第13話

『――捕逸とナコは最初の教室を出て、近くの防火扉へと歩を進めた。目に対して刺激的にちらついてこそいるが、防火扉をじっくり観察する分には廊下の蛍光灯だけでも事足りるだろう』

(防火扉って確かカギとか使わずにくぐり抜けられたはず……)

 僕は捕逸くんの気持ちになって思考し、演技する。

『この廊下を遮断してるやつ、開けられないか?』

「おっ、触れますか?」

『まずは《目星》――いや《聞き耳》か? 裏に俺たちを拉致したやつがいたら、扉を開けた瞬間に襲ってくるかもしれないし』

『効率化しましょう』囁ちゃんはダイスを手に取る。『ナコが《聞き耳》します。露木さんはナコより目がいいみたいなので《目星》をお願いします』

『目が……ああうん、いい作戦だぜ』

 今の囁ちゃんの台詞、ナコちゃんがめがね女子ってことと《目星》ロールの目標値が捕逸くんより低いってことをかけたのか。当意即妙だね。

 ちなみに《目星》の技能値は『敏捷+知性』および『幸運-3』で求められる。計算式が複数あるけど、シナリオやキーパーからの指定がなければ好きなほうを使って構わない。そういうルールになっている。

 ToTはいわばシンプルイズムなCoCである。

 それゆえ、簡単になった分だけ損なわれた部分も少なくない。技能の自由度がまさにそれだ。

 CoCがポイント配分によって多彩な表現が可能な一方、ToTにはポイント自体がなく、技能値はすべて能力値の高低に左右される。《目星》の技能値を求める計算式がふたつもあるのは、限られた自由度に少しでも幅広さを与えるためというわけだ。

『キーパー、技能判定していいよな?』

「モチのロンでーす」

『じゃ遠慮なくっと』

 キーパーの許可が下りたところで、僕と囁ちゃんはそれぞれ2D6を振った。捕逸くんが《目星》、ナコちゃんが《聞き耳》と技能自体は異なるが、目標値はともに『8』となっている。

 僕のダイスが出したのは『4』のゾロ目。達成値は『8』。

 囁ちゃんのダイスが出したのは『4』と『1』。達成値は『5』。

 結果、技能判定はふたり揃って成功と相成った。《目星》の出目がギリギリだったが、終わりよければすべてよし。結果オーライというやつさ。

「いーですねーおふたりとも。まーそれくらい決めていただかないと困りますが」

 知子ちゃんは目をそばめて僕のほうを見る。

 副部長だからって気安くプレッシャーをかけるのはやめなさい。

『俺は防火扉に近づいて確認するぞ。ナコは?』

『その前にひとつ。防火扉は鉄でできていますか?』

「ますねー。ついでに灰色の塗装がされてますけど、よく見ないとわからないぐらいはげてるよー」

 それならぱっと見でも材質が金属だってわかりそうだ。

『わかりました』

「で、まず《目星》の情報ですけど、表面は痛みがひどいものの分厚さというか、堅牢性はすごそうだと感じ取れます。あと『あーこりゃ開かねーわー』ってこともわかります」

「つまりどういうことなんだい?」

「一言で言うと全体的にゆがんでるんです。こう、ぐにゃっと! 絶妙にっ!」

「だから開きそうもない、と」

 防火扉は施錠できるできないにかかわらず、基本的にカギを必要としない。災害時に誰であってもすばやく避難できるように設計されているのだ。

 見方を変えると、開かない防火扉というのは暗証番号を忘れた金庫、あるいはカギを室内に置いたまま閉めてしまったオートロックドアも同然。このシナリオでは通行できないただの壁というわけさ。

