3-5 寄せる想いに目を伏せる
視界でちかちかと無数の星が瞬いている。
至近距離で浴びせられた光でくらんだ目を押さえ、フィデリオは忌々しそうに拳を己の膝へ振り下ろした。
「あんっの、野郎……!!」
マルティエの気質や性格は、他の誰でもないフィデリオ自身がよくわかっている。
彼はいつもそうだ。まだ一緒に行動していたときから、フィデリオが持っているものや手に入れたものに強い興味を示して手を伸ばす。まだマルティエとの最適な付き合い方を見つけていない頃、せっかく苦労して手に入れたものを横から奪われるのもしばしばあった。
そういう傾向があると気付いてからは対策を行い、横取りされることもなくなった。だが、まさか人間にもその法則が適用されるとは。
極力近づけないと決めたばかりなのに、あっさりかっさらわれた自分に対して腹が立って仕方ない。
「……落ち着け。落ち着きなさい、アタシ」
大きく深呼吸をし、怒りと悔しさでぐちゃぐちゃになっていた頭の中を整理する。
相手はマルティエだ。感情のままに行動しても勝ち目がないことは、フィデリオ自身がよくわかっている。
落ち着いて、冷静に、慌てずに。相手のペースに呑まれない。マルティエと交流をする際に大切なのは、この三点だ。
己の中で渦巻く感情のままに行動しては、マルティエに勝てない。
ぱしんと自分の両頬をひっぱたき、一旦頭の中をリセットし、フィデリオは深く溜息をついた。
「あいつとずっと一緒にいたら疲れるだろうし……早く迎えにいってあげなきゃ」
呟きながら頭に思い浮かべるのは、己のテリトリーの中にふらりと現れた少女の顔。
はた迷惑な性質がある蝶どもに誘われて迷い込んできた、違う場所に住んでいた人間。少しおどおどした雰囲気がある彼女を最初に見つけたのは、マルティエではなくフィデリオだ。
「……シタウを先に見つけたのは、アタシ」
あの少女を見つけたのも。彼女がこの世界にいる間、傍に置くと最初に決めたのも。彼女にさまざまなものを与えているのも。全て、他の誰でもないフィデリオだ。
ここまで手をかけているのに、後々からひょっこり現れたマルティエに全て横取りされるなんて耐えきれないし絶対に許せない。
「あの子は、アタシの獲物なんだから」
己の中でふつふつと渦巻くこの衝動は、きっと獲物を横取りされそうになっている怒りだ。
小さく吐き出された声は、慕の耳に届くことなく、ひっそりと空気に溶けて消えていった。
……一体、何がどうなってこうなっているのだろう。
一方、慕はマルティエの肩に米俵のように担がれた状態で遠い目をしていた。
視界で光が弾けたのはよく覚えている。いきなり後ろから抱え上げられ、そのあとに光が弾けて、それから――それから?
「ん。目はくらんでないか? えーっと……シタウ、だったな」
「まだちょっと、ちかちかしてますけど……一応大丈夫です……」
少しだけ身じろぎすると、マルティエが声をかけてきた。
先ほどまでの面白がるような声色とは異なり、こちらを気遣っているようにも聞こえる声だ。少しはこちらを心配してくれているのだろうか。
正直、こちらを心配する前に地面に下ろしてほしいところなのだが。
「もう少しじっとしてろ、落ちると危ない」
「私としては、下ろしてほしいんですけど……」
マルティエはまだ慕を下ろす気はないらしい。しっかりと肩に慕を担ぎ直してから、どこか楽しげな様子で歩き出した。
マルティエが一歩踏み出すたびに伝わってくる振動を感じながら、慕は彼の肩の上から見える景色を見渡す。
どうやら、マルティエは慕を担いだまま、どこかの町に一瞬で移動してきたようで、一度も目にしたことがない町の景色が広がっていた。
チェシーレの店へ買い物に行った際に目にした町とは異なる、ゴシックな雰囲気のある町。チェシーレの店がある町は全体的に可愛らしく明るい印象だったが、こちらは建造物の色合いが暗いものが多く、少しの不気味さも感じられた。
どうやったのかはわからないが、全く知らない場所に連れてこられた現実に、慕の背筋を冷や汗が流れた。
どうしよう。
急に連れ出されたわけだから、きっとフィデリオは心配している。
少しでも早く彼の下に帰りたいのに、全く知らない場所では帰り道がわからない。自分がどこにいるのかわからないのに、予想で行動するとろくなことにならないのは、はじめてフィアーワンダーランドに迷い込んできた日に思い知っている。
あの頃とは異なり、チェシーレのところで手に入れた教材のおかげでフィアーワンダーランドの言葉を少しは話せるが、誰とでも日常会話を行うのは少し難しいぐらいの習得具合だ。見ず知らずの人に話しかけて道を尋ねるのは、少々難易度が高い。
だが、帰り道がわからない以上、いざとなったらそうするしか選択肢がない。
「怯えなくても、別に頭からバリバリ食おうと思ってるわけじゃない」
慕が帰り方について悩んでいるのを感じ取ったか、マルティエが声をかけてくる。
一瞬、自分が考えていることを言い当てられたかのような気分になり、慕の両肩が大きく跳ねた。
彼の肩の上で身を固くしていれば、マルティエはくつくつと楽しげに笑った。
「じゃ、じゃあ、なんのために私を連れ出したんですか……」
正直、慕からするとどうしてマルティエに連れ出されたのか、理由が全くわからない。
慕とマルティエは今日が初対面だ。昔からの間柄でなければ、どこかですれ違ったわけでもないのに。
小さな声でぼそぼそと呟くように問いかければ、マルティエは一度足を止め、慕の顔が見えるように担いでいた姿勢から抱えた状態へ変えた。
突然ぐるりと視界が揺れ、慕の目の前に不思議そうな様子のマルティエが映し出される。
「あ、あの……?」
「少し話してみたいと思うのは、そんなにも変なことか?」
「え」
彼の唇から紡がれた言葉に、今度は慕が目をぱちくりとさせた。
話してみたいと思うこと自体はおかしいとは思わない――が、話してみたいと思われるほど興味を持たれていたのは少しだけ予想外だ。
フィデリオが抱えている秘密を暴くために接触してきたのだと思っていたが、接触してきた目的はそれだけではなかったのか。
「それに、あいつのことだ。きっとお前を大事に大事に囲い込んで、外の世界を必要以上に見せないようにしてるだろう? だから、お前に外の世界を見せる目的もある」
「外の世界……」
確かに、慕はほとんどの時間をフィデリオの家の中で過ごしている。
今だって、突然連れてこられた見知らぬ場所に混乱して、どうすればフィデリオの下に帰れるのかわからず不安になっている。
外に出かけたのもチェシーレのところに行ったのがはじめてだ。それ以外では、自主的に外の世界へ出たことはない。
どれくらい過ごすことになるのかわからないが、この世界で過ごす以上、少しでも多く外の世界を知っておくのは悪いことではない――かも、しれない。
「……外の世界を見せてくれるのはありがたいんですけど、担がないで普通に下ろしてほしいです……」
「とりあえず、目的地につくまでは耐えろ。迷子になられると後々が面倒だ」
「そんなすぐに迷子になるような年ではないですから……」
話が一段落したタイミングで、マルティエが再び慕を米俵のように担ぐ。
両足が地面につくのはもう少し先になりそうな現実に、慕は思わず遠い目をし、腹が立つほどに青い空を見上げた。
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