第5章

第14話

『――ナコのほうが小さいとさえ錯覚させられるたいに殺気立った眼光。放たれるプレッシャーたるや、見れば見るほど心臓がはやがねを打ってしまうほどである。もう3歩踏み込んだ先に待つ未来は、小学生のふたりでさえ想像に難くないだろう』

「おお、狼っ……!?」

「大丈夫だよ囁ちゃん、今は鎖につながれてるようだから」

 僕はひっそりとしたトーンで、命すら脅かしかねないもうじゅうに動揺する囁ちゃんをなだめる。

 しかしなあ。困った盤面を迎えてるのは僕のPCこと捕逸くんだって変わらない。どうシナリオにかかわるとしても、せめて戦わずにすむことを願いたいな。

『モルモットが食べられちゃう……』

『下手すりゃ俺たちもな』

 捕逸くんの『動物になつかれやすい』って特徴をもってしても手なずけるのは無理そうだ。男子トイレの骨とか、こいつの腹を満たしたやつらの末路だったりしてね。

『――もうひとつ、室内に明かりが戻ったことで気づいたものがあった。狼をつなぐ輪の大きな鎖を目でたどった先、数あるうちの手前側にある机の上でぽつんと光る鈍い銀色の存在である』

『……露木さん、あれを』

『どれどれ』

 僕は何食わぬ顔を作り、囁ちゃんが指さしするほうへと――実際には猟犬が生えてきそうな教室の角を除いて見るものなど皆無だが――ただちに向き直る。

 それに合わせて知子ちゃんが描写を継ぐ。

『――よく見れば、それは小学生の手にもゆうゆう収まりそうな、ごくふつうのカギだった。壁にかけるでもなく無造作に置かれているさまは、まるで拾ってくれと言わんばかりである』

『カギ、か。――ああそうかよ』

『キーパー、ナコの位置からカギが置かれている机までおおよそ何歩? 近ければ取りに行きたいの』

「そーれーはー……ちょい待って。確か歩幅が身長の半分くらいだったから」

『無理に答えなくてもいい』

 その一言に知子ちゃんはとんきょうな声を漏らしながら思案投げ首の体を解く。

 囁ちゃんではない。発言したのは僕のほうだ。

『どうせ手の届く距離じゃないんだろ? だったら10メートルでも100メートルでも同じことだ。生け贄を用意できなきゃな』

『露木さん、急になにを……!?』

『放送で指図されたこと、覚えてるな?』

 僕の問いかけに囁ちゃんは息を凝らしたようなロールプレイで首肯する。

『……これより儀式ゲームを執り行う。この領域に、生け贄の血と、命を……』

『ああそうだ』

 そして放送はこうも伝えた。『ここを脱したければ』と。

 ゲームはゲームでも脱出ゲームだと解釈すれば、これ以上ないほどに明白だった。

《教室1》のドアを解錠するであろうカギを手に入れるにしても、《教室3》から階段へ向かうにしても、縄張り意識の強い狼のテリトリーを避けて通るすべがない。

 ゆえにこそ、捕逸くんたちは迫られてしまったのだ。

 牙を鳴らす狼の脅威をかいくぐるための選択を。

『おおかた俺たちに犠牲を払わせるのが監禁野郎の望みなんだろうな。……狂ってやがる』

『ナコは賢いの。だからそんなこと、絶対に従いたくないの……!』

 囁ちゃんは小さなこぶしを震わせて憤りを表現する。

『キーパー、あの狼を無視してこの先に進めますか?』

『がるるるるー』

『だめみたいです』

『ポケットのやつでもささげてみるか?』

『モルモットがかわいそうなのっ』

『ソイツ、オナカ、フクレナイ』

『狼だってああ言ってるのっ』

 違うよ囁ちゃん、そいつは演技したい病を抑えきれないキーパーの妄言だよ。

『なあキーパー、ここにはもう調べられるものってないのか?』

「ありません」

(切り替えが早い)

