第4話 叶うならあなたを知りたいと

4-1 叶うならあなたを知りたいと

 結局、慕の両足が地面につくのは町をぐるりと一周したあとだった。

 まだ少しふわふわしているような感覚を味わいながら、慕は両足の裏から伝わってくる地面の硬い感触を確かめる。

 時間としては数分か数十分のはずだが、数時間ほど肩に担がれた状態で連れ回されていた気分だ。


 結構な時間歩き回っていたはずなのに、にこにこ笑顔を浮かべてこちらを見下ろしているマルティエには疲れた様子が一切見えない。楽しそうな笑みを崩さずに、地面にちゃんと足をつけていることを確認する慕を撫で回してくる様子は、ほんの少しだけ不気味に映る。


「気分はどうだ? シタウ」

「……ずっと担がれてたから、両足をつけて立っているのが、ちょっと違和感あります」

「なんだ、じゃあずっと担いだままがよかったか? それとも抱き上げたほうが嬉しかったか?」

「いえ、私は自分の足で歩きたい派なので……」


 心底不思議そうな声色で問いかけながら、マルティエが再び両手を伸ばしてくる。

 見た目以上に力持ちなその腕に捕まらないよう、後ろへ下がって逃げながら、慕は苦笑いを浮かべた。

 誰かに運んでもらわなければならないわけでもないのに、青年に抱えられたまま、もしくは担がれたまま移動するのはもうお腹いっぱいだ。

 息を吸って、吐いて、気持ちを落ち着けてから改めてマルティエを見上げる。


「そうか? なら、運ぶのはやめる。地面の感触を楽しみながら歩くといい」

「はい……。……ところで、マルティエさん。マルティエさんは私を連れて、どこに行くつもりなんですか……?」


 慕は、密かにずっと気になっていたことを問いかける。

 目的地までは耐えろといって、マルティエは慕を抱きかかえたまま町を移動した。こうして降ろしてくれたということは、おそらく目的地についた、もしくは目的地に近いのかもしれないが、具体的にどこへ向かっているのか慕は一切聞かされていない。


 少し不安な気持ちになりつつの質問で、マルティエも目的地を口に出していなかったことを思い出したらしい。目をぱちくりとさせて、すぐに納得したような顔をし、ああ、と呟いた。


「そういえば、まだ伝えてなかったか」

「聞いてませんでしたね、何も」


 何も聞かされずに連れ出されて連れ回されて、驚いたんですからね。

 ほんの少しだけ恨めしそうな声を出して抗議をするも、マルティエは掴みどころのない笑みを浮かべているだけでなんの効果もなさそうだった。

 大きなマルティエの手が伸びてきて、慕の片手を包み込む。


「紅茶を愛する女王様んとこ」

「……うん?」

「あいつの紅茶、かなり美味しいからシタウにも飲ませたい。フィデリオも好きな紅茶だから、お前も気になると思ってな」


 そういって、マルティエは慕の手を引っ張って歩き出した。

 突然強く引っ張られ、一瞬慕の身体が大きく傾く。慌てて大きく一歩を踏み出して体勢を立て直し、半分引きずられるようになりながら慕は彼の後をついていく。

 紅茶を愛する女王様というのは、そのままの意味なのだろうか。


 女王と聞いて慕が真っ先に思い浮かべるのは、物語で描かれているようなドレスを身にまとい城に暮らしている女王の姿だ。

 今の慕は、フィデリオのおかげできちんとした格好ができている。しかし、物語に出てくる女王と会うには不適切な格好のようにも感じる。

 だんだん表情が引きつってくるのを感じ、慕はマルティエへ再び問いかけた。


「あ、あの、女王様って、そのままの意味ですか? ここ、城下町だったんです?」

「んー? いや、そう呼ばれてるだけ。あいつ、紅茶園の主だから」


 ざく、ざく、と土を踏む音が慕とマルティエの会話に混ざる。

 綺麗に整えられた道から土が多い道へと変わり、周囲の景色もゴシックな印象がある町並みから外れ、自然が多い景色へ変わっていく。出入り口の目印になっていると思われるゲートをくぐり、町から離れた方向へと向かっているのがなんとなくだが読み取れる。

 ひとまず本当の女王ではなかったことにほっとし、慕は再び口を開いた。


「紅茶園の主、ですか」

「そうそう。紅茶が好きで好きで、自分で作り始めたおっかない女だ。首をはねろってしょっちゅう叫んでるような奴だからな」


 物騒なワードに、慕は全身の体温が下がるのを感じた。

 言葉そのままの意味ではないだろうが、聞く者に威圧感と恐怖感を与えるには十分すぎる。特に、長らく平和な環境で過ごしていた慕には刺激が強すぎるほどだ。

 二人で言葉を交わしながらどんどん進んでいけば、やがてマルティエの目的地がはっきりと目に見えるようになってきた。


 町から離れた場所にそびえ立つ、大きな洋風の屋敷。出入り口にはおしゃれなデザインの鉄製門があり、門の隙間から見える範囲には色とりどりの花が植えられている。

 ぱっと見た印象では普通の屋敷に見えるその屋敷は、フィデリオが暮らしている屋敷に比べ、なんだか威圧感のようなものがあった。


「ここ……ですか?」


 表札も何も用意されていないけれど。

 首を傾げて尋ねると、マルティエは一つ頷いてみせた。


「ああ、ここだ。ここで間違いない」

「見たところ、表札とか見当たりませんが……」

「あいつ、そういうのを嫌うんだ。ほかに屋敷がない場所にあるから、表札なんてなくてもわかるって主張だ」

「……私がいた場所では、大体の家は表札を出していたので……なんだか不思議な気分です」


 表札を出していないなんて、不便そうだけれどそうでもないのだろうか。

 屋敷を見上げたまま、慕はぼんやりと考える。世界そのものが違うから当然だろうが、この世界の感覚と慕が生まれ育った場所の感覚は違いが大きすぎて、慣れないと感じたり不思議に思ったりする部分が多い。


 そんな思考に集中していたため、慕は己のすぐ傍から伸びてきた両腕の存在に気付けなかった。

 両脇の下に手が差し入れられ、上へ持ち上げられる。あっという間に両足が再び地面から離れ、数分前と同様に再びマルティエの肩へと担がれた。


「……あ、あの。マルティエさん?」

「悪いな、こっちのほうが速いから。しっかり掴まってろよ」

「いや、あの、待ってください。掴まってろって一体何を……おおおおお!?」


 マルティエが慕を担いだまま、その場でかがんだ次の瞬間、彼の身体が重力を無視したかのように跳びあがる。地面を蹴りつけたマルティエの身体は、高くそびえ立っていたはずの門の上を軽々跳び越した。

 突然大きく揺れる視界と浮遊感に、慕の喉から悲鳴じみた声があがる。重力や人体の限界を完全に無視したかのような動きに恐怖を感じ、とっさにマルティエの衣服を強く掴んだ。


 拝啓、もしかしたら探してくれているかもしれないフィデリオさんへ。

 早く迎えに来てください。マルティエさんと一緒に行動すると、心臓がいくつあっても足りません。

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