4-6 叶うならあなたを知りたいと
「フィデリオ、さん?」
「ああ、シタウ! よかった……無事みたいで。怪我はない? あいつに何か変なことされてない?」
ぽかんとした声色でフィデリオの名前を呼ぶ。
すると、フィデリオは目を丸く見開いた慕に素早く駆け寄り、無事を確認すると同時に早口でそういった。
慕から見たフィデリオは、余裕のある態度でいることが多い。故に、こんなにも慌てて取り乱した姿はとても珍しいように感じられた。
返事をするのも忘れてぽかんとした顔をさらしている慕にかわり、エリュティアが口を開く。
「連れ回されてたみたいだけど大丈夫よ。怪我もしてないし、精神状態も安定してる」
彼女の声に反応し、フィデリオがエリュティアのほうを見る。
その反応は、今の今までエリュティアの存在に気付いておらず、声をかけられたことでようやく気付いたかのようなものだった。
慕もフィデリオの視線につられて彼女へと顔を向けると、フィデリオと慕を見つめ返し、にやりと強気に笑ったエリュティアの様子が見えた。
「ハロー、フィデリオ。ずいぶんと慌てて、珍しいじゃない。まるでシタウのことしか見えてなかったみたい」
「……エリュティア」
フィデリオがエリュティアの名前を小さく呼ぶ。
その後、何やら深呼吸をしてから、彼は苦笑いを浮かべてみせた。
「見苦しいところを見せちゃったわね、ごめんなさい。それから、迷惑もかけちゃったみたいで申し訳ないわ。……あいつはどこにいったの?」
あいつ――というのは、間違いなくマルティエだ。
慕が答えようとするよりも早く、エリュティアがティーカップをソーサーの上に置きながら口を開いた。
「マルティエなら、フィデリオの魔力の気配を感じ取って早々に逃げたわよ。あたしは、どっちかっていうと巻き込まれた側だから怒らないでちょうだい」
「あら、エリュティアがマルティエと手を組んだことなんて、一度もないでしょう? 別にあんたは怒ったりしないから安心して」
それにしても、やっぱり逃げたのね、あいつ。
小さく吐き出されたフィデリオの声には、冷たさと苛立ちがはっきりと混じっていた。
普段、あまり耳にしない声を耳にした慕の呼吸が一瞬だけ詰まる。優しいばかりの印象を持っていたけれど――そういえば、この人ははじめて出会ったとき、慕に襲いかかってきた鳥のような生き物が悲鳴をあげるようなことを言っていた。
あのときは、彼の言っている言葉が理解できていなかったため、具体的にはどんなことを口にしたのかわからないが。
軽く息を吸って、吐き出して、わずかな恐怖心を吐き出す。
その後、改めてフィデリオを見上げると、慕がよく知っている優しげな瞳と目が合った。薄い青紫の瞳の中で、穏やかさと慕を心配する色がゆらゆらと揺れている。
「本当にごめんなさいね、シタウ。近づけさせないって言った直後に、あんなことになっちゃって」
「あ、いえ……本当に気にしないでください。驚いたけど、このとおり怪我もしてないし……」
それに、マルティエは慕に外の世界――今まで行ったことのない町に連れて行って、今まで出会ったことがない人に会わせてくれた。慕が見る世界を広げる手伝いをしてくれたから、悪いことばかりではなかった。
一体何故、わざわざ慕に外の世界を見せてくれたのか。具体的な彼の目的は、いまいち見えてこないままだが。
「驚いたしちょっと怖い思いもしたけど、今まで見たことがない町も見れたし、ローゼレーヌさんとも知り合えたから。だから、大丈夫です」
そういって、慕はフィデリオを安心させようと笑ってみせる。
慕の様子をじっと見つめ、フィデリオは何やら考えていたようだが、やがて軽く息を吐きだして困ったような笑みを浮かべた。
「……シタウがそういってくれるのなら、いいのだけれど。でも、今後何かあったときのためにアタシが傍にいなくてもシタウを守ってあげられる何かを今度プレゼントさせてちょうだい」
「本当に気にしなくても大丈夫なのに……」
「シタウ。そうなったフィデリオは簡単に折れないわよ。それに、フィデリオの提案はシタウにとっても悪いことじゃないんだから受け取っておきなさい」
二人のやりとりを眺めていたエリュティアが、にんまりと笑ってフィデリオの援護に回る。
思わぬところからの援護射撃に慕は目を見開き、彼女を見る。
エリュティアは頬杖をつき、どこか楽しそうな目でフィデリオと慕を眺めていた。
「フィアーワンダーランドはシタウが思っているよりも危ないところよ。いつもフィデリオの傍にいれるわけじゃないから、身を守る手段は持っておくべきだわ」
それは、確かにそうである。
魔法が使えるフィデリオに対し、慕は戦うための手段は何も持っていない。フィアーワンダーランドに来るまでは争いと無縁の生活をしていたため、誰かを傷つける際の心構えも何もできていない。
そう考えると、何か身を守れるものは持っておいて損はない――頭ではわかっているつもりなのだが。
「でも、フィデリオさんにこれ以上、何かもらうのも……」
視線をわずかに落とし、慕は呟くようにそういった。
