4-2 叶うならあなたを知りたいと
かつ、かつ、かつ。苛立ちを隠しきれない足音が廊下に響く。
もっと上品に歩いたほうがいいと頭では理解しているけれど、苛立ちでどうしても歩調が荒くなってしまう。
ああもう、どいつもこいつも使えない。首をはねては新しい人間を入れても、そいつも植物の扱いをよく理解していない奴らばかり。
気長に何度も何度も同じことを教えているけれど、精神的な限界というものはどうしても訪れる。
「……ああもう!」
今日一日だけで何度口にしたかわからない言葉を口にし、頭をかきむしりそうになる手をぐっと抑える。
一度休憩しよう。こんな精神状態で人の上に立つなんてできない。
苛立ちを吐息とともに深く吐き出し、先ほどよりも早足に自室へ向かおうとした、そのときだった。
「ローゼレーヌ様!」
「今度は何?」
慌ただしい足音が背後から聞こえ、使用人の一人が声をかけてくる。
また何かトラブルか、紅茶園の管理をしている従業員がミスをしたのか。思わず眉間にシワが寄るのを感じ、指先でぐりぐりと眉間をもみほぐした。
「お疲れのところ、申し訳ありません。その、門を飛び越えて屋敷内に侵入した輩がいるとの報告が……!」
「門を飛び越えて?」
使用人が口にした一言を復唱し、深い溜息をつく。
そんな人間離れしすぎた芸当をやってのけるのは、知る中でも一人しかいない。
「……そういうことをする奴には、心当たりがあるわ」
どうせ、あいつに決まっている。
心の中で呟いたのとほぼ同時に、だんっと床を乱暴に踏みしめる音が空気を震わせた。
そちらに目を向ければ、視界に映るのは予想通りの極彩色――と、何やら見慣れぬ少女が一人。
「おお! 女王! ここにいたか!」
「……やっぱりあんたね。事前にアポをとれって、何度教えたらあんたの頭に刻み込まれるのかしら? 三月兎」
腕組みをし、紅茶を愛する女王――エリュティア・ローゼレーヌは深く息を吐きだした。
時間はほんの少しだけ――マルティエがエリュティアの下に辿り着く前に遡る。
「むむむ、無理です無理ですマルティエさん! 駄目怖い怖いですってああああ!!」
「ははは! シタウは思ったよりもおしゃべりだな!」
「おしゃべりとか、そういうのじゃなくてです、ねええええ!?」
がくん、とまた視界が揺れ、喉が悲鳴じみた声をあげる。
マルティエが慕を担いだまま、門を飛び越えるという人間にはできない芸当を見せたあと。まだばくばくと早鐘を打っている心臓を押さえている慕に構わず、マルティエは勝手知ったるといった様子で屋敷の中に足を踏み入れた。
勝手に入ってしまったけど、もしかして家族か、自由な出入りが許されているくらいに親しい間柄の人物が住んでいるのだろうか。
上等そうなカーペットが敷かれた、見るだけで高級品とわかる内装で整えられた廊下を眺めながら考えていたが、慕の耳に届いた声がその考えを打ち砕いた。
「なっ、何者ですか!?」
「おっと。今回は早かったな」
内心驚きながら、慕は可能な範囲で振り返る。
わずかに見える視界では、クラシカルなメイド服に身を包んだ使用人らしき女性がいるのが見えた。その女性は見える範囲でも目を見開いており、心底驚いた顔をしている。
どこからどう見ても、見知った相手に見せるものではない。
慕がじわじわと足元から嫌な予感が湧き上がってくるのを感じるのと、マルティエが慕を支える腕に力を込めるのはほぼ同時だった。
「あ、あの? マルティエさん、勝手に出入りできるほど親しい間柄の人の屋敷……なんですよね?」
「んー……俺はそう思ってるが、相手がどう思ってるかはわからないな! 毎回、追いかけっこをするから」
「あ、あの、それは……」
それは――完全に、不審者や侵入者として認識されているのではないか?
慕の背を、冷や汗がゆっくり伝うのを感じる。足元から湧き上がってきていた嫌な予感は、もうすでに最高潮にまで達していた。
このままだと、また心臓に悪いことが起きる。
慕の頭が結論を出した瞬間、マルティエの足が床を力強く蹴った。
「んじゃあ、女王様のとこまで一気に走り抜けるから、しっかり掴まってろ――っとぉ!」
「ああああやっぱりぃぃぃぃ!!」
マルティエが走り出すのにあわせ、慕の視界が揺れる。
走り出したマルティエは、声をかけてきた使用人からあっという間に距離を離していく。
彼のコンパスが長いのもあるが、それ以上に速度がおかしい。普通の人間が走ったとは思えない速度で、周囲の景色が流れていく。
真上に跳ねたり、異様な速度で走ったり、マルティエといるとまるでジェットコースターに乗っているかのような気分だ。
「待て! そこの全力疾走してる奴、一回止まれ!」
「あと、その担いでる女の子がさっきからすごい悲鳴をあげてるのが可哀想だから、一旦下ろしてやれ!」
いやもう本当に、もっと言ってやってほしい。
マルティエが角を曲がったり、方向転換したりするたびに慕の喉から悲鳴があがる。
頼むから早く女王様と呼ばれている人が見つかってほしい。切実に願いながら、彼とともに屋敷の中を駆け回り――。
「……ひどい顔色ね。はい、これでも飲んで落ち着きなさい」
「すみません……ありがとうございます……」
そうして、今に至る。
通してもらった応接室らしき部屋の中で、慕はぐったりとしたまま呟くように返事をした。
かすかな紅茶の香りを感じる室内は、落ち着いた色合いをした家具でまとめられている。全ての家具が上質そうな雰囲気を感じるもので、どこかフィデリオの家を思い出させるものがあった。
かちゃり。かすかな音をたてて、ソファーに座った慕の前にソーサーに載ったティーカップが置かれる。
シンプルな白いカップの中では、綺麗な赤茶色をした紅茶が揺れていた。
「紅茶……」
「ええ。多分、マルティエから大体の話は聞いているでしょう? うちの紅茶は、フィアーワンダーランド一番の味よ。落ち着くにはぴったりのはずだわ」
シンプルな白いカップの中では、綺麗な赤茶色をした紅茶が揺れている。
一度、フィデリオの家を思い出してしまったからだろうか。その様子にもフィデリオの家を思い出してしまって、恋しさが湧き上がる。
あんまり寄りかかりすぎては駄目だと、わかっているつもりなのに。
「……いただきます」
心の奥底からじわじわと這い上がってくるそれと一緒に、紅茶を飲み干す。
芳醇な香りと程よい渋みを感じる紅茶は確かに美味しいはずなのに。
普段、フィデリオと一緒に飲んでいる紅茶のほうが、はるかに美味しく感じられた。
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