第1章

第3話

 勝てる見込みがない勝負に挑み、そして勝つ。

 いかにもテレビゲームの勇者らしくてかっこいい物語だ。

 まあ、そんな劇的なあらすじは俗に言う予定調和ありきで、勝利を約束されているがゆえに成立する。現実を生きる小学6年生ごときにはほうすらかなわない絵空事だろう。

「あいつの振る舞いこそ魔王だってのに……」

 ただし、常から横暴というわけでもない。むしろ僕が抱いてるイメージはその真逆といって差し支えない。

 品行方正。八方美人。育ちの良さをひけらかさない、世俗こうのお嬢様――それがおうという幼なじみの特徴だ。

 実際真人間ではあるんだよ。僕とのセッション以外では。

(そんなやつに意見したとあっては、どっちが悪者かわかりゃしないな)

 そこまで考えてから、僕はうっくつした気分を吐き出すように嘆息した。入れ替わりにこうを伝ってくるうさぎ小屋と野菜くずの生々しい空気が、胸のもやもやをいっそう強めてくる。ふんはそれほど臭くないのがせめてもの救いだと思っておこう。

(あいつとのセッション……ここの掃除みたいにはいかないよなあ)

 僕は自在ほうきの柄の先端に両手を重ね、あごを乗せ、校舎裏手に位置するうさぎ小屋の中を見渡した。

 農業用ネットにつる植物をはわせた屋根は手が届かないため管轄外。四方を金網で囲われたうさぎ小屋の中は30平方メートルもない。おまけにここのうさぎは警戒心からか絶対に牙をむかず、それどころかこちらが近づくと逃げてくれるので、隅から隅まで安全にほうきを動かせる。

 班員のサボりに見舞われ、ひとりきりになってもなお、ここの掃除当番は簡単にすませられるといえよう。

 桜花との一騎打ちもこれぐらい容易に果たしたい限りだ。

「勝てない勝負とわかってるだけに、やっぱ気が滅入るや」

「そういうときはおいしいものを食べるといいですよー」

「朝食ならとっくに――って」

 聞き覚えのある声がしたほうに僕は振り返る。うさぎ小屋の金網から向こう側に、見慣れたサイドテールの女の子がひとり、小学生らしからぬファンキーな軽装でしゃがんでいた。

 彼女の名前はなるとも。僕と同じくプレイヤーとして昨日のクラブ活動に参加していた、ゲームクラブの一員である。

 行き当たりばったりな暴走車にして、ネオンぎらつく劇場の擬人化。

 僕に人を見る目があるかと問われれば疑わしいが、知子ちゃんの性格などについてはこれでおおむね言い表せてると思う。とにかくそういう子なのだ、この後輩女子は。

 閑話休題。なんのつもりかは皆目わからないが、知子ちゃんは金網の隙間にタンポポの茎を束にして差し込み、寄ってきたうさぎたちへと次々餌付けしている。そこいらでむしってきた雑草だと知るよしもない草食獣には大変好評のご様子である。

「先輩もおひとついかが?」

「食べない食べない」

「花は天ぷら、若葉はおひたしにすると美味なんですって」

「マジ?」

「信じるかどうかは……あなた次第ですっ!」

 ははーん、さてはテレビの受け売りだね?

 いつか目隠しで食べさせてあげようじゃないか。

「あーそうそう、聞きましたよー部長との件。まーた部長の気に障っちゃったんですか?」

「そんなつもりじゃなかったけど」僕は首筋をかく。「挑まれたのも、断れなかったのも事実さ。今だけは笑ってくれていいよ」

「とんでもない! アタシいつだって先輩の味方ですよー?」

 常日頃からすり寄ってくる人間を味方と呼ぶのは、なんというか、はばかられる。

「そんな渋そうな顔しないでくださいよー。こんな朝早くから先輩のとこに来たのは、とっておきの作戦を思いついたからなんですよー?」

「作戦ねえ」

「イグザクトリー! ですっ!」

「ででん!」と言いながらに知子ちゃんは勢いよく立ち上がる。そんな彼女に驚いたらしく、ついさっきまで餌付けされてたうさぎたちはだっもかくや――というか脱兎そのものとなって、あっという間に散らばっていった。