「でも、《教室1》を経由すれば階段のほうには問題なく行けるんだよね? マップを見た感じだとそうなってるようだけど」

「さーて、どーでしょーねー?」

 知子ちゃんは意地悪そうににたにたする。

「お次は《聞き耳》の情報ですねー。といっても防火扉の裏に人はおろか、ねずみ一匹もいなさそうだってわかるだけですけど」

『……モルモットなら、ここにいますが』

 言いながらに囁ちゃんは机上の白い消しゴムを――似ている要素なんてせいぜい色ぐらいだろうけど――ハムスターに見立てて「いい子いい子」と指先であいする。

『じゃあ俺も。よーしよしよしよし』

「大丈夫ですか先輩? キャラ壊れてません?」

「捕逸くんのキャラシに『動物になつかれやすい』って書いてあるからセーフ」

 それに僕だってことさら動物嫌いってわけでもない。飼い主の一言一句もなおざりにしない従順なペットならむしろ好きだよ。

「そういえばナコちゃんはどうしてハム――モルモットなんて連れてるの?」

『ナコは生き物係なの』

(だからって持ち歩くのはありなのか?)

 ……いや、確か安全がどうとか責任がどうとか言ってたっけな。

 ナコちゃんという女の子は要するにあれだ、頭はいいけど感性がちょっとずれてる変わり者――みたいな?

『どうやらモルモットはつゆさんにもなついているようです』

『おっ、そいつは嬉しいな』

『ですので特別に、頭に乗せてあげます』

『おっ、おう……?』

『ここまでさせてあげるの、露木さんだけですから』

 こんな囁ちゃんのロールプレイに流されるまま、僕は頭上に消しゴムを置かれた。

 気慰みで入ったクラブが活動を停止するのみならず、新入部員という下手に逆らえない立場から下級生とのハムスタープレイに甘んじる。

 こうして見ると幸薄いなあ捕逸くん。そりゃファンブルだってするよ。

『……それでキーパー、俺たちの目の前に防火扉があるとして、左手に教室あるよな? そこも調べたいんだが』

「ほいほい、なにをされますか?」

『ドアの小窓から中をのぞくぞ。《目星》は必要か?』

「結構ですー」

 知子ちゃんは一切のためらいもなく即断してみせる。

「小窓から見た限りでは《教室1》にこれといった異常はなく、物音もしません」

 物音もないのか。《聞き耳》の手間が省けたね。

「ですが室内は暗く、《目星》を駆使しても角度的に見えない位置があるので、情報としては不完全でしょう」

(つまり入ってほしいわけだ)

 進む先がどれだけ怪しかろうと、《HP》と《正気度》に物を言わせてぐいぐい探索する。こんな力任せも序盤のうちはけして悪い手じゃない。むしろ探索のついでにキーパーの反応をうかがう腹積もりなら一石二鳥ですらある。

 そこで僕は対処不能な神話生物などトラップがないことを祈りつつ、『なら俺はドアを開けるぞ』と宣言した。

『……ひとつ、よろしいでしょうか』

『どうしたナコ』

『ナコは危険だと思うの』

 さすがはめがね女子。いかにも知的でもっともらしい意見だ。

『拉致した犯人を想定するなら、せめて室内を照らせる明かりは必要かと』

『だからって素通りするわけにはいかないだろ。今の俺たちに使える時間がどれだけあるかもわかりゃしないってのに』

『……それもそうなの』

 囁ちゃんはしょうしょうの態で首を縦に振る。

『念のためナコは下がっててくれ』

『わかりました。キーパー、ナコは露木さんから3メートル離れた位置で彼を見守ります』

「りょーかい。じゃ、描写しまーす」

 さて、鬼が出るか蛇が出るか。

『――か弱い女の子を守ろうとする快男児たらんと自らに言い聞かせるかのように、捕逸は恐れを口にせず、しかして戦慄を押し殺しながらその扉に手をかけた』

 知子ちゃんは引き戸の取っ手をつかもうとするパントマイム的演技を交え、描写にためを作る。次いで緊迫感を顔に貼りつけると、熱がこもったイントネーションで捕逸の運命を告げた。

『――がっ! 捕逸の意に反して扉は一寸たりとも開かれない。じかに触れ、重みを感じた今ならわかる……この扉にはカギがかかっているのだと!』

(ずこー)

 わざわざ描写挟んどいて入れさせないのかよ!?