 だとすると、現状における狼の対処方法は「生け贄で引きつけてる隙に進む」か「倒して進む」かの二者択一ってわけだ。

 前者は言わずもがなだけど、後者もたいがいだよなあ。鎖のおかげでナコちゃんに攻撃が届かないよう位置取りできるとはいえ、実質タイマンの捕逸くんには荷が勝ちすぎる。いくら《筋力》があったって狼の手痛い攻撃を防ぎきれないんだもん、是非もない。

『仕方ない、ほかの場所を当たってみるか。生け贄をささげずにすむ方法を見つけにな』

『はい。必ず見つけましょう』

 ナチュラルに囁ちゃんの意思を確かめたところで、僕は「で、だ」と話頭を転じる。

「入室できない《教室1》は置いといて、これで調べてない場所は《理科室》、《教室4》、《家庭科室》の3つになった」

 なにか見落としてる気がするけど、当面の目標が定まったところに水を差すのも忍びない。今はただ、勢いの赴くままに邁進するとしよう。

「次、行きたいところってあるかい?」

『特にはありません』

「なら隣にある《教室4》を探索しよう。キーパー、そこはどうなってるかな?」

「まずドアは開いてます。室内は暗いですが、物音がしないのであの狼みたいなやばい存在におびえる心配はなさそうだとわかりますねー」

『ではナコはその教室に入って、電気をつけようと思います』

「ではでは《教室4》も明るくなりましたとさ」

『《幸運》ロール、しないの?』

 囁ちゃんはナコちゃんの口調で素朴な疑問を投げかける。

 そんな彼女に知子ちゃんは照れ笑いを浮かべ、

「大人の事情……みたいな?」

 いかにもその場逃れな言葉を返した。

「さては君、妙なところでアドリブ入れたね?」

「ギクッ」

「まあこっちに不都合はないからいいけどさ。『――ってわけで俺もナコに続くぞ。ここには何があるんだ?』」

「えーここは……真っ先に目につくのは黒板ですかねー」

『よっと』僕は上体を後ろにひねる。『つまりあれか。見てみよう』

「この場所で何度も見てきたであろう黒板ですが、それに限ってはまったくの別物だと感じられるでしょう。なにせそこには、赤と白の日本語がずらずらと書きなぐられていたのですから」

『人のこんせきか。どうりで目につくわけだ』

 僕は一驚を喫したふうを装いながら姿勢を元に戻す。

『俺たち以外に誰かいるのか? いや、拉致監禁野郎の仕業ってこともありえるよな……』

『読めばわかります』

『……それもそうだな』

 この手のダイスで手に入りそうな情報をほかの誰かに調べさせ、その隙に自分はメタ推理を構築していく――日頃からこんなプレイに傾注していたものだから、ついそっち寄りに動いちゃったな。

(気をつけろよ僕。今回のプレイヤーはふたりだけなんだぞ)

『ナコは食い入るように黒板の字を読みます。頭脳労働なら少しはやる気になれるの』

「ほうほう。ただ、黒板の字はめちゃめちゃで、しかも2色使われてるから読むのに苦労するかもねー」

『というと?』

「つまりはこれの出番ってことよ!」

 そう言って知子ちゃんが掲げたのは、我らがゲームクラブの共有財産である10個入りで税抜き100円の白いアクリルダイスだった。

「ナコちゃんには《知性》ロールを行ってもらいまーす。成功で『1D3×5』分、失敗で『2D3×10』分、黒板の字を読み解くのにかかるというわけで、おっけー?」

「……あのぉ、もしかしてこの判定も2D6、ですか……?」

「そだよ。なんかあったん?」

 知子ちゃんはけろりと小首をかしげた。

 見かねた僕が囁ちゃんの意図を伝えるべく、ふたりの会話に割って入る。

「なにって確率だよ確率。ほら、ナコちゃん《知性・2》しかないから……」

「どう転んでも情報は手に入るのでセーフ!」

 時間は取られるんだよなあ。

 というか《知性》カンストでも確率半々ぐらいって相当きつくないか? いったいどれだけ書きなぐられればこんな難易度になるのやら。

「うぅ、仕方ありません……振ります」

『こっちは《知性・4》あるし、代わってやろうか?』

『ナコは賢いの、ナコは賢いの……』

(まるで聞こえてない)

