第6章

第19話

 セッション開始から1時間と数分が経過した。マップ上の調べられそうな場所をあらかた探索し終え、ゲーム的には中ボスであろう狼を突破するのみならずカギまで手に入れたのだから、物語は終盤へさしかかったと見ていいだろう。

 テーブルゲームにしてはずいぶん時間がかかる――そうお思いの皆々様。実のところ探索系のTRPGじゃこれでもまだ早いほうでね。長編シナリオにもなると半日近くかかったり、学業や仕事にいそしむ参加者のライフサイクルに合わせて数日かけるケースも珍しくはないんだ。

 そうした時間的都合をうまいこと組み込んだシナリオも多々見受けられるので、機会があればぜひ遊んでみてほしい。盛り上がれば最後、時が経つのを忘れること請け合いさ。

 さて、まさにそんな状態にあるであろう僕と囁ちゃんだけど、今は自分たちのPCを《教室1》の前まで動かし、次いで解錠を宣言したところだ。

「念のためドアは捕逸くんが開けるよ。キーパー、カギは合ってるかい?」

「捕逸は鍵穴にカギを差し込み、手首をひねります。すると『カチッ』という音がしんとした廊下に小さく響きました」

 よしよし、無事に開いてくれたね。これで「カギが違います」なんて言われたら《アイデア》ロールに頼らざるを得なかったし、なにより捕逸くんのメンタルが危なかったよ。

『よし……入るぞ』

『ナコも露木さんの後に続きます』

「わっかりました。では描写に入りますねー」

 そこで知子ちゃんは僕たちプレイヤーを交互に見ながら間を取り、セッションにほどよい緊張感をかもしていく。

『――捕逸とナコが入室したのはロッカー側。よってただちに《教室1》の明かりをつけられず、ふたりはいともたやすく室内の薄闇にとらわれた。ナコは《理科室》で見つけた懐中電灯の使いどころだと思い、とっさにそのスイッチをスライドさせようとするかもしれない』

『そのとおりなの。ナコは懐中電灯をつけます』

『――だが、ナコの懐中電灯がその役割を果たすより早く、《教室1》から暗所という暗所がたちどころに消え失せる。当然、ふたりは電気のスイッチが入れられたのだと気づくだろうし、その方向へと見向きもするだろう。――そして、驚くはずだ』

 知子ちゃんの語り口がいっそう力強さを増していく。

よわいよりはるかに老けたグレーの髪に、くたびれ気味なタートルネックのセーター。その風貌からふたりが連想できる、ただひとりの人物――《ゲーム倶楽部》顧問、けんその人を目撃してしまったとあっては無理もない反応だといえよう』

『以須野……先生?』

 意表を突かれたような顔つきで囁ちゃんが知子ちゃんを見やる。対する彼女はまぶたを深く閉じたのち、先ほどまでとはまるで異なる冷めた目を開いた。

『所懐を述べよう。諸君には意外なほど驚かされたよ』

(こいつ、とうとう声真似までやりだしたぞ……!?)

『なにしろひとりの生け贄も出さずにここへ達した、初めてのプレイヤーだからね。もっとも儀式ゲームに参加したのは諸君を含めて、まだたったの7組だが』

『先生はなにを言っているの? ナコたちを助けに来たのですよね?』

「『助け、か。それが必要なのは先生のほうさ』――そう言って、おふたりの前で以須野先生はらしくない乱暴さでマスクを引っぱがしました。さらけ出された左ほおに見えるは、逆さまのぼうせい。新入部員の捕逸はおろか、ナコちゃんでさえ見覚えがない不気味なあざです」

(逆さまの五芒星とか悪魔主義サタニズムかよ)

 シナリオ開始直後から明らかに怪しかったし、そも登場人物の少なさから放送の時点で僕はこの人物を疑っていた。だから今さら驚きはしない。

 こんな描写をされた以須野先生は完全にアウト。このシナリオの黒幕にして悪役間違いなしだ。

『カインの刻印だ。見えるだろう? こいつの辺をすべて黒に染めたあかつきには、ありえざるものを現出させるだけの力が得られるんだ』

 なんだかやばそうなものを召喚できるっぽい言いぶりだな。かといって旧約聖書に登場する人物の名を冠した《魔術》なんて、CoCじゃ聞いた覚えがない。

(さしずめ桜花オリジナルの《魔術》ってところか)

