち上げ、そうっと口をつけ、一口飲む。独特の渋みと爽やかな風味。そして、かすかに感じる矢車菊の香りが鼻を抜けていき、ほうっと息を吐いた。


「美味しい……」


 小さく唇からこぼれた呟きに、チェシーレが満足そうに頷いた。


「うんうん、それならよかった。ちゃーんと笑ったし、良い顔になったにゃあ」


 一人頷いてから、チェシーレもカップを持ち上げ、口をつける。

 慕と同じように紅茶の味をゆっくりと楽しんだあと、片手でマカロンを一つ手に取り、言葉を続けた。


「で、なぁんであんなに湿っぽい顔してたのか、教えてくれるかにゃあ?」


 小首をかしげて、告げられた言葉。


 ああ、もしかしてチェシーレは――心配して、少し強引にお茶へ誘ってくれたのだろうか。


 答えに気付いた途端、くすぐったい気持ちが胸の中に広がっていくのを感じる。

 少しの申し訳無さも感じるが、まだ出会って日が浅いのに心配してくれたというのが、なんだか少しだけ嬉しく感じた。


 一人だけで抱えて帰るつもりだったけれど、チェシーレには一体何があったのか話してもいいかもしれない。


 そのように考えることができて、慕はゆっくりと唇を動かした。


「その……フィデリオさんからのお使いで、来てたんですけど。そのお店の中で、フィデリオさんが住んでる森に心喰族がいるって聞いて……」


 一度言葉として吐き出してしまえば、あとはするすると紡がれていった。

 店員から森に心喰族がいると聞いたことから始まり、それが引き金となってフィデリオのことを心配していたこと。今は大丈夫でも、もしかしたら彼よりも強い心喰族が現れたら――という不安。

 ずっと内側に抱えていた不安や思いを吐き出せば、胸の中にくすぶっていた鉛のような重さは、少しだけ軽くなっていた。


「……フィデリオさんは強いと思うし、私がこんなに心配しても迷惑かもしれないと、わかっているつもりなんですけど……やっぱり、心配で」

「ふぅん、なるほどにゃあ。確かに、あの森には心喰族がいるけど……そこまで心配しなくても大丈夫なんだけどにゃあ」

「私も、前にチェシーレさんがそういっていたから、大丈夫なんだろう……って、わかってるつもりなんですけど。駄目ですね、こんなにも依存して」


 そういって、慕は苦笑いを浮かべ、もう一口紅茶を飲んだ。

 適切な判断ができないくらいに依存しているなんて、我ながらどうしようもない。

 一人、静かに考えながら苦笑いを浮かべる慕を見つめていたチェシーレが、口にくわえたマカロンを噛み砕いた。


「依存っていうけれど。それ、依存というより恋してるからじゃないのにゃあ?」 

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