 ああまったく、適度にプレイヤーの不安を駆り立てるナイスな表現方法だったよ認めるよ。

 だからやめてくれ知子ちゃん。その「どや? 驚いた?」って書いてあるような笑顔は僕に効く。

『……はあ、ったく』

『開きませんか?』

『カギがかかってる』

 僕はやれやれといった感じの身振り手振りでナコちゃんに説明する。

『もういっそ体当たりでもするか。教室のドアなんてそう頑丈でもないだろ』

『頑張ってください』

『えっ、手伝わないの?』

『肉体労働は嫌いなの』

 囁ちゃんは淡々としたロールプレイでそう告げた。

 ナコちゃんってそういうキャラでもあるのか。覚えておこう。

『というより、頭脳労働以外にやりがいを見いだせません。運動なんて言うに及ばず、身だしなみだってナコはおっくうなの』

『へえ、そうなのか』

「……キャラシを見て、ください……」

「ちょっと待ってね」

 ――なるほど、確かに容姿欄には『だらしない』って書いてるね。

『でも今着てるのは制服だったよな?』

『コーディネートを気にしなくてすむので。3着ほど持っています』

『あーそういう……』

『髪もこのとおり伸ばし放題です』

 囁ちゃんはうねる後ろ髪を左肩にまとめ、するりと手ぐしを通してみせる。実によどみない指通りだけど、イメージとしては本人のつやめく黒髪にはほど遠いぼさぼさ髪なんだろうか。

 しかしながら、特にPCの見た目を決めてない僕と違って彼女の作り込みもといこだわりにはしきりに感心させられる。

 そこはかとなくロマネスクな私服といい、まるでデザイナーだね。

『……さておき、ここのドアはどうしましょう。体当たりするんですか?』

『いや、雑談をしてるうちに気が変わった。どこで拉致野郎が見てるかわかんないし、おとなしくカギでも探そう』

『……本当にあるのでしょうか』

 囁ちゃんはいぶかしんでいるかのように声を落とす。

『犯罪心理学的観点に立って考えると、こんな大がかりな犯罪をわざわざ実行に移す人物というのは、この手の状況に快楽的執着を抱いていると言えます。よって繰り返し同じ状況を楽しむためにも、罪の暴露につながりうるナコたちの逃亡を許すとは思えません』

『詳しいんだな』

『先週の水9ドラ』囁ちゃんはしばし口ごもる。『――ナコは賢いの』

「ほんとかなあ?」

『ナコは賢いのっ! それと警部の子どもなのでこういうことには詳しいんですっ!』

『そ、そうだったんだ……いやほんと、悪かったよ』

 あまりにステレオタイプなはにかみっぷりで言い直すものだから、つい軽口をたたいてしまった。内気そうに見えて、ちゃんとほおをふくらませて怒ったりもできるんだなあ、この子。

 というか警部の子どもで『木暮』って、もしやあの推理漫画のパロディか? こんな事件に巻き込まれるのもうなずけるな。

 閑話休題。ここでの探索により、マップ上の出口とおぼしき階段ふたつのうち、左側の階段へ行くには《教室1》を経由するほかなく、さらにドアを解錠するカギが必要とわかった。

 では右側の階段はどうだろう。防火扉のルートは置くとして、《教室3》を経由すれば案外行けそうな気がするんだよなあ。

 だってほら、シナリオ上にカギが複数あっても面倒なだけでしょ? キーパーも煩雑なフラグ管理に追われちゃうし、メタ的に考えるとほかの教室にカギはかかってないはずだ。たぶん。

