第9話
「な、ナコはどうなったんでしょうか……!?」
「きっと心配には及ばないよ。ひとまず次の描写を待とうか」
誰になにをされたかもわからぬうちに己がPCの意識を奪われ、どぎまぎする囁ちゃん。そんな彼女をあっけらかんとなだめながら、僕はシームレスに机に突っ伏した。床に倒れている捕逸くんのロールプレイである。
やるかどうかは人それぞれ、またはケースバイケースだけど、できる限りPCになりきったほうが面白い。それがTRPGという遊びなのだから、ゲームクラブ副部長の僕が進んで実践しないとね。
(で、肝心の描写だけど)
僕はほおを机にくっつけたまま目を動かす。見ると知子ちゃんは小休止でもするように塩あめを口に運んでいた。とても火急の事態とは思えない気のゆるみっぷりである。
大事には至っていない。
メタ的にとらえるなら、その一言ですむ程度の状況だといえよう。
(言ったら言ったで興醒めになるだろうけど)
僕がセッションの空気感に配慮するかたわら、知子ちゃんは友人の不安もどこ吹く風と次の場面を語りだす。
『――児童の安全が守られているはずの学舎で何者かに襲われた。これは悪い夢だ、そうに違いない――そんな無意識の願いもむなしく、ふたりの意識は深淵なるまどろみから現実へ向けて泡のように浮かび上がる』
『……うーん……はっ!?』僕はがばっと顔を上げる。『ナコ!? って、あれ……?』
『――見上げた捕逸の視界に飛び込んできたのは、どこの教室にもある黒板とおぼしきものだった。断定できない原因は大きくふたつ。体育倉庫ほどではないにしろ捕逸の周囲が薄暗かったことと、目覚めた場所が自分の知るどの教室とも似つかなかったことだ』
「……どの教室とも似つかないって、具体的には?」
「まず整然と並べられているはずの机と椅子が――って、その前にナコちゃん起こしましょ?」
「あっ」
うっかりに気づかされたのもつかの間、僕と知子ちゃんの話の流れにぴったりなタイミングで囁ちゃんは「う、うーん」と机に突っ伏し、「はっ!」とすかさず起き上がった。どうしてなかなか空気の読める女の子である。
『ナコ、大丈夫か?』
『露木さん……? ここは?』
『それが俺にもさっぱりで……』
僕はとっさに知子ちゃんへと見向く。それを描写の催促と受け取ってくれたらしく、彼女はまたも女優スイッチを入れたような顔つきで口を開いた。
『――あたかもうち捨てられた教室のようだった。空気はほこりをはらみ、机と椅子はすべて黒板の反対側に山積み。見れば、それらはぼろぼろで、手当たり次第に体を預けるのは大変危険だと思える。ふたりの手の届く範囲にあるのは、親指ほどにまとまったほこりがせいぜいだ』
「電気はついてない?」
「ないでーす。でも体育倉庫よりほんの少しだけ明るいかと。廊下から蛍光灯の明かりが差していますので」
「まわりの様子を描写してくれたってことは、捕逸くんたちが目視でそれらを判断できる程度には明るいんだね」
「イグザクトリー、ですっ」
「ふうん」
心なしか奇妙だな。かといって、嘘をつかれている気がちっともしない。
この違和感はいったいなんだろうか?
「……あのぉ」
ここで控えめに手を挙げたのは囁ちゃんだ。
「ここって、窓はないんでしょうか……?」
(――それだ!)
僕はたまらず胸中にてひとり合点した。
窓とは換気のみならず採光にも用いられるものだ。教室のようだというのなら、捕逸くんたちが目覚めた場所にだって設けられててしかるべきだろう。
だが、知子ちゃんの描写からは窓の情報がすっぽり抜け落ちている。
僕が感じていた違和感はまさしくそこにあったのだ。
(窓の景色を見れば、ここが学校のどのあたりなのかもわかるはず。あるいは時間も)
当たり前すぎて考えもしなかったけど、なるほど、それなら確認する必要があるといえよう。
「ありません」
なんだって?
