第26話

 天をつくような開放感がある大広間から広幅な階段を上がる。そんな僕のかたわらには小動物のようなあくびをつく後輩女子がひとり。思えば移動に使ったバスの車窓に反映していた横顔もこんな感じだったな。

「寝不足かい?」

 小声で尋ねる僕に、

「実は徹夜明けで」

 知子ちゃんはどこか誇らしげにまぶたをこする。

「東京のとある芸能事務所で子役のオーディションが行われると聞きまして、きゅうきょプロモーションビデオの製作に着手しましたっ」

「撮影してたってこと?」

「ノンノン、まずは台本作りからでーす」

(自己PRの枠を越えている)

 世界広しといっても、子役の募集にひとり芝居と思われる演劇の映像を送ろうとする人間なんて君ぐらいだろうね。応募要項を読み損じてなければいいけど。

「そういう先輩は眠れましたか?」

「うん」

「そのわりにはどことなーくお疲れ気味なご様子ですけど」

「……気が重いんだよ、きっと」

「あの部長と1対1の勝負ですもんねー」

「まあ、ね」

 僕は話題が数日前の夢に及ばぬよう言を左右にしつつ、歩みを進める。

 いくつものごうしゃな開き窓、欧風の壁面、せんこうのじゅうたんと、市長の息子という肩書きを持ってなお歩き慣れない屋敷の廊下を何度も曲がり、ようやく僕たちは3階にある桜花の自室の前までたどり着いた。

 途中、エプロン姿の家政婦や黒服の男性と数人ほどすれ違ったものの、いずれの相手にも知子ちゃんは仮面を脱がずにすましていた。

 けれど彼女のことだ。黒服たちが僕に向けていた憎悪、もしくは須佐美一家の総領娘を殺しかけたことへの義憤を宿した目遣いに気がついてたとしても不思議はない。

 それでいて文句ひとつ言わずに平静を装ってくれたのだとしたら、先輩みょうに尽きると言わざるを得ないな。

 ガイドの役目をきちんと果たしてくれた不動さんは「わたくしめはこれにて」と言い残し、きびすを返していった。いつもならここで頼まれずともお茶を淹れたがるんだけど、そんなそぶりさえなかったあたり、今日に限っては立て込んでいるらしい。

 不動さんには申しわけないけど、これで少しは気を遣わずにすむというものだ。

「それにしても、ほんと大きいですよねー。先輩のお家もこんな感じだったりします?」

「まさか。ローンを組めればあっけないぐらいに手が届くただの一戸建てだよ」

「意外! それは庶民的ッ!」

 実際問題、事務所の維持やらなんやらで出ていくお金もバカにならないからね。よそは知らないけど、現真白市長のやりくり算段にかけてはいたってポピュラーだよ。

「じゃーこんなとこに住める部長の両親って、いったい何者なんでしょ?」

「好奇心は猫を殺す。せんさく好きもほどほどにしておきなさい」

「ほーい」

「……本当に頼むよ?」

「これそんなにマジめな話でした?」

 知子ちゃんは小首をかしげる。

「少なくとも不真面目な話じゃないさ」

 いわくありげにそう答え、僕はくるりと正面の扉に向き直る。ローズウッドとおぼしきシックな濃色はいつ見てもされてしまう。

 幼なじみの部屋まで遊びにきただなんて気安く思える日はいつ訪れるのやら――そんな所感をごまかすつもりで、僕は濃色の扉を2回ほどノックした。

「いるかい桜花。僕だ」

 しばし沈黙が続く。試しにドアノブをひねってみると、油でも差したようにあっさり半回転した。

 返事がないんだったら仕方ない。いざとなったら「刻限どおりに訪ねただけ」「カギを閉めてないほうが悪い」とでも言い訳するか。

「入るぞ」

「許可もなく女の子の部屋にっ!?」

「あいつがこの程度で動じるもんか」

 僕は半歩後ろに下がりつつドアノブを引く。桜花の自室へは何度も足を運んでいたが、このとき目に飛び込んできた光景には目を疑わざるをえなかった。その部屋は、僕のいかなる記憶とも異なる様相を呈していたのである。

 ゆらりゆらり、闇にほのめくしょくだいのろうそく。あちらこちらで静かに燃えれども、あまねく室内を照らすにはなお足りず、もはや訪れし者の視線をいざなうだけの灯火となりはてていた。

 もしかすると、それこそが部屋の中央で肘掛け椅子に座る幼なじみの思惑なのかもしれない。

「――なんだ、いるじゃないか」

 数あるろうそくのうちひとつ、アンティークな三つ足の円卓に載ったそれを頼りに、桜花は文庫を読みふけっていた。表紙と髪の隙間からのぞく横顔を見るに、こちらを出迎えようなどというしゅしょうな意識はちっとも抱いてなさそうだ。