「というわけで、次は《教室3》あたりを調べてみない? 右側の階段に通じてるから行く価値はあると思うんだ」

「そ、それはいいですけどぉ……トイレは見ないんですか?」

 トイレ。左右の廊下を結ぶ短い廊下にくっついてるやつか。

 ちょうど通り道にあって、PCも男女ひとりずつ参加してるんだったな。

「それじゃあ事のついでに調べちゃおうか。捕逸くんが《男子トイレ》、ナコちゃんが《女子トイレ》でいいかな?」

「ふたり一緒じゃなくて大丈夫、ですか……?」

「真向かいにあることだし、いざとなったらこっちに逃げ込むか、捕逸くんを呼んでくれればいいよ」

 ただし、トイレの神様ならぬ邪神様に出くわしたら潔く逝こうね。僕もついてくから。

『キーパー、話がついた。俺とナコはそれぞれ《男子トイレ》と《女子トイレ》を探索するぞ』

「初心者連れなのに単独行動とは強気ですねー」

 知子ちゃんは挑発じみた口調で応じる。

「部長直筆のシナリオなんですから、どうなっても知りませんよー?」

『お前を信じてるぜ、知子』

「先輩っ!? それって遠回しの告白ですかっ!? まさか照れ隠しのロールプレイだなんて言いませんよねー?」

「さっさとしろ」

「あっはい……」

(滅多なことを言うものじゃないな)

 あわや暴走というところで知子ちゃんを制した僕は、小さなため息とともに机に両肘をついた。

「えー……ではナコちゃんから描写します」

『お願いするの』

『――広幅な女子トイレは蛍光灯が外されており、廊下からの明かりだけでは奥の様子が判然としない。かろうじて見えるのは、床の赤茶けたタイル、正面の個室、右手の黄ばんだ洗面器。そして左手の暗闇だけだ』

「うぅ、せめて懐中電灯があれば……」

 そうつぶやいたのち、囁ちゃんは胸に手を当てながらおずおず質問を切り出す。

「キーパー、物音とかはどうですか?」

「まーったくしません」

「えっとぉ……それって水の音とかも?」

「ナッシングですっ。《聞き耳》も意味ないのであしからずー」

「じゃあ《目星》してみます」

「女子トイレの奥まで足を踏み入れて、真っ暗な中で《目星》してようやく目標値2分の1で判定できる感じになっちゃうけど、それでもやるん?」

「に、2分の1……!?」

 おっとっと。そんなにマイナス修正されるとナコちゃんにはかなり厳しいな。

 彼女の《目星》は最大で『6』。これに2分の1のマイナス修正を施すと目標値は『3』になる。よってここでの《目星》ロールを成功させられる確率は、たったの18%程度しかない。

