花火の中で、君と
二川 迅
第1話
野球はボールが当たると痛いから辞めた。
サッカーはたくさん転ぶから辞めた。
水泳は息が出来なくて苦しいから辞めた。
バスケは先生が厳しいから辞めた。
軽音はバンドをやる仲間がいないから辞めた。
美術は絵が下手くそだから辞めた。
人生の分岐点を自ら消去していく。
悪い事だとは思っていても、それらの「しがらみ」から解放されていく瞬間は意外と心地いいものだ。
多摩川の土手を一人で歩く。
近々、多摩川で大きな花火大会を開催するらしく、そんなチラシがだるそうに歩く僕の横を通り過ぎた。
蝉の声がウザったい。元気そうに遊ぶ子供達が目障り。道を邪魔してくる大きな蜘蛛を踏み潰したい。
今、僕はこの世の全てを呪ってやりたいと心底思えるようになった。
そんな邪な僕の元に、一通のメールが届いたのは、高二の七月だった。
欠伸を噛み締めて、僕は快速電車に乗り込む。
電車に乗っている間は、ひどい虚無感に駆られる。というのも、酷いくらいに眠気が襲ってくるからである。
僕は昨日、水曜日に携帯に通知されていたメールを開く。
From:ーーーー
To:自分
日付:2020年7月14日 午後5時38分
用件:暇なら、私を助けてよ。
たったのこれだけだった。
誰から送られてきたのかも分からないし、見ず知らずの人を助けようとも思わない。
「よう、
ポン、と肩を叩かれて、僕は慌てて携帯を隠す。
「あ、おう、
満員電車の中、涼しい顔をして微笑んだ小尻
「何見てんの」
「いや、迷惑メール」
「へぇ、架空請求じゃね」
「そんなんじゃないよ。誰かのイタズラだと思う」
小尻と会ってから、僕はもう一度携帯を開くことは無かった。
学校に着く。
まだHRまでは時間があるため、ほとんどの人が立ち歩いて友人との話に華を咲かせていた。
窓際の一番後ろの席まで歩く。その途中、僕は誰にも声をかけられることは無かった。
隣にいた小尻には多くの人が話しかけてるのに。
なんて、心の中で不平不満を垂れ流す。
小尻の席を中心に人が集まっているのを羨望の眼差しで見ていると、携帯が震えた。
電話かと思って携帯を覗くと、バイブは一回で止まった。
電話する相手もいないし、LINEも家族や小尻以外には業務連絡以外はしない。
いや、誰も相手にしてくれていないというのが正しい。
From:ーーーー
To:自分
日付:2020年7月15日 午前8時25分
用件:お昼、一緒に食べよう。中庭に集合ね。
「……」
一体、誰なんだ。
昨日から続いているイタズラメールに苛立ちを覚える。
しかし、今考えられるのは、このメールの送り主がこの学校の生徒であること。
ここまで来たら、この送り主を追い詰めて痛い目を見せてやろうと思うようになる。
イタズラの張本人に一泡吹かせてやる作戦を考えていたら、いつの間にか4時間目が終了していた。
僕はすぐさま、弁当を持って教室をあとにした。
中庭に行くと、まだ生徒の姿は一人も確認出来ていない。
どうやら、早く来すぎてしまったようだ。
大きくため息をついて、近くのベンチに座り、携帯を開く。
「…あっつ…」
蝉がうるさい。陽射しが辛い。
ただただ座っているだけで、ダラダラと汗が流れている。
昨日、神奈川の上空で隕石が確認されたらしい。
落下途中に砕けて無くなったそうだが、それを撮影した動画を見るに、確かに大迫力ではある。
今日のニュースはそれで持ち切りだ。
あとは殺人事件、強盗事件など、物騒なニュースも流れ込んでくる。
そんなニュースをもう二通りは見た。
いつまで経っても、集合場所に送り主が来ることは無かった。それどころか、人っ子一人いないこの空間で僕は何一人でニュースを読みふけっているんだ。
「…あほらし」
そもそも、顔も名前も知らない奴をここまで待ってやる義理なんか存在しないわけで。
メールを送るだけで実害はないわけだし、このまま放置しておけばあちらから諦めてくれるに違いない。
そう自己解決した僕はベンチから立ち上がって、飲み物を買おうと自販機へ向かうその瞬間。
「……やぁ」
声が、した。
陽気な口調の割に、どこか悲しげな雰囲気を醸し出している。
でも、その声に、覚えはない。
声のした方へ振り返る。