 驚異的な集中力をもって自己暗示をかける囁ちゃんを前にして、僕は二の句が継げなかった。

 やがて彼女は入魂の勢いでダイスを振ったが、上向いたのは『4』と『3』。《知性》ロールはおよそ妥当とも呼べる失敗に終わった。

 念力岩を通すといえども、確率という名の金剛石にはどうやら通用しないらしい。

「ナコは賢いのにぃ……」

「ハハ、難しく考えすぎちゃったのかもね」

 効果のほどはさておき、とりあえずフォローだ。

「では時間を――ひぃ!? い、1時間ですかっ!?」

「あららー、最大値を引いちゃったねー」

 発言とは裏腹に、知子ちゃんはしたり顔で囁ちゃんのダイスを笑う。

「す、すみません……」

「いずれにせよ読み解けるんだし、気にすることなんてないさ」

 ただ、このままだと捕逸くんが手持ちぶさたになっちゃうよなあ。シナリオに時間制限さえなければプレイヤー的にはそれでもいいけど、PC的には1時間も待ちきれないはずだ。捕逸くんだって別に辛抱強い性格ってわけでもないし。

『……ナコは深読みに次ぐ深読みの末、辛くも黒板の殴り書きを解き明かした。不本意だけれど、そういうことにするの』

「うい。じゃーその間、捕逸はなにしてます? やっぱり筋トレ?」

「いくら体育会系だからってそんなバカっぽいロールプレイはしないよ」

「筋肉もりもりマッチョマンの小学生なのに?」

「オーケー、帰ってからのお楽しみとしておこう」

 あんな状況下でこう思えるのもなんだかバカっぽい気がするが、それはさておいて――。

「で、捕逸くんなんだけど《教室4》の下にある《家庭科室》を見ておきたいかな」

『一緒じゃなくていいの?』

 囁ちゃんはどこかあだめいた憂い顔で僕に上目を使う。なんだか知子ちゃんよりずっと真に迫っているようなロールプレイに見える。きっと普段のこの子を知らないせいだな。

 僕は鎮静と応答を兼ねてせわしく顔を振る。

『大丈夫だとは言い切れないけど、なに、隣をちらっと見てくるだけだ。それにこんなとこで休んでたら逆に気が滅入っちまうよ』

『……言い出しっぺのくせに』

 囁ちゃんは不信感であろう色を瞳ににじませる。

 あれはほら、プレイヤー発言ってやつだから……。

『無茶なまねはしないって。な? 頼むよナコ』

『はぁ……もぅ、こらえ性のない人です』

『恩に着るぜ』僕は大げさにサムズアップする。『よしキーパー、ナコが黒板を調べてるうちに俺はまだ行ってない《家庭科室》を調べるぞ』

 有言実行――いや、実際に言ってないから不言実行か?

 ともあれ情報のひとつくらいは自分の足で探さないとね。これでも僕はゲームクラブ副部長なんだから。

「じゃー適当に、中に入って電気をつけてーってとこまで進めちゃいまーす」

「なんか軽くない? 物音とかいろいろ気になるんだけど」

「もう全っ然、明らかに異常なかったってことでいいですー。どーせホラー要素の大半は飛んでっちゃったわけですし」

 このキーパー、やけっぱちである。

『……中はどうなってんだ?』

 そんな知子ちゃんを見て見ぬふりしつつ、僕もまた流す感じでロールプレイに移行する。

『――《家庭科室》に足を運んだ捕逸は室内をつぶさに見回す。独立した4台の調理台、銀色の大型冷蔵庫、そして黒板がまず視界に入った。調理台には背もたれのない椅子が6脚ずつ、逆さまに積まれており、まとったほこりの具合から久しく使われていないように見える』