 CoCの《目星》初期値が25%だから、酔狂でもなきゃ乗りたくない勝負だね。

「少し……いえ、とっても怖い、ですぅ……」

「ただの失敗なら時間をむだにするだけだし、振る分にはそれこそタダだけどねー」

「で、でも、暗闇に入らなきゃいけないし……」

『いざとなったら』なんて言ってあげたけど、勝ち目が薄すぎる賭けに単独で挑むとなれば悩むよなあ。現に相方が大負けしちゃってるんだもん、無理もない。

 なのでここはひとつ一計を案じるとしよう。探索者の舞台に流れる時間をコントロールできるのは、なにもキーパーだけではないのだ。

「ふたりとも、ちょっといいかい?」

 口を挟んだ僕に後輩女子たちが顔を向ける。

「捕逸くんたちがトイレを調べたのってほぼ同時だよね? だから桑原ちゃんが《目星》で悩んでる間にこっちの描写を進めてもらえないかな?」

「いいんでしょうか……? それだとナコちゃん、棒立ちになりますけどぉ……」

「問題ないよ。同じ時間に起きている別のイベントを描写してもらうだけだからね」

 早い話がキーパリングの都合だ。「一方その頃」とか「さかのぼること○○分前」で別の誰かを描写するとき、フォーカスされてないPCの時間までは進められないってわけさ。

 キーパーが複数人いて、同時進行でそれぞれの描写をするなら話は別だけど、まあ誰もやりたがらない。

 だって容易に想像できるだろう? 一斉に描写されたらとても聞き取れやしないって。

「ほら、テレビゲームに一時停止ポーズはつきものでしょ? ジャンルは違えどTRPGもゲームだからね、深く考えることないよ」

「く、くわばらはそういうの、よく知らなくてぇ……」

「じゃあとりあえず、捕逸くんの描写が落ち着くまでナコちゃんは待機ってことでいいかな?」

「は、はいっ……」

 助け船だと認識されているかはともかく、僕のお願いに囁ちゃんは落ち着いた様子で了承してくれた。

 ロールプレイ重視か、はたまたメタプレイ重視か。

 難しめな局面で自分のPCをどのように行動させるかは彼女の判断に任せるとして――。

「キーパー、《男子トイレ》の描写も頼むよ」

 僕は僕なりに捕逸くんらしく振る舞わないとね。

「そちらなんですが、内装の描写については《女子トイレ》と大差ないので省略させていただきます。……がっ!」

「が、なんだい?」

『――だが、ここに限っては、廊下から差し込む半端な明かりすらあってはならないと捕逸は痛感した。否、真にそう思うべきは明かりでなく、床に散乱した大小さまざまな骨――理科や保険、それでなければ歴史の教科書に見られる、およそ人骨と呼べる物体のほうだろう』

『……なんだよこれ。……人、なのか……!?』

「闇にさらされた、おぞましくもおびただしいかばねの数々。怪しげな場所でこんなものを見てしまった捕逸には『1オア1D3』の《正気度》ロールとなりまーす」

(気安く言ってくれるなあ)

 どうやらトイレ選びでも捕逸くんの不幸体質が働いてしまったようだ。

 一応断っておくけど、これでも僕は6年連続で『末吉』を引き続けてるからね。けして僕の運が悪いわけではないよ。

「……どっちでもいいか」

「なにか言いました?」

「いや。振るよ」

 僕は軽々に返事をすませ、気負うことなく6面ダイスをふたつ、横なぎに滑らせる。率直に言って8以下を出すなんてたやすいものだと、すっかり高をくくっていた。

 ころころ転がり目が定まる。続けて僕は目を見張る。かくのごとき惨状をこそ弱り目に祟り目と呼ぶのだろう。

 ダイスふたつに示されたのは『6』プラス『4』の達成値『10』。

 目標値『8』をゆうに上回っている。残念ながら《正気度》ロールは失敗となってしまった。

「マジかあ……」

「くっふふー、失敗ですねー」

「ああ、次は1D3だ。最大値は勘弁してくれよ……?」

《正気度》の減少値を決めるべく、僕は気持ち慎重に6面ダイスをひとつ振る。不幸中の幸いか、最小値である『1』が顔を出してくれた。

 おかげで最終的には《正気度》ロール成功の結果とさしたる違いはない。どうだ見たか! 僕が引き続けた『末吉』の力を!

(こりゃ来年のおさいせんは奮発しないとなあ)

 ちなみにこの1D3は「3面ダイスを1個振る」って意味になる。もちろんそんなロールケーキみたいなダイスはまず市販されてないし、手ずから製作したとしても各出目の確率分布を均等にするのは至難に違いない。有り体に言えば「できるわけねーじゃん」である。

 だからこの場合、6面ダイスの出目を2で割って、小数点以下を切り上げた数値が使われるんだ。1D2とかにも応用できるから覚えておいて損はないよ。

『ったく、物騒だな』

 僕は1点分の《正気度》喪失に即した形でロールプレイしつつ、その減少をキャラシに反映させる。

「《男子トイレ》も奥側のほうは暗くて見えませんが、調べたりとかします?」

『体格や筋力に自信があるとはいえ、ああも気色悪い場所をこのまま調べられるほど俺は怖いもの知らずじゃない。気勢をそがれた感もあるし、いったん出直させてくれ』

 だいたい捕逸くんのメンタルって、野球での挫折を理由に《ゲーム倶楽部》へ傷心旅行ならぬ傷心入部するレベルだもん。女の子の前だからって奮い立ったりなんかしないよきっと。