半袖のワイシャツに指定のリボン、そして、少し短めのスカートを履いた少女が立っていた。
恐らく同学年であるとは思うが、僕は一度も彼女の顔を見たことは無い。
「…待たせてごめんね」
「あんたが、俺にメール送った奴?」
少女はニンマリと笑うと、一度大きく頷いた。
「何をしたかったのか分からないけど、「助けてくれ」とか「お昼食べよう」とか、そういうイタズラやめてくれない?」
「前者に関しては後で説明するとして、後者はバックれることも出来たのに、ちゃんと来てくれたじゃん」
表情を崩さないまま、少女は話を続けていく。
「それは…まぁ、誰なのか気になったから」
「そっかそっか、私に興味があるんだね。もしかして、女の経験ないのかな?」
「無いよ。ていうかどうでもいい。用が済んだなら僕は帰るよ」
これ以上、彼女と話していても一向に進む気配がないし、ストレスが溜まるだけだ。
僕は身を翻して教室へ戻るために歩を進めた。
「待って待って、お昼食べようって言ったじゃん。早く食べよう?」
「……はぁ」
早く帰りたい一心だったが、結果的に彼女の提案を了承したのは事実だ。
僕は大きくため息をついて、先程まで座っていたベンチに腰掛け、弁当を広げる。
すると、少女は嬉しそうに笑って僕の隣に座る。
「いただきます」
律儀に手を合わせてから食べ始めた。
「あ、そうだ。自己紹介がまだだったね」
「梁之宮
相手を突き放すように、ぶっきらぼうに名乗った。
少女は表情一つ変えず、右手を自身の胸を当てて笑った。
「
名前を聞いて思わず、ふざけてるのか?と怒りたくなった。
しかし、それを堪えて、僕は驚いた顔を貼り付ける。
「珍しい名前だな」
これで、「やっぱり嘘だよ」なんて言ったら怒ることにしよう。
さすがに本名を名乗っただけで怒られるのは理不尽すぎる。
「あははー、昔からよく馬鹿にされてたんだよねぇ」
ケラケラと笑う朔原。
よくよく顔を見ると、だいぶ整っている。大きな瞳にきめ細やかな肌。
こんな変な出会いじゃなかったら、思わず惚れていたかもしれない。
「じゃあ、朔原。メールの件の事教えてくれ」
「天識って呼んでよ。紫峡君」
「はぁ、なんでだよ。そんな親しくもないだろ」
「これから親しくなるの。だから、これは第一歩だよ。はい、せーの」
「て…てん、し…」
女の子の名前を呼ぶのは、初めてである。
自然と、名前を呼ぶことに抵抗と羞恥が襲いかかる。
喉から、思うように声が出なくなる。
幼なじみがいる訳でもないし、この学校に親しい女子がいる訳でもない。したがって、僕は緊張していたわけだ。
「声が弱い。せーのっ」
「て、天識…」
「よく出来ました、ううん、よくできまちたねぇ」
「おい」
にっこりと笑うと、天識は僕の頭を撫でてくる。その子供扱いに一瞬だけ握りこぶしを作ってしまう。
「……で、「助けてくれ」ってどういう事だよ」
「…そのまんまの意味だよ」
一番めんどくさい答えが返ってきてしまった。
僕はまたもため息をついて、軽く睨みつけるように目を細めた。
「そのまんまの意味に捉えるとして、なんで僕なんだ」
「暇そうだったから」
「ますます意味わからん」
その瞬間、天識から笑顔が消える。
その顔を見た瞬間、僕の耳はほぼ全ての音を遮断した、蝉の声も気が揺れる音も、ただひとつだけ、天識の声だけが直接耳に入り込んできた。
「傷だらけの私を、癒してよ」
周りの雰囲気が変わった。
心臓を握りつぶされるかのような感覚に陥った。
「……どこに傷があるんだ。見たところ外傷は無さそうだし、お前なら精神的な苦痛もなさそうだけど」
「…そう見えちゃう?」
再び笑顔に戻った天識は僕の顔を覗き込んだ。
意外と近くにあった天識の顔に僕は引きつった。
「紫峡君、君の生きがいはなに?」
唐突な質問。
それに対して僕は色々も思考を巡らせる。
家族と過ごすこと、ゲームをすること、どこか旅行に行くこと。
あげればキリがないが、それらの答えは僕にとって全てNoだ。
「生きがいなんてない。強いていえばご飯を食べることだ」
「じゃあ、今、何か没頭してる事はある?」
「ない。強いていえばご飯を食べることだ」
「じゃあ、前までハマってた事は?」
「ない。強いていえばご飯を食べることだ」
「ねえ、真面目に答えてよ」