『黒板に文字とかは?』

「ノーです」

(それは好都合)

 ただでさえPCとしてこの場所と拉致した犯人、加えて脱出する方法まで考えなきゃならないんだ。この上さらに謎解き要素を増やされたら、ロールプレイどころじゃなくなっちゃうよ。

『じゃあ、ほこりが目立つのは調理台回りだけか?』

「と言いますと?」

『床も同様であれば、ここにはなにもいないと断定できる。今の俺はひとりなんだ。万が一にも悪人や猛獣なんかと出くわすわけにはいかないだろ』

「なるほどー。《知性・4》は伊達じゃないですねー」

 ToTだと能力値を年齢相応の数値として見るから、捕逸くんの《知性》なんて「小学6年生の中で平均以上」にすぎないけどね。

 かんれきを迎えてなお外見が花盛りだとか、15歳なのに壮年男性よりパワフルみたいな、能力値がすべての基準となるCoCとはその辺の解釈が異なっている。どちらも遊ぶゲームクラブの副部長として混同には気をつけねば。

『それでどうなんだ、床のほうは』

「《目星》は……やっぱりいいです。床に注意を払ったことで、捕逸はほこりが乱されたような跡を冷蔵庫のあたりに認めるでしょう」

『ならその冷蔵庫を開けてやろう』

「……たくさん使いますね」

「ん? 《目星》のことかい?」

 僕の問いかけに囁ちゃんは「はい」と応じる。

「まあそれだけ人は視覚に頼りきってるってわけさ」

 事実、CoCでも指折りの重要技能なんだ。いかに要求したり、されたりするかなんて挙げだしたらきりがないよ。

『さあキーパー、冷蔵庫の中を見せてもらうぞ』

『――すり傷程度の損傷なら動いて当然のはずだが、片開きの扉を開けても冷気はおろか、駆動音すら漏らさない。内部の故障か、はたまたコンセントが抜けているのか。どちらにせよ、この古めかしい冷蔵庫に固有の機能など求めるべくもない』

『おいおい、中のもの大丈夫かよ。というか中になんか入ってたりするか?』

「どうやら捕逸は目の付け所がシャープだったようです」

「これシャープ製なの?」

「それ聞いてどうするんです?」

「ハハ、僕んちの冷蔵庫がシャープだったからつい」

 僕はしらけそうな場を取り繕うつもりで愛想笑いを振りまいた。

 我ながらユーモアセンスが未熟だよなあ。

「描写に戻りますが、捕逸はふとした拍子に、冷蔵庫の中から銀紙に包まれた平たい板のようなものを見つけました」

『お? なんだこれ。取り出すぞ』

「とても軽く、手のひらよりやや大きい程度だったので問題なく入手できました。ところで捕逸は甘いもの好きですか?」

(ずいぶんとやぶから棒だ)

「ところで捕逸は甘いもの好きですか?」

「そんなに答えなきゃだめかい?」

「大事なことなのでっ」

『……まあ、嫌いじゃないと思うぜ』

 スポーツドリンクとか下手なキャラメル並みに甘いもん。

「ならきっとこの謎めいた銀紙も見たことあるかもですねー。というわけで、捕逸はこの銀紙がチョコレートを包むのによく使われてるものだと思い出しました」

『これ板チョコか! よく溶けずに残ってたな』

「うふふ、ちょうど頃合いですしおやつにでもしますー?」

『おいおい……飢えてるならまだしも、こんなとこにあったものを躊躇なく食べるってのは』

「でしたらこちら、いかがです?」

 おどけた調子で知子ちゃんはキーパースクリーンをどかし、手にしていたものを机にかっから落としていく。ダイスのように固く、けれども転がらないそれは無色透明な塩あめだった。

「ちょうど頃合いですし……ねっ?」

 しかして彼女は黒板横の掛け時計を指す。黒い短針が3の中心にひたと重なり、セッション開始からちょうど40分を迎えた瞬間が僕の目に飛び込んできた。

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