『俺のほうはこれで終わりだ。それで、ナコはどうするか決めたのか?』

「は、はいっ。考える時間をいただけたので……」

 囁ちゃんは気を取り直すかのようにひとつ、小さなせき払いをする。

「ふつうの人はもちろん、ナコだって電気もつけずに暗いところをむやみに進まないと思います。……なので、《女子トイレ》の探索はあきらめ、ますぅ……」

「うん。筋が通ったクレバーな判断だと思うよ」

 さっきみたいな不意のSANチェックも避けられるからね。

「ではでは、目的地の《教室3》までばーっと進ませてもらいますねー」

《教室3》は右側の廊下で、階段と防火扉が近くにある部屋だっけ。

「やあキーパー、こっちの防火扉は開きそうかい? それとも左側のやつと同じ感じ?」

「左の《目星》には成功してるんですもんねー。じゃー『こっちも開きそうにないなー』ってわかってください」

『わかってやったぞ』

「そうなりますとぉ……右の階段へ行くには《教室3》を通るしかない、ですね……」

 囁ちゃんのつぶやきに同調するべく「そうだな」と僕は相槌を打つ。

「《教室3》のドアはどうなってる?」

「開いてますねー。それと例によって絶賛消灯中でーす」

「開いてるって?」

「うい」

「ふうん」

『ほかの教室にカギはかかってないはずだ』などとメタ読みしといてなんだけど、開けっ放しは珍しいパターンだな。

 この手のシナリオではいたずらに難易度や恐怖感を減らさぬよう、要所要所で探索系技能を使わせて情報の取得にちょっとしたリスク――いわゆる確率への挑戦を強いるのがスタンダードだとばかり思ってたけど。

(すでに開いてるんじゃ恐怖感は確実に薄れるよな)

 ToTとの互換性があるためか、桜花は精力的にCoCのシナリオを書いている。《ゲーム倶楽部》は全17作ある自作シナリオのひとつにすぎない。

 そんなにもシナリオを書けるやつが、一部といえども演出をずさんなままにするだろうか。するわけがない。ミスだと知れれば最悪、ゲームクラブ部長の沽券にかかわる――あいつならきっと、そう思い至るはずだ。

 ここまで思考を重ねれば、自ずから理由も見えてくる。

 おそらく《教室3》にはシナリオ進行において、絶対に調べてほしいなにかがあるのだろう。さもなければ、出口になり得る階段へのルートをフリーにしておく意味がない。

「開いてるならちょうどいいや。捕逸くんは防火扉から《教室3》に視線を移すよ」

「な、ナコも露木さんと一緒にその教室をのぞきますぅ……。《目星》ロールは必要、ですか?」

「とりあえず《目星》不要な情報を先に言っちゃうんで、ほかに気になることがあったらまた聞いて? その都度こっちも考えるから」

(アドリブ魔め)

「うん」

 知子ちゃんの指示に囁ちゃんはおとなしく従った。

「今のおふたりは黒板側のドア付近に立っています。そこから《教室3》をのぞいているので、12時の方向に黒板と教壇、10時の方向に山積みされた机と、そこに鎖でつながれた4本足の大きな獣が見えますねー」

「4本足のぉ……獣?」

「おっと《正気度》ロールかな?」

「ありませんのでご安心をばー」

 ああよかった、見たら発狂する系じゃないのか。

 ひとまずセッションが終わらずにすんでなによりだ。

「見た目はどうなってるんだろう。こんな感じ?」

 僕は片手または両手を使って動物――狐やら犬やらのジェスチャーをしてみせる。

 しかし知子ちゃんはいずれに対しても顔を振った。

「確かに犬っぽいですけど、ぱっと見ではやや毛足の長い動物としか思えないでしょう」

「ボーダーコリー……じゃないですよね」

 そいつも犬だからね。

「その獣はおふたりに気づいたのか、らんらんと光る両目でじっとそちらをにらんでいます。耳を澄ませば、こもったようなうなり声や、ちゃらちゃらこすれる金属の音が聞こえるかもしれません」

