第3話 寄せる想いに目を伏せる

3-1 寄せる想いに目を伏せる

 チェシーレの下で必要なものを揃えた翌日。

 慕は鏡の中にいる自分の姿をまじまじと見つめ、わずかに表情を引きつらせた。


 鏡に映っている慕は、落ち着いた印象のある赤いワンピースを身にまとっている。ケープとセットで着ることを前提としているデザインは、見る者に可愛らしい印象を与える。

 だが、ワンピースにもケープにも、リボンやフリルがたっぷりと使われている。首元も大きめのリボンが縫い付けられたリボンチョーカーで飾られており、とにかく今の慕はリボンで飾られていた。

 こういった衣服に憧れを抱いても実際に着ることはなかった慕からすると、少々抵抗感を覚えるものがあった。


「あ……あの……フィデリオさん。これ、どれも私には似合わないと思うんですけど……」

「何おかしなこと言ってるの。よく似合ってるじゃない」


 錆びついたおもちゃのような動きで振り返り、慕は椅子に座ってこちらを見ているフィデリオへそういった。

 朝一番にフィデリオに呼ばれ、彼の部屋に足を踏み入れたら始まったファッションショー。おしゃれにまとめられた彼の部屋の中で、こんな格好をしているのは少々落ち着かないものがある。

 だが、対するフィデリオは満足げな表情で慕を見つめ返しているだけだ。


「で、でも……こんな格好、あんまりしたことないし……」

「いいこと? 『見慣れない』と『似合わない』は、よく似ているけれど別よ。見慣れなくて落ち着かないから、似合わないって思い込んでるだけ。見慣れてくれば違和感も薄れてくるわ」

「……本当に?」


 改めて、慕は鏡と向き直り、ワンピースの裾をつまんだ。

 何度見ても似合っていないようにしか思えない。こんな格好、元の世界でしていたら好奇の目にさらされてしまうことだろう。

 優雅に紅茶を一口飲み、喉の乾きを癒してから、フィデリオは溜息を一つついた。


「なんだか疑り深いじゃない。アタシのセンスが信じられない?」

「そ……ういうわけじゃないんですけど……」


 フィデリオのセンスが信じられないわけではない。

 彼のセンスが慕よりも優れていることは、身にまとう衣服や部屋の内装から感じ取れる。美しいものを好むだけあって、フィデリオは自身に似合うものを選ぶ能力に長けている。

 そんな彼が手ずから選んでくれた服だ。本当に慕に似合っている――のだろうけれど。


「……笑われませんか? 私みたいなのが、こんな可愛い格好してると」


 ぽそりと吐き出した言葉は、ひどく小さくか細いものだった。

 フィデリオへちらりと視線を向けると、きょとんとした彼の顔が視界に映った。だが、すぐに何か理解したような顔をすると、手に持っていたカップを置いて慕に手招きをした。

 首を傾げつつ、慕は素直に応じてフィデリオの傍へ近寄っていく。

 ある程度の距離まで近づいたところで、フィデリオの手が慕へ伸ばされ、ふわりと髪を撫でられた。


「忘れなさいな、そんな記憶」


 ここには、あんたを笑うような奴なんていないんだから。

 優しく穏やかなフィデリオの声が、慕の鼓膜を震わせる。


「シタウは十分魅力的な女の子なんだから、自信を持ちなさいな」


 そういって、フィデリオが柔らかく笑う。

 彼の唇から紡がれた言葉を頭の中で復唱し――少し遅れて、慕の頬がぼっと熱をもった。

 髪を撫でる手を止めずに、至近距離で優しい笑顔を向けてくるのだから心臓が騒いで仕方ない。


「……あんまり、褒めないでください……なんだかすごく恥ずかしくなってくるので……」

「嫌よ。アタシは魅力的なものはきちんと褒める主義なの。早く慣れなさいな」

「ううう……」


 小さく唸りながら、慕は赤くなっているだろう顔を両手で隠した。

 直球な褒め言葉に慣れていない身からすると、フィデリオの褒め言葉は刺激が強い。


「……頑張って、ちょっとでも早く、慣れれるようにします……」

「そうしなさい。アタシは一切手加減しないから」


 顔を覆っている指の隙間から、そっとフィデリオの表情を盗み見る。

 相変わらず髪を撫でながらこちらを見据える彼の表情は、どこか楽しげで――ほんの少しだけ悪い顔をしているようにも見えた。


 再びフィデリオから視線をそらし、一回、二回、大きく深呼吸をする。

 新しい空気を胸いっぱいに取り込めば、慌てふためいていた心臓も少しずつだが落ち着きを取り戻してきた。


「ほら、落ち着いてきたらこっちの服も早く着てみてちょうだい。シタウに似合うだろうなって思って買ってきた服はまだまだあるんだから」

「わ、わかりました。わかりましたから、あんまり急かさないで――」


 ふいに、扉をノックする音が響いた。

 紡がれていた慕の言葉は、最後まで紡がれることなく途中で途切れた。

 先ほどまで上機嫌そうだったフィデリオの表情も、みるみる間に不機嫌になっていく。今の感情を率直に表すように、整えられた眉が中央へ寄せられた。


 どんどん。

 どんどん。

 少々乱暴なノックの音は、絶えず玄関のほうから聞こえてくる。


「お客さん……?」


 来客なら、早く応対しなければ。今の格好で人前に出るのは恥ずかしいが、客人をあまり待たせるわけにはいかない。

 慕は顔を覆っていた手を下ろし、フィデリオの傍を離れて玄関へ向かおうとした。


「待ちなさい」


 だが、フィデリオに腕を掴まれ、その足は玄関に到着する前に止められた。

 目をぱちくりとさせ、慕は改めてフィデリオを見る。

 いまだにノック音が聞こえてくる玄関方面へ視線を向け、フィデリオは深い溜息をついた。


「アタシが出るわ。シタウはここで待ってなさい」

「え、でも……」

「いいから待ってなさい。アタシが戻ってくるまで、ここから出てこないようにね」


 慕に反論する時間を与えず、フィデリオは一方的に告げた。

 慕が何か言うよりも早く、腕から手を離して部屋の外へ出る。慕が呼び止めようとした瞬間に扉が閉められ、部屋の中は静寂に包まれた。


「……どうしたんだろう、フィデリオさん……」


 フィデリオがあんな態度になる瞬間なんて、これまで一度も目にしたことがなかった。

 故に、疑問で仕方ない。来客の気配を感じただけで、どうしてあんなにも不機嫌になったのか。


「何か嫌なことでも思い出したのかな……」


 小さな声で呟いても、返事をしてくれる声はどこにもない。

 気になるものはあるけれど、言いつけを破って怒られるのだけは避けたい。


 自分の中で騒ぎ出す好奇心に蓋をし、慕はベッドに腰かける。

 フィデリオがいない部屋の中はとても静かで、彼の私物で溢れている空間の中にいてもなんだか寂しく感じられた。

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