2-6 リボンを結んで過ごす日々
大体こんなものかしら。
ずらりと並べられていた服の中から、少女向けのデザインのものをひたすら選んでいたフィデリオは一度手を止めた。
抱えている衣服は日常使いを意識したものだけでなく、よそ行き用やナイトウェアなど、数えだしたらきりがないほどの量がある。
我ながら選びすぎたかと一瞬考えたが、相手は生活に必要な衣服を一切持っていない子供だ。それも女の子。これくらいでも少ないぐらいかもしれない。
「うーわぁ。ずいぶんとたくさんの数を選んだにゃあ、お前」
「あら。こっちに来るのがずいぶんと早いじゃない」
ああ、これもいいかもしれない。
聞こえた声に返事を返しながら、フィデリオはまた一つ新しい服に手を伸ばした。
これが慕だったら悲鳴の一つでもあげて驚いただろうが、フィデリオはチェシーレがする唐突な登場に慣れきっている。
音もなく、突然フィデリオの傍に姿を現したチェシーレは、若干引きつった顔をしながらフィデリオが持っている衣服の一つを手にとって広げた。
ケープとセットになった、リボンとフリルを豊富にあしらったワンピース。いかにも女の子向けですと主張しているそれを、遠くのエリアでスキンケア用品とにらめっこしている慕の姿と重ね合わせた。
「少女趣味なものを選んだにゃあ、お前さん」
「似合うでしょう?」
「確かに似合うとは思うけど、あの子は控えめな性格だし素直に着てくれないと思うけどにゃあ」
そういいながら、チェシーレはフィデリオが選んだ他の衣服も同様にリボンを豊富に使った少女趣味なデザインのものだ。さすがに就寝時に着るナイトウェアは控えめなデザインをしたネグリジェを選んでいるが、あの控えめな雰囲気をもつ彼女にとっては刺激が強いだろう。
フィデリオの腕から衣服の山を抜き取り、全て籠に放り込むと、チェシーレは息を吐いた。
「それに、どれもこれもリボンが使われたものばかり」
フィデリオの手が止まる。
数拍の沈黙の後、フィデリオはゆっくりと振り返り、己のすぐ傍にいるチェシーレを睨むように見つめた。
「何が言いたいのかしら」
チェシーレの口元が、にんまりと弧を描いた。
いつもフィデリオが目にしている、にたにたとした悪巧みをしていそうな顔。
「いいや? あの子を保護したと口では語り、中身ではすでに飼い殺す気満々だなんて、悪い奴だなと思っただけにゃあ?」
ぴく、とフィデリオの指先がかすかに動いた。
落ち着け。人を苛立たせるこいつの話し方は昔からじゃない。
自分に言い聞かせながら深呼吸をし、心に生まれた苛立ちを飲み込んでフィデリオは口を開いた。
「人聞きが悪いわね。あんな不安定な子供、放り出す気になれなかったから面倒見ることにしただけよ」
「にゃっはっは。その言葉が嘘偽りのない真実なら、お前さんは本当に丸くなったんだにゃあ」
けたけたと笑い、チェシーレは悪巧みをしてそうな笑みを浮かべたままフィデリオの名前を呼んだ。
「人間の恋心を好んで喰らう心喰族、帽子屋ことフィデリオ・フォリルシャーポ」
意図的にフィデリオが慕へ伝えていなかった名前を。
「人間を傍に置いては好きになるように仕向けて、恋心を喰らうのを繰り返していたお前が。完全なる善意で迷える子供を助けてるなんて知ったら、お前を知る奴らはみーんな目玉をひん剥いて驚くにゃあ?」
再びわずかな沈黙が周囲を満たす。
止まっていた手を再びゆっくりと動かし、フィデリオは答えるために口を開いた。
「……確かに、あの子が砂の味がしない恋心を抱けたら対価にもらおうと思ってはいるけれど。アタシがそれをして、あんたが何か損をするの?」
「べーつに。でも、お前さんもよーく知ってるはずにゃあ。心ってのは一筋縄ではいかないってことを」
その一言を聞いた瞬間、フィデリオの脳内に一つの記憶が蘇った。
今よりもずっと昔、フィデリオがまだ凄腕の魔法使いとしてフィアーワンダーランドにその名を轟かせていなかった頃に出会った、一人の人間と過ごした記憶。フィデリオにとって苦味しか感じないはずなのに、ふとしたときに蘇ってくる大事な記憶。
『フィディ!』
親しみを込めてフィデリオをそう呼んでくれた声が、蘇る。
唇を噛み、フィデリオは何も答えずにチェシーレが用意した籠の持ち手を掴んだ。衣服である程度の重みがある籠を片手に、未だにスキンケア用品を選んでいる慕の傍へ向かうために一歩を大きく踏み出した。
「覚えてるわよ、よぉくね」
そっけない口調でそう返し、足速に慕がいるほうへ向かっていくフィデリオの背中を眺めながら、チェシーレはくつくつ声を押し殺して笑う。
「全く。楽しくって仕方がない」
きっと、傍にフィデリオがいる状態でこぼせば恨みがましい目で見られただろうが、この場にはチェシーレ一人しかいない。
あっという間に慕の下へ辿り着き、スキンケア用品選びで迷っていた彼女に何やら声をかけているフィデリオと、そんな彼に対して少々申し訳なさそうな顔をしている慕。二人の様子を遠目から見守りつつ、チェシーレは呟いた。
「あの子のためのふりをした、己のための親切の皮。はたしてそれが、いつまで続くか見ものだにゃあ?」
小さく吐き出されたチェシーレの声は、離れた場所にいる慕とフィデリオの耳に届くことなく空気に溶けて消えていった。
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