第21話

 大きく深呼吸したのち「大変失礼しました……」と、面目なさそうに身をすくませる知子ちゃん。さしもの暴走車も演じる役がなくなればいやでも正気に戻される、といったところか。

 以須野先生に会心のノックアウト攻撃を食らわせたのち、一時的とはいえ敵がみな動けなくなったことを理由に、僕はナコちゃんを背負って階段に上がりたいと宣言した。

 ラスボスさながらに登場したからといって以須野先生をたたきのめすとか、《ゲーム倶楽部》部員の捕逸くんにできるはずがない。そも彼らは脱出劇のさなかにあったわけだし、そんな余裕は皆無だろうね。

「えーと……では捕逸が《教室1》を出て、階段を越えたところから描写しますね」

「うん、よろしく」

『――広々とした踊り場の階段を上がった先に現れたのは、上部に非常灯がちらつく古びた鉄扉。相当にがたがきているのか、両開きのそれは完全に閉じきっておらず、中央からは一筋の薄明かりがこぼれている』

「《聞き耳》振っていいなら振らせてもらうよ」

「もうエンディングに入っちゃってるので、そのへんは気にしなくていいですよー」

 ずいぶんあけすけに教えてくれるな。快演のあまりキーパリングする余力も使い果たしてしまったのかい?

「わかったよ。じゃあ捕逸くんはその扉を片手で押してみるけど」

「腕に伝わる感触から、扉の前でなにかが突っかかってるのがわかります。ですがご安心をっ。《筋力・6》の捕逸ですから、片手でもそのまま押し開けられるでしょう」

 扉との対抗ロールすらないのか。いや、正直助かったよ。なんだかんだ狼は放置したままで、時間的にいつ動きだしてもおかしくないからね。

 もしここで判定に失敗して、まごつくうちにまたも背後から襲われる――なんて笑い話にもできないよ。

『――捕逸は人ひとり分の隙間から扉を抜ける。ふと横を向いた拍子に見えたのは、5段ほどに積まれた木造りの跳び箱。さらに正面へ向き直ると、ボールがごった返す円形の鉄かご、体操マット、得点板といった、小学生になじみ深い運動用具が狭い空間にびっしり収まっている様子を目の当たりにするだろう』

『まさかここ、体育倉庫か?』

「イーグザクトリーです。あ、そろそろナコちゃんは目覚める頃合いじゃない?」

 その働きかけを知子ちゃんの友人である少女は見逃さない。

 いつの間にやら机に突っ伏していた囁ちゃんだったが、すぐに『うーん……』と目覚めるような演技をしつつ、おもむろに上体を起こした。

『……露木さん?』

『気づいたか。見ろよナコ、俺たちあそこから出られたんだぞ』

『……そうでした。ナコは窓のない教室で先生に……』

 ロールプレイの途中で囁ちゃんは眉をひそめる。

『以須野先生は?』

『今頃は最高に気持ちよく眠ってるだろうよ』

『……そうですか』

『さあ、先生が目覚める前にここを出て、早いとこ通報しないとな』

 勝利を手にしたがいせん将軍のごとく、気持ちはなるべく前向きに。

 そんな僕のロールプレイとは対照的に、囁ちゃんは憂えるような声色でぼそりとささやく。

『ナコたち、これで先生ともお別れですね』

『会おうと思えばまた会えるさ。ただ、会ったところでこれまでどおりに接してくれるかは……わからない』

 あの場にいた以須野先生が一時的狂気に陥っていただけなら、時間をかけてゆっくりと正気を取り戻すかもしれない。倒錯ともうしゅうの果てに《正気度》を減らし尽くしていなければ、という前提ありきだが。

『露木さん』

『ん?』

『ナコは賢いの。だから、こうして無事に生きて帰ってきたことを、嬉しく思います』

『そうだな』

『だから、寂しくなんてないの』

『……ああ、そうだな』

「――捕逸とナコちゃんは自らの生と《ゲーム倶楽部》の死を痛感しながらも、顧問が起こした事件に部員として終止符を打つべく、月影差し込む体育倉庫をあとにしました。かくしておふたりの生還と告発により、真白小学校の封鎖区域で行われていた儀式ゲームは白日の下にさらされ、主催者たる以須野先生も法廷にて幾多の罪を裁かれることとなるでしょう」

(ハッピーエンド、とは言えないかもな)

 ゲーム上はPCが誰ひとり欠けることなく生還できた。ともあれプレイヤーから見ればノーマルおよびグッドエンドは固く、少なくともバッドエンドに転んだなどとは思うまい。

 しかしPC――捕逸くんとナコちゃんからすれば、いかんともしがたい結末だろう。犠牲を払わないよう努めてなお、脱出するためには「クラブ活動を再開させたい」という目標を犠牲にせざるを得なかったのだから。

《ゲーム倶楽部》顧問である以須野先生との敵対。

 シナリオの根幹であろうこの対立構造がある限り絶対に避けられない、なんともありふれていて、いやみたらしいジレンマである。

「その後は事件による悪影響も多少あるでしょうが、以前と変わらぬ学校生活を送れることと思いまーす」

「ナコはそう思ってないよ。クラブ活動が再開されるの、待ってたから……」

「あー……そうねー」

 知子ちゃんは見て見ぬふりでもするように友人から顔を背ける。

「と、とにかくあとは後日談でーす。特にやりたいことがなければ適当に締めますよー?」

「やりたいこと……うぅ、先生がいないからクラブ活動ができない……!」

「――そんなこともないさ」

「副部長さん……?」

「言っただろう? TRPGは誰も知らない即興劇ものがたりなんだって。彼らの予定調和に彩りを添えられるのは、ここにいる僕たちだけだよ」

 悩める囁ちゃんに僕は手を差しのばす。

 最後までプレイヤーを楽しませてくれた探索者たちに、より劇的な一幕をもってせめてもの報いとするために。

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