 ToTのプレイヤー側は《魔術》技能なんて滅多に扱えないからなあ。ハンムラビよろしく目には目をで対抗できない以上、なんとしても発動は阻止しなければ。

『せ、先生っ。いったいなんの話をしているのか、きちんと説明してください』

『だけど、難儀なものでね……それをかなえたければ人間の狂気を集めろと言うんだ』

『おい! 先生のくせに、ナコを無視してんじゃねえよ』

はばかるなよ!』知子ちゃんは片手で左ほおを覆う。『お前らだって望んでいるだろうが……神秘の解明を! 人知の進展を! 僕だって望んでいるんだ! クトゥルフなんてものを知ってしまったあの瞬間から、今もなお!』

(この先生……頭が人工の架空クトゥルフ神話に侵されている!?)

 あまりに倒錯的で失礼なほど気合いの入ったロールプレイだけど、よく考えたら当の本人もTRPGに関してはクトゥルフ狂じゃないか……!

 おまけに興奮したときに一人称が変わるところも文句なしに似てるときた。これじゃとがめるほうが無粋だろうな。少なくともあの先生なら言ってのけそうだ。

『うう……僕だけじゃ足りないんだ。だからもっと、もっと! 儀式を通じて、狂気を集めなくては……諸君のような感じやすい年頃の人間なら簡単に……!』

『じゃあ、体育倉庫でナコたちが気を失ったのは……!』

『……相も変わらぬ賢さだね、木暮。けれども大人には及ばない』

 冷たく諭すような台詞回しでそう答えたのち、知子ちゃんは気取った調子で指を鳴らせなかったならそうとした

「……不意に以須野先生は指を鳴らしました」

「ほんとかなあ?」

「以須野先生は指を鳴らしました」

(後輩女子のキーパリングが強い)

「すると黒板側のドアから《教室3》で相対したものより一回り小さい狼が、《教室1》へのしのしと入ってきました。その姿はまるで、飼い主の意に従う忠犬のように見えたことでしょう」

『ま、また狼ですか……!?』

「たった一言、『やれ』と狼に命じる以須野先生の顔は、もはや《ゲーム倶楽部》部員の見知ったそれでなく、殺人鬼めいてすら見えます。言葉は――届きそうもありません。この状況下でおふたりはどうしますか?」

 知子ちゃんがここぞとばかりにキーパー然とした質問を投げる。

(《心理学》で先生の真意を――確かめるまでもないな)

 今まさに、気慰みのつもりで入ったクラブの顧問が頭のおかしいサイコ野郎だと思い知らされたんだ。捕逸くんの心情たるや、怒りやら嘆きやらで混沌と化したに違いない。

 なので捕逸くんにあつらえ向きな選択は判然としている。きっと迷わないはずだ。

「捕逸くんは応戦してやろうと身構えるよ。さて、ナコちゃんのほうはどうしたい?」

「……怖い、です……。正直、くわばらならきっと動けません……」

(あれだけ感情移入していれば無理もないな)

 少なからず親交があった先生の豹変を目の当たりにしたのだ。ナコちゃんにしてみれば混乱せずにはいられないかもしれない。

 けれど、この局面でなびくようなまねだけは絶対にしないと僕は信じている。

「ですが……、ですが……!」

 だって彼女は賢くて。

 誰よりもそれを知り尽くし、いとおしむ生みの親プレイヤーとともに在るのだから。

『――ナコは逃げないの。先生が罪を犯しているのなら、部員として告発しなくてはなりません』

(知子ちゃんみたいな明るくて前向きな性格に――か)

 セッションを始める前に囁ちゃんが口にした言葉が脳裏をよぎる。

 その一念で真剣にゲームを遊ぼうとする彼女の思いを、いったいどうしてむげにできようか。できようはずがない。

 ゲームクラブの副部長なればこそ、是が非でも。

『ナコの言うとおりだ。このまま好き勝手させてたまるかよ』

『で、でも、チョコレートはもうありません。こんなとき、ナコはどうすれば……』

『ナコは自分の身を守ることだけに集中しろ』

 僕はナコちゃんの一歩前に進むイメージで知子ちゃんへと宣言する。若々しくも適度に文武を兼ね備え、なにより《筋肉・6》を誇負していそうな上級生の気持ちになって。

『言いたいことは俺に任せな。ナコの分までしっかり先生にこぶしで語ってぶつけてやる』

「おふたりとも、覚悟はいいですね? ――それでは戦闘を開始します」

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