慕は、すでにたくさんのものをフィデリオからもらっている。安心して過ごせる場所に衣食住、この世界の言葉を学べるもの、可愛らしい衣服――受け取ったものに対し、慕は何も返せていない。これ以上何かをもらうのも申し訳なく感じてしまう。
表情を曇らせた慕の様子を見て不思議そうな顔をしていたフィデリオだったが、すぐに慕が気にしていることに思い当たった。
わずかに表情を緩ませ、フィデリオはくしゃりと慕の髪を撫でた。
「そんなこと気にしなくて大丈夫よ。アタシがシタウの面倒を見るって決めたんだから、アタシがシタウに何かするのは当然でしょう?」
「でも、私、フィデリオさんに何も返せてませんし……」
何かしてもらうばかりというのは落ち着かないし、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
だが、フィデリオはくすくすと笑い、今度は両手でくしゃくしゃと慕の頭を撫で回した。
「わ、わわ」
「だーから、気にしなくていいのよそんなこと! 本当、良い子すぎるくらいに良い子なんだから」
そういいながら、フィデリオは慕の頭に頬を擦り寄せる。
まるで犬や猫にするかのような扱いだったが、すぐ傍で感じられる体温と声に心地よさを感じ、慕は自分の表情が緩むのを感じた。
とく、とく、と心臓がいつもよりも少しだけ早く脈打っているような気がする。
「どうしても気になるっていうなら、アタシの仕事を手伝ってちょうだい。それで十分」
「……本当に、それだけでいいんですか?」
「ええ。アタシも仕事を手伝ってもらえると助かるもの」
それだけでは足りないように思えてしまうけれど、フィデリオがそういってくれるのなら、これ以上断ろうとするのも失礼に当たる。
少々悩んだ末に、慕はこくりと小さく頷いた。
「わかりました。それなら、お手伝いします」
「ええ。頼りにしてるわよ、シタウ」
頼りにしている――たった一言だが、それだけで慕の胸にくすぐったいような嬉しいような、不思議な気持ちが広がっていく。
フィデリオに顔を見られないようにうつむき、さらに緩みそうになる口元をもにゅもにゅと引き締めにかかる。先ほどまでも十分だらしない顔を見せていただろうが、これ以上は見られたくなかった。
くすくすと笑いながら、フィデリオが慕から少しだけ離れる。
それに伴い、すぐ傍に感じられていた体温がわずかに離れ、ほんの少しだけ寂しいような気持ちになった。
「本当ごめんなさいね。でも助かったわ。ありがと、エリュティア」
「どういたしまして。話が済んだのなら、早く連れて帰ってあげなさい。シタウ、今日はずっとあいつに振り回されてたから相当疲れてるはずよ」
「ええ。そうさせてもらうわ」
エリュティアに返事をし、フィデリオは改めて慕を見る。
うつむいているせいで表情は見えないが、疲れている可能性は高いだろう。
なんせ相手はマルティエ、長い付き合いがあるフィデリオでも行動の予測ができない男だ。まだフィアーワンダーランドの環境に慣れきったわけではない慕だと、余計に疲れてしまうはずだ。
……早く安心できる場所で休ませてやりたい。
わずかに目を細め、フィデリオは再び慕へ手を伸ばす。はじめて一緒に出かけた日のように抱き寄せれば、慕が肩をはねさせてフィデリオを見上げてきた。
「ふぃ、フィデリオさん!?」
「前に使った通り道で帰るわよ。危ないから、ちゃんとくっついていなさいな」
「あ……は、はい」
前に使った通り道――きっと、どんな場所にも繋がっているというあの道だ。
こくこくと頷き、慕はあのときと同じようにフィデリオの身体にしがみつく。
再びフィデリオの体温がすぐ近くに感じられるようになり、胸の中に広がっていた寂しさも鳴りを潜めた。
「それじゃあ、アタシたちはこれで。今度お礼の品を持ってくるわ」
「あら、素敵。楽しみにしてるわ。……ああ、そうだ、シタウ?」
「はい?」
フィデリオが小さな声でカウントを始めたタイミングで、エリュティアが慕へ声をかける。
何か伝え忘れたことでもあったのだろうか――疑問に思いながら返事をすると、再びにんまりと笑ったエリュティアと視線が絡んだ。
「今度、デートの一つにでも誘ってみなさいな。きっと喜ぶわよ」
「へっ!? いや、その、別に私は……!」
慕が慌てた声色で反論をしようとした瞬間、光が弾け、その場から慕とフィデリオの姿が消えた。
わずかな魔力の気配を残し、つい先ほどまで賑やかだった室内に静寂が戻る。
届くことのなかった否定の言葉の続きを考えながら、部屋の中に一人残されたエリュティアは、深い溜め息をついた。
「……きっと、シタウが抱えているそれは恋よ」
本人は目をそらそうとしているように思えたけれど、あの少女がフィデリオへ向けている感情は、きっと恋だ。
しかし、よりにもよってフィデリオに想いを寄せてしまうなんて。
「……報われないわね」
呟かれた言葉は、誰の耳にも届かず、溶けて消えていった。
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