あまり自分のことを知られたくない事が先走って、知らないうちに適当な返事になってしまっていたらしい。
天識の少しトゲついた声と頬をふくらませて可愛らしく怒る顔から察することが出来た。
僕はいい感じにその怒りを回避する方法を模索する。
「それだけ、僕には何も無いんだ」
「へぇ、空っぽなんだね、紫峡君って」
「ストレートに言うんだな」
「だってほら、友達って遠慮する必要ないじゃん?」
「親しき仲にも礼儀あり、だぞ」
出会って数十分の人間に、少々失礼すぎないか。そんな不満を漏らす前に、天識は手を合わせて謝っていた。
「あはは、ごめんね。私の悪い癖なんだ」
「…あっそ」
これ以上、彼女といたら疲れそうだ。
「それじゃあさ、暇つぶし程度に、私を救ってよ」
「…意味がわからん。詳しく話してよ」
僕がそう返すと、天識はニヤリと口角を上げて、微笑んだ。
「詳しく知ったら、後戻りは出来ないよ?」
「そうか、じゃあ断る」
そう言って、弁当を閉じて僕はベンチから立ち上がる。
しかし、天識はそんな僕の左手をしっかりと掴み、握る。
女の子の手って、こんなに柔らかいだと、なんとも場違いなことを考えてしまう。
「君が救ってくれるまで、私は君に付きまとうよ?」
「逃げ道ねぇじゃねぇか」
「そういうこと、もう私に目をつけられちゃったんだから諦めて話を聞いてよ」
これ以上抵抗しても、きっと彼女は僕を追いかけ続けてくるんだろう。
そんな気味の悪い未来にしたくない。そう思った僕はため息をついてもう一度ベンチに座る。
「で、なんなの?」
「私ね、学校じゃ普通の生徒なんだ。何なら、美人で有名くらい」
「…よっぽど自信あるんだな自分に」
「まぁね。これでも自分の可愛さくらいは自覚してるよ」
自慢げに鼻を鳴らす天識。普通の女子ならイラつくところでもあるが、自然と天識が言うとストンと腑に落ちた。
「で、それがなんだよ」
「私を、親から解放して」
「親?」
少しだけ、声が震えていた気がする。
それを察知した僕は表情を変えて、素直に天識の話を聞くことにした。
「そう、私の親」
「虐待でもされてるのか?」
「んー、まぁそんなとこ」
「警察や相談所に行けばいいじゃねぇか。ただの一般人に頼るよりもよっぽど有力だろ」
天識は僕の提案に小さく首を横に振った。
「もう相談してる」
「…それで変化なしってことか?」
「うん。むしろ、私が相談したことがバレて更に酷くなったくらい」
「…なら親戚とか、赤の他人の僕じゃどうしようもない」
「…親戚はみんな、お母さんの味方なんだ。つまり、血縁の中じゃ私は完全アウェーってこと」
自嘲するように鼻で笑う天識。
意外と深刻な問題に、僕は何も答えられずにいた。
「それで、最終的に君に頼ることになったわけ」
「親しい友達とかは?」
「逆効果だよ。友達の親の伝手を辿って更に酷くなるだけ」
「……つまり、大して親しくない俺ただ一人しか頼れないってことか」
「そういうこと。だって君、女子に興味無さそうだしさ。下心で協力してくる人じゃないし。有名人の私の名前すら知らなかったもんね」
「…否定はしない」
大してイケメンでもなくて高身長でもスポーツマンでもない僕が恋愛なんてできるわけがない。
恋をしても、一瞬で玉砕するのがオチだ。
どちらかと言うと、人の恋のエキストラみたいな立ち位置の方が落ち着く。
「おっと、もうすぐ昼休み終わっちゃうね。じゃあ、放課後、一緒に帰ろ?」
「……あぁ、うん」
「またねー」
手を振って、弁当を片手に歩いていく天識の背中をずっと見ていた。
なんだか、不思議な感覚だ。
天識という少女は陽気で、表裏がなさそうな、人気者の少女だという印象を受けた。
そんな人気者の彼女の闇を出会って数分で知ってしまうことになってしまうとは。
しかも、その闇を振り払うための協力を受諾してしまって、それに加え、家族のしがらみという、明らかに干渉しにくい事柄である。
今すぐボイコットして、普段の生活に戻りたいと思っても、この問題を解決するまで、平穏は訪れないだろうと、半ば諦めていた。
昼休み終了の予鈴がなったのは、それから一分後だった。
花火の中で、君と 二川 迅 @Momiji2335
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