第18話

『――《理科室》の探索を終えたふたりは、ナコの提案によってふたたび《教室3》へと赴いた。半時経たぬうちの再訪におおかた捕逸は、期待も、悲嘆も、ことさら抱いていなかったに違いない』

 そりゃそうさ。『見ればわかるの』としか言われてないからね。

『――しかし、その光景を目の当たりにしてなお、こともなげを貫くなど至難である。よもや殺意に満ち満ちたあの狼が、横腹をさらし、打ち据えられたかのように全身をけいれんさせていたのだから――』

『な、なんだって……!?』

 僕は描写に則した台詞回しとともに目を見張る。実のところ意図したロールプレイではない。単にプレイヤーとしてびっくりしたがゆえのリアクションである。

『いったいなにが起こったんだ……!?』

『チョコレートのせいなの』

 驚きを隠せずにいた僕に対し、囁ちゃんがひっそりと口を開く。

『犬はチョコレートに含まれるカカオを摂取すると、中毒症状を引き起こします。発熱、嘔吐にとどまらず、けいれん、昏睡――最悪の場合、死に至ります』

 マジ?

『露木さんが見つけてくれたチョコレートを使えば、狼の動きを封じられる。安全な手段なこれしかないと思って、試してみたの』

『そうだったのか……よく思いついたな』

 板チョコがこんな形で役に立つだなんて、シナリオ上では明らかにされてないはずなのに。リアル知識ってつくづく大事だよなあ。

 ――待てよ。もしかしてこの情報、《理科室》で見つけた動物図鑑を読めば開示されたんじゃないか? いや、きっとそうだ。ゲームの謎解きは基本的にヒントがなきゃ成立しないものだし。

『まったく、ナコは賢いな。伊達に口癖じゃないってわけだ』

『……怒らないんですか?』

『急にどうした?』

『露木さん、動物になつかれやすいそうなので……愛護の気持ちがあるのでは、と』

『んー……それってつまり、狼を苦しめるような対処法だからってことか?』

 どうやら僕の当て推量が的を射たらしく、囁ちゃんは迷いのない速度でこくんとうなずいた。

『そりゃ俺としちゃ動物は好きだぜ』

 僕のほうはそうでもない。

『ただ、害獣のカテゴリに属するやつは守備範囲外っつーか……まあなんだ、ナコが気に病むことじゃないよ』

『本当ですか?』

『おう。むしろ助かったぜ』

 僕は囁ちゃんの不安を吹き飛ばすつもりで元気よくガッツポーズをしてみせる。すると彼女はそうごうを崩すとまではいかなかったが、それでも固かった口元をやんわりほころばせてくれた。

 ロールプレイに凝るのもいいけど、真に迫ろうとするあまり本気ではんもんするなんて悲劇的の一語に尽きる。

 TRPGはあくまでゲームなんだ。どうあってもまずは楽しまないとね。

『で、ではナコはカギを取りに行きます』

『それじゃこっちは出口の確認だな。キーパー、俺は《教室3》の奥側のドアを調べるぞ』

「わっかりました。まずナコちゃんですが、山積みの机が崩れてくるーなんてこともなく、手前の机に置かれたカギを無事手に入れられました」

『《目星》などで調べられる箇所もありませんよね』

「うい」

『ではナコはそのまま露木さんと合流します』

「んじゃーナコちゃんには少し待ってもらうとしてー」

 知子ちゃんはとんとん拍子でナコちゃんの描写を終え、今度は僕のほうにすばやく目を転ずる。

『――捕逸は右側の階段へと通じるであろうドアの前に立つ。付近の床や壁、ドアの一部がなにやら不気味に映るが、今や惨事が夢の跡。《男子トイレ》に比べればたいしたことはない。せいぜい恐怖に対する感覚のを覚えるくらいだ』

『開ける前にいくつか確認するぞ。ドアの小窓から先はどうなってる?』

「端的に言えば、安全かどうかですよね? 残念ながら、その点については確かめようがナッシングですっ」

『教室の電気はついてるだろ。それとも立ち位置が悪いのか?』

 てっきり僕は小窓の向こう側が暗いから様子がわからないのだと思っていた。

 けれど真相はもっと単純で、かつ深刻なものだった。

「明かりなんて無意味ですよ。だって土砂しか見えないんですから」

『土砂って、え? 埋まってんの!?』

「イグザクトリーでーす」

(なんてこったい!?)

 だいぶ前に知子ちゃんがボロを出したから、ここが地下だってのはわかってたよ。わかってたけどさあ……なにも出口で地下要素を出さなくてもいいんじゃない? ようやくたどり着いたと思ったのに。

『あの、露木さん? あっけにとられているように見えますけど、どうされました?』

『……ナコ、カギはあるよな?』

『はい、このとおり』

 囁ちゃんはペンケースから短くなった赤鉛筆をつまみ上げ、寄せ合った机と机の継ぎ目あたりまで差し出す。

 いやはや、この子の想像力は本当にたくましい。消しゴム同様、ある一点――今回はたぶん、きっと、おそらく長さ――を除き、似ても似つかない小物を即座にこれと言い切ってのける。

 自称演技派と未詳演技派。

 類は友を呼ぶって本来、こういう関係だよなあ。

 閑話休題。囁ちゃんの演技に感心するうちに、自然の驚異? によって出口をふさがれたことへの絶望感も和らいだ。

 今はただ、脱出できる可能性がある選択肢をひとつずつ、冷静に当たるとしよう。

『がっかりするかもしれないが、こいつを見てくれ』

 僕はほのかに暮れゆくグラウンドが望める教室の窓を指さす。現実のほうのドアを指せばよかったのだろうけど、ちょうど知子ちゃんに隠れてて僕の位置からは見えなかったのだ。

『え、えっとぉ……』

『やっぱ暗がりに見えるよな。でもこれ、別に光が届いてないとかじゃないんだ』

『そうではなくて、ですね……』

 囁ちゃんはもじもじとしたまま、しばらく口ごもる。

『き、キーパー、ドアの小窓から床までの高さは何センチでしょうか……?』

「それ聞いてどうするのさ?」

『な、ナコはもう11歳ですが、背が低いままなので……』

(そういえば小柄だって言ってたな。《体格》も『1』しかないし)

「あーうん、わかったわかった」

 ここで知子ちゃんは質問の意図に気づいたらしく、両手で膝を打った。

「とりまー、ドアの小窓は背伸びすればナコちゃんでものぞける高さにあるってことで」

 そうか。囁ちゃんはナコちゃんの身長のことでロールプレイに困ってたのか。

 能力値の都合でもっぱら捕逸くんが《目星》してたから、今の今まで気づかなかったよ。

「あ、ありがとね知子ちゃん……」

「いいってことよ」

(さて、ぼちぼちかな)

 後輩女子ふたりのやりとりが落ち着くのを見計らって、僕は気を取り直すように『あー』と切り出す。

『見てのとおりドアの向こうが土砂でふさがっててな。原因がなんであれ、ここを通って脱出するのはまず不可能だろう』

『む、むぐぐぅ』囁ちゃんは息を詰める。『……ふぅ、ナコもそう思えるの』

『つまり頼みの綱はそのカギだけってことだ』

『施錠されていたあの教室を開けられるかどうか、ですね』

『行こう、この悪趣味な脱出ゲームを終わらせるために』

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