「えっとぉ……ないんですか? 窓」
「ないでーす」
囁ちゃんの問いかけに知子ちゃんはにこりとほほえむ。
名状しがたい謎を突きつけ、困り顔のプレイヤーを神の視点から観察する。そんなキーパーならではの楽しみ方を満喫しているみたいだ。
さておき、この場所。いかにも教室みたいに描写しておきながら窓がないときている。誰がどう見たって悪質な建築基準法違反だとしか――。
「……もしかして地下?」
「ええっ!? なんで知ってるんですか!?」
不意に浮かんだ僕の思いつきに知子ちゃんは一驚を喫する。
「おっとっと。ほんの出任せだったんだけど」
「えっ……!? ……あ、あははー」
自信満々にキーパーを務めていたゲームクラブ部員の姿はどこへやら。知子ちゃんは困り顔でしきりに目を白黒させている。僕の思いつきが当たっているかどうかなど、もはや言を俟たないというやつだ。
「別に
「……はー。リアルアイデア一発成功とはさすが先輩ですねー。すごいすごーい」
(じと目が刺さる)
PCが知り得ない情報をプレイヤーの視点から開示してしまうのは、TRPGにおけるタブーのひとつに数えられる。プレイヤーとPCはあくまで別人であり、視点や知識を共有してるわけじゃないからね。
頭ではわかってるんだよ。ただ、囁ちゃんのナイスな着眼に刺激されちゃってつい、ね?
……いや待て待て。窓がないのはいいとして、地下に教室みたいな部屋があるとかやっぱりおかしくないか?
「まーいいですよ。場所の重要性についてはシナリオに明記されてなかったですし」
「ん、それだとまるで自分が作ったシナリオじゃないみたいだ」
「言ってませんでしたっけ? 今回のシナリオ、部長が書いたものですよ」
「マジかよ……!」
僕は知子ちゃんに手招きをしつつ椅子を引く。そうしてこちらに身を乗り出してきた彼女に開口一番「大丈夫なのかい?」と耳打ちした。
「なにがでしょ?」
「なにって、
「だってシナリオ考える時間なかったですし……」
知子ちゃんはすねた幼児の声色でささやく。
(よくもあいつの自作シナリオを選べたものだ)
トークオブトリップ。端的に言えば、語り手が遊んだセッションの真偽を聞き手が推理するTRPGだ。
無論、そのセッションに用いられたシナリオを聞き手が熟知していれば、推理において多大なアドバンテージとなる。答えを目に焼きつけてからテストを受けるのとさしたる違いはない。
いつものように挑む側、すなわち語り手であろう僕にとって最悪の
行き当たりばったりにしても、これぐらいは想定できるだろうに。
「ですがご安心を、
「囁ちゃんが? けど彼女は」
「よ、呼びましたか……?」
僕と知子ちゃんは揃って目を転じる。疑問符を投げかけてきたのはうわさの主、囁ちゃんだった。
セッション中に自分以外の参加者ふたりが内緒話を始めれば誰だって気にはなる。うやうやしい彼女のことだ。そっとしておこうと思いつつ、しかし意識を逸らし続けるのもままならず、耳を澄ませていたのかもしれない。
そうしていよいよ自分の名前が挙がったために、いてもたってもいられなくなったってところかな。
「なんでもないよ囁ちゃん。部長のシナリオだって聞いたものだから」
「くわばらです……」
(やけにこだわるなあ、この子)
知り合って半日も経ってないとはいえ、仮にも僕は知子ちゃんの友人――じゃないな、一方的にすり寄られてるだけだった。
ともかく、僕なんてたいがい人畜無害な小学生なんだ。そう得体の知れない他人めいた距離感を意識せずとも危ない目には遭わないよ。
僕を踏み台にして
「それとぉ」囁ちゃんは両手を合わせる。「部長さんのこと……少しだけうかがってもいい、ですか……?」
「桜花のことを?」
僕は思わず調子はずれなトーンで答えてしまった。それもこれも、予想外の角度から質問が飛んできたせいだ。
「別に構わないけど、どうしてまた」
「知子ちゃんの愚痴によく出てくるんです。ですがその、ただの悪口なのに不思議と、……面白くって……」
思い出し笑いでもこらえているのか、囁ちゃんは片手を口に添えながらしきりに肩をふるわせる。
「つー・うー・ちゃん?」
「知子ちゃん
「えっと……それでふたりがシナリオの話で部長さんに触れていたので、このタイミングなら聞けるかなぁ、と……」
囁ちゃんは部長もとい桜花への興味を言外にほのめかす。セッションに参加する意思を示したときの様子を判断材料とするなら、今の彼女が抱いているのは興味というより
学校じゃあいつ、つんけんしてない分だけ評判いいからなあ。そりゃクラブ外の後輩も注目せずにはいられないわけだ。
もっとも、僕だけが知る桜花の実態を
「まあ、そういうことなら語ってあげるよ。なにせ幼なじみの僕にうってつけとも言える話題だからね」
――ともあれかくもあれ。
桜花が慕われる存在だと実感できるのは幼なじみとして鼻が高い。それに紙芝居がめくられる瞬間を心待ちにするかのようにうずうずしている女の子が目の前にいるのだ。セッションのさなかではあるけれど、ここはしばし
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