第15話

 トイレやらおやつやらで5分ほどの休憩を挟んだのち、僕と囁ちゃんが示し合わせたように卓に着いたところで知子ちゃんがセッションの再開を告げた。

 ところ変わって《教室4》。黒板の解読に精を出していたナコちゃんの描写からだ。

『――これ見よがしに書きなぐっておきながら、他者の理解を拒むかのような難読ぶり。初見では驚きあきれてしまうのが関の山だろうが、丸1時間かけて解明へとこぎ着けたナコにはわかる。これは狂気にゆがめられたかつての被害者が遺した、恐るべき記録なのだと……』

『……なるほど』

 知子ちゃんの物々しい語り口に囁ちゃんは身構える。

『――友人であろう男女3人に関する記録は1か月前の日付から始まる。驚くことに、書き出しは捕逸とナコが体育倉庫で何者かに襲われ、見知らぬ教室で目覚めるまでの一部始終と奇しくも合致する体験がつづられていた』

『ナコたちと同じ……?』

「ここでナコちゃんに《アイデア》ロールを振ってもらいましょう」

『たったの4しかないけれど』囁ちゃんはふたつダイスを転がす。『……ふぅ、失敗なの』

「4のゾロ目か。なら一度だけ振り直せるよ」

「え?」

「クリティカル――要するにファンブルの逆、大成功にかかわる処理なんだけどね。ひとまず6以外のゾロ目が出たら振り直しの権利がもらえるってことで」

 CoCを例に挙げると、1D100で5以下を出すとクリティカル。戦闘だったら与ダメージ2倍、探索だったら最良の結果にプラスアルファのおまけつきだ。

 ToTでは「2D6で6以外のゾロ目を出す」という振り直しの条件を連続で達成できればクリティカルとなる。でもまあ確率自体は微々たるもので、そうそう拝めるものじゃない。

『あっ、1のゾロ目だから成功なの』

 嘘でしょ?

「えー、あーっと、クリティカルでの成功ね、うん」

(キーパーの慌てっぷりがすごい)

 テレビゲームのチュートリアルステージかよぉ!? ってぐらいストレートな流れだったもん、そりゃ驚くよ。僕も驚いた。

「そうねー……じゃーまずは記録の登場人物3人についてだけど、この3人が《ゲーム倶楽部》のメンバーであることをナコちゃんは思い出しました」

『ナコは忘れっぽくないの』

「そういうことにしといてっ!」

 知子ちゃんは取引先に納期の延長を頼み込むように両手の平を突き合わせる。

 友人たってのお願いとあれば断るに忍びなかったのだろう。「でも」と言いかけた囁ちゃんだったが、すぐにぶんぶん首を横に振り『そういうことにするの』と答えた。

「それで記録はどこまで続いてるんだい?」

「順を追って説明すると、おふたりのように《ゲーム倶楽部》の3人もあの放送を聞かされました」

 生け贄をささげろってやつだね。

 するとナコちゃんのドラマ的推理はあながち間違いじゃないのか。

「3人はこの場所から脱出するための道をあてどなく探しますが、その途中で男子のうち1名が女子とけんかになり、グループが決裂してしまいました」

『どうしてけんかしたの?』

「詳しくは書かれていませんが、文面から察するに女子の持っていた食料が原因みたいですねー」

(もしかしなくてもチョコだよね……)

《家庭科室》の冷蔵庫内にあったのは、おおかたその女子が奪われないよう隠したってところだろう。

「さて、ここから記録の文字が乱れ始めます。ですのでナコちゃんはかろうじて判読できる内容から事態の推測を行い、生々しいイメージをせずにすんだでしょう」

『つまり?』

「この記録の解読で生じるはずだった《正気度》ロールなしっ! クリティカルがもたらした幸運ってことでよろしくー」

「わぁい。……あっ」

 ささやかながらも喜びをあらわにした囁ちゃんだったが、すぐに彼女は垂れ目を伏せ、恥ずかしそうに左右の人差し指をそわそわさせる。

「す、すみません……続けてください」

(つくづく内気な子だな)

 ロールプレイが上手なんだから、いっそ日常においても――。

(やめろよ僕。それはさすがにナンセンスだぞ)