 トークオブトリップの日程まで指定したんだから、こんな大それた模様替えよりほかに優先すべきことがあるだろうに。

「うわっなにこれ……?」

「知子ちゃん、足もと気をつけてね」

 桜花の趣味を勘違いしてそうな後輩女子に注意を促した直後、大げさな力加減で本を閉じる音が僕の耳を伝う。

 前方に目を移すと、先ほどまで無関心を貫いていたはずの桜花が読書をやめ、やたらつんつんした形相でこちらを冷眼視していた。

「キーパーは必要なのだけれど」桜花はぽつりと切り出す。「アカネのような人を連れてくるのね」

(相変わらずえんな言い回しだなあ)

 フラワーショップじゃあるまいし、花言葉でたとえられてもたいがい理解できないっての。

「知子ちゃんはを作ってくれた協力者だ。最後の最後で外すなんてまねできるかよ」

「協力者がたったのひとりだなんて、副部長なのに人望がないのかしら」

「勝手に哀れむな」

「ごめんなさいね成海さん。懐人の尻ぬぐいまでさせてしまうだなんて」

「自分が勝つ前提で話を進めるな」

「いえいえ、懐人先輩のお尻なら喜んでふきますよー?」

「人をおじいちゃん扱いするなっ! というか君たち僕で遊びすぎじゃない!?」

「遊びすぎもなにも、私と遊ぶために来てくれたのでしょう?」

「もてあそんでいいとは言ってない!」

 少しは僕の人権を尊重しろ。

「懐人先輩! アタシは遊びじゃなくて本気ですよっ!?」

 それはそれでいやだなあ。

「……アブラムシ」

 桜花は唐突につぶやく。その発言にいかなる意図があったのかは、残念ながらわかりかねる。

 ただ、どうも知子ちゃんにとってはれいみたいに耳心地のいい言葉ではなかったらしい。彼女がわざと聞こえるように舌を鳴らしたのがその証左である。

「部長、今なんと?」

「それともコメツキバッタと呼ぶのかしらね」

「なん、ですって……!?」

(急になに言ってんだあいつ……)

 真意はさておき、誰が聞いても口に針だと思ってしまう発言だったろう。ましてその矛先はおそらく知子ちゃんへと向いている。であれば、なにかにつけ桜花にたてつこうとするあの子が黙って聞き流すわけがない。

 案の定、知子ちゃんは「言わせておけば!」といきり立ち、木っ端野次馬をものともしない刑事よろしく僕を押しのけながらわめきだした。

「幼なじみごときがいい気にならないでよっ! 懐人先輩にとって誰よりも力になれているのはアタシなんだからっ!」

「まあ怖い。それに悲しいわ。あなた、懐人のことは『懐人先輩』なんて呼ぶのに、私にはそんな親しみのある呼び方をしてくれないのだから」

「でしたら今後は『部長先輩』とでもお呼びしましょうか? 部長先・輩?」

「もう、成海さんたらおかしい人」

 幼なじみは目を細め、後輩女子は口角をつり上げる。

 よもやトークオブトリップを始める前から一触即発、風雲急を告げる事態に直面するとは誰が予想できるだろうか。できるわけがない。僕はできなかった。

 しかしだ。そんな僕に代わってこの場を取りなしてくれる人間はどこにもいない。放っておけば、げにかしましき大戦争がぼっぱつするのは火を見るよりも明らかである。

 事ここに至ってはいってきけんこんすよりほかないだろう。

 要するにリアル《言いくるめ》の時間だ!

「――やあ桜花、後輩との語らいは楽しんでいるかい?」

「心なしかジャーマンアイリスのように肉が躍っているわ。けれども、血は今にも凍りつきそう」

「結構。ではこの僕があなたの気分をもホットにしてみせましょう」

 僕は女の争いに差し出がましくも割って入り、しかしてよどみなく話の腰を折っていく。

「反対側の椅子に座らせてもらうよ。知子ちゃんは正面のやつを使うといい。プレイヤー全員に目が届く特等席みたいだからね」

「は、はいっ」

「テーブルのろうそくは端にずらそうか」

「お好きにどうぞ」

 桜花は体を背もたれに預けつつ、冷ややかに応じる。

「さてお立ち会い! これより学校地下を舞台とした少年少女のスリリングな脱出劇を語り聞かせましょう」

「ふうん、私のシナリオを使ったの」

「タイトルはそう! ――キーパー!」

「《ゲーム倶楽部》ですっ!」

「ナイスアドリブ。ありがとう知子ちゃん」

 そうして僕は後輩女子への感謝もそこそこに、

土産話か与太話かトークオブトリップ――いざ、ここに幕開けを宣言いたしましょう」

 快弁を振るうような勢いでついキーパーの台詞まで奪ってしまった。

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