「あの部長ときたら、トークオブトリップ全戦全勝でてんになってるに決まってます。ここはふたりでむつまじーくタッグを組んで、びんびんに伸びた部長の鼻をパキってやりましょう!」

(天狗になっているかはさておき)

 僕はただちにいぶかしむ。

 すり寄ってくるのは相変わらずとはいえ、ここまでぐいぐい迫るときの知子ちゃんは大なり小なり魂胆があると見ていい。

 たとえばそう、恩を売りたいとかね。

「疑いたくはないんだけどなあ」

「先輩のいけずっ! どうしてそんなこと言うんですかー?」

 知子ちゃんは肩まで露出させた両腕をぶんぶん上下させる。

「アタシはただ、セッションのたびにいじめられる先輩がいたたまれなくて仕方ないんです。ほら先輩っ、アタシの目を見てください。すーっごいキラキラで嘘偽りなんて少しもない!」

「うーん、これはカラコン」

「……絶対にしー、ですよ?」

 なんて雑な口止めだ。今のが《言いくるめ》ならマイナス修正必至だろうさ。

「まずいと思ってるならつけなきゃいいのに」

「女優はいつでも輝いてなきゃだめなんですー。そもこれ度が入ってるんですー」

 知子ちゃんは恥もせず、さも「自分は間違ってなんかない」といったふうにぷっくりむくれた。一言で言えば逆ギレである。

「と、とにかくっ! 今回こそは部長にぎゃふんと言わせるチャンスですから! それに手応えがあったほうが、あの部長だって楽しむそぶりを見せるかもしれませんよ?」

「へえ。――楽しむ、ね」

「あとはえーと、部長はトークオブトリップに勝ち続けるあまりマンネリに陥ってしまい、つい先輩とのゲームを無理ゲーにしちゃうのかもしれません! 悪女ですね!」

(根っからのサディストかよ! ……なんて冗談は置いといて)

 マンネリに陥ってるというのは、当たらずといえども遠からずって感じかもな。ただでさえ家柄が家柄なのに、あの日以来、輪をかけて不自由な生活を強いられるようになったわけだし。

 桜花とのトークオブトリップ。

 ゲームクラブの健全な活動のため、よかれと思って彼女を注意したことに端を発するセッションなのは言うまでもないけど、ゲームであるのもまた事実だ。遊ぶ上でみなが楽しめるなら、知子ちゃんの言う作戦とやらに乗るのも一興かもしれない。

 なにより僕は退屈そうなあいつを見るのがいやなんだ。

 わけもなく、あの日のことを夢に見てしまうから。

「知子ちゃん」

「うい」

「いくら市長の息子だからって返せる借りにも限度がある。……それでも僕に協力してくれるのかい?」

 僕は嘘をつかず、本心からそう尋ねた。

 見たことないから確証もなにもないけど、こういうのを世間では鳩が豆鉄砲を食ったようと呼ぶのだろう。僕の問いに知子ちゃんはしばらくきょとんと立ちつくしたのち、電流でも浴びたようにいきなり躍り上がり、うさぎ小屋の金網に両手をびしゃんとたたきつけた。

「もち! もちろんですっ!」

 なんだかとっても喜んでる。まるで向こう側が飼育スペースで、活発なほ乳類がエサの時間に暴れだしたかのようだ。

「じゃあこれしまったら作戦ってのを聞こうかな。だからちょっとだけ」

「放課後に先輩の教室行きますっ! 忘れずに待っててくださいねー!」

「いやその、知子ちゃ――」

 制止しようとしたが時すでに遅し。

 僕が自在ほうきから手を離すより先に、知子ちゃんはこつぜんと僕の前から消えていた。

 お魚くわえた猫だってもう少し落ち着いてるぞ?

「……なんなら君たちのほうがお利口さんかもね」

 僕はうさぎ小屋の隅に目をやった。人畜無害な草食たちのシルエットはどこにもない。あるのはもぞもぞとうごめく、白、黒、茶色の神話生物――ではなく、自己防衛する気満々な方陣を組んだ毛むくじゃらの桃源郷ユートピアだった。

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