かくされてる……あっ! 念のため、モルモットをナコのポケットに戻しておきますっ」

 そういえばずっと僕の――いや、捕逸くんの頭の上にいたな。

 ハム公のくせしておとなしいやつめ。

「はいどうぞ」

「す、すみません……『――お利口さん。今はここで隠れているの』」

 囁ちゃんの慈しみに満ちたロールプレイによって、僕の頭は消しゴム1個分だけ軽くなった。

「技能抜きの描写はこのぐらいにしてっと。おふたりはどうします?」

「獣について調べるのは、やっぱり《目星》……でしょうか」

「犬みたいな動物ってところまでわかってるし《知識》でもいいかもね」

 むしろ《知識》カンストのおかげで失敗の目がなく、自動で成功扱いになるからごり押しのチャンスだよ?

「暗い場所で目を使うことに変わりないので、どのみちマイナス修正は避けられませんよ?」

(あー……そう簡単にはいかないか)

 だがここで食い下がるのがTRPGにおける僕のプレイスタイルだ。たとえ懐中電灯みたいなアイテムが手もとになかろうと、あの手この手でくだくだしく理屈をつけてやるさ。

「ああそれそれ」僕ははたと指を鳴らす。「最初の教室は情報ないって言われたから確かめなかったんだけどさ、この教室に電気のスイッチってある? いや、ふつうあるよね。教室なんだから」

「ははーん、そうきましたか」

 暗闇によるマイナス修正なんて受けたくない。

 そんな僕の意図を察したらしく、知子ちゃんはうんうんうなずいた。

「せっかくですし、ここは《幸運》ロールといきましょう。成功すれば明かりをゲットです!」

「失敗すれば?」

「スイッチが故障してたってことで」

「つまり《電気修理》の出番ってわけだな!」

「またまたー、小学生ですよー?」

「それを理由にマイナス修正してくれて構わないよ。クリティカルすればいいだけの話だからさ」

「ならその失敗は感電死ですねっ!?」

「ああ! ――ああ?」

「やーん2日連続で先輩の死に芸が見られるなんてぞくぞくしちゃうにゃー」

 そう言って知子ちゃんは赤らんだほおを両手で押さえ、狂おしそうに身をよじる。

 ところでキーパー、悪ふざけした側が言うのもなんだけど、君の悪乗りなんかマジっぽくない? なに、演技ガチ勢ってそういうのにすら興奮を覚えちゃうの?

「……こ、《幸運》ロールするね?」

「いいですよー先輩、今日は運が悪いみたいなのでそのままスカッと」

「なんか成功したわ」

「先輩っ!? なんで成功させてるんですか!?」

「なんでって……たまたまダイスが1と3を出したとしか……」

 低めに見えるかもしれないけど、一応《幸運・6》の《幸運》ロールは約45%で成功するからね。当たるときは当たるものさ。

「ぐぬぬ……では捕逸は幸運にも手の届く範囲に電気のスイッチを見つけ、《教室3》から見事に暗闇を追い払えました。これにより、おふたりの目は獣の姿だけでなく、あるものについても認識できることでしょう」

「おっなんだい?」

「先に全容が明らかとなった獣から描写しまーす」

 それはそれでありがたい。件の獣について頭を働かせずにすみそうだ。

 ――なんて思えたのも、ほんのつかの間。

 僕の経験則に基づいた楽観はすぐにあっけなく、完膚なきまで打ち壊されるはめになった。

『――どす黒い体毛、そそり立つ耳、突き出した鼻、血染めの犬歯。くすんだ昼光色に照らされてようやっと理解が及ぶ。あれが犬や狐とは似て非なる捕食者、すなわち狼であろうことを』

 教室に狼。

 あまりにミスマッチなものだから、さすがの僕も眉をひそめてしまったよ。

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