 劇場ならいざ知らず、日常においても仮面をかぶればいいだなんてはなはだしく悲劇的だ。善意にしても虫がよすぎる。うっかり口の端にかけなくて本当によかったよ。

「ここからはナコちゃんが読み取った推測をかいつまんで話しまーす。まずけんか別れになった男子ですが狼に殺されました」

「ちょ、超展開だ……!」

「ところがどっこい、その男子の死因は廊下右側の階段に続く《教室3》のドアを開けられなかったからなんです」

 開けられなかった。

 知子ちゃんにしては含みを持たせた言い方をするね。

「狼のテリトリーを越え、そのドアまでたどり着いた――つまりはこう考えていいのかな」

「しょゆことっ」

 後輩女子の寒いギャグはさておき、ドアの前まで来て開けられずに命運が尽きるだなんて、捕逸くんに負けず劣らずの不運っぷりだ。

 あるいは開けられなかったんじゃなくて開かなかったのかな? カギがかかってたとか。

 ……いや、そんなばなしがあるもんか。

 件の男子Aくんは教室の内側からドアを開けようとした。内側ってことは当然、手動で操作できる内鍵があるんだぞ。真剣に脱出しようってやつが見落とすかよ。

 もちろんせんりょだったとかパニック状態だったとか、考えられる理由はいくつもあるさ。だけど、その程度の情報ならこんな形でプレイヤーに開示する必要があるだろうか。

(いわゆるブラフとしては使えそうだけど……)

 それでもやはり理不尽が過ぎる。これだけ聞かされたところで、そのドアが開く状態か否か判断しかねるのだから。

 まさかここに来て「桜花ならやりかねない」という信頼感が立ちはだかるとはなあ。出口であろう扉が行き止まりになっている可能性がある以上、生け贄を嫌って強引に進む選択肢なんて選べるわけないじゃないか。

 生け贄をささげずにすむ方法は必ずある。

 そう考えずにはいられないロジカルなプレイヤーほど頭を悩ませる、実に僕いじめが好きなあいつらしい手口なことで。

「その後の記録は、身も心も疲弊してしまったであろう女子の献身によって、残った男子が《教室3》からカギを手に入れたところで終わっています」

 献身――自らおとりになって狼のそうを一身に引き受けたわけか。

 できれば切りたくない手札だな。

『痛ましいの……』

「黒板からの情報については以上でーす。あ、捕逸もそろそろ《家庭科室》の探索が終わった頃合いじゃないでしょうかねー?」

「そっか。なら捕逸くんは《教室4》に戻り、解読したての情報を教えてもらったことにしていいかい?」

「でしたら《正気度》ロールを」

「それはない」僕は人差し指を振る。「だってそうだろう? 《正気度》を喪失しない程度にその情報を理解したナコちゃんに教えてもらうんだから」

 僕の些細な指摘を受けた知子ちゃんは「むむむ」と言葉を詰まらせる。

「……わかりました。なんだか無性に悔しみを覚えますが、筋は通っているので認めましょう」

(言ってみるもんだなあ)

 ダイスを振らずしてクリティカル同然の扱いを勝ち取れるなんて滅多にない。

 だからつい僕は心の中でほくそ笑んでしまった。

『ただいまナコ。しんちょくどうだ?』

『終わりました』

『そいつはいい、なんて書いてあったんだ?』

『かくかくしかじかなの』

『まるまるうまうまだな』

「報連相が雑ですねー」

「ついでに《家庭科室》のことも話したって体で進めさせてもらうよ」

「お好きにどうぞー」

 知子ちゃんは投げやり極まりない態度で応じる。誰の目から見てもやり込められてむしゃくしゃしてるようにしか見えないだろうね。

『新たに手に入れた情報をまとめるぞ。まず狼がいる教室の奥側のドアは階段に通じてるが、かつての被害者の記録から開くかどうか疑わしい』

『狼に襲われない距離から、《目星》を使って調べられませんか?』

『難しいだろうな』

 僕は視線を横に逸らして懐疑的なロールプレイをする。

『俺たちが狼に気づいたのは、あの教室の入り口付近だ。もう3歩ほど踏み込めばやばいって描写ふんいきだったし、入るだけでも文字どおり骨が折れちまう』

『問題ありません』

『たいした自信だな。なにか手があるのか?』

『ナコに任せるの』

 囁ちゃんはこれ以上ないくらい得意げに、はち切れんばかりに胸を張ってみせた。

 けど、いったいどうやってあの狼を対処するつもりなんだろう。僕とこの子が手にした情報には微々たる違いもないというのに。

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