うたたねをしていたらしい。まばゆさを覚え、片蕗克紀は瞼を開いた。車窓を冬枯れの田んぼが延々と流れていく。列車の振動音にしばらく耳を澄ます。網ポケットに突っこんでいた緑茶のペットボトルを手にとる。飲み残しを一口あおると、意識がはっきりした。

 何時だろう。ジャケットの内ポケットからスマートフォンをとりだす。大丈夫、乗り過ごしていない。ニュースアプリを開く。「静岡の公園に女性遺体」という見出しがあった。

(みつかったか)

 思わずタップしそうになって、やめた。母に到着時刻を伝えてあるので迎えに来てくれるだろう。きっと車中で、この事件が会話の話題になる。母のほうから口火を切ってもらい、驚くフリをするほうが精神的に楽だ。

(早いな)

 ニュースになっているくらいだから、遺体が発見されたのは午前中だろう。捜索ではなく、早朝にジョギングでもして通りがかった人物がみつけたのか。草で隠していたのが風でも吹いて覆いがとれたのかもしれない。

 血に染まった髪が、脳裏に浮かんだ。中馬加奈江はろくに抵抗しなかった。後頭部を石で殴りつけると、加奈江は頭を押さえようとした。指が触れ、登山帽が地面に落ちた。後ろをふりむこうとさえせず、その場に崩れ落ちるようにへたれこんだ。

(よかった)

 老境に差しかかった女性の腕を克紀はつかんでどかし、頭頂部めがけて石をくりかえしふりおろした。

(簡単に終わって、良かった)

 石は池へ投げ捨てた。地面は土だから、目についた血痕は靴底で捻じり消すことができた。もちろん、科学捜査がされたらなにかみつかるだろう。死体を隠した草むらには足跡だって残っている。事故にみせかけることは初めからあきらめているから構わない。死体は池に沈めたほうがいいのではと悩んだこともあった。それだと発見までに時間がかかって死亡推定時刻の幅が広がり、アリバイを偽装する意味がなくなってしまう。

 死体を隠し、足早に駅まで歩き、特急列車と新幹線を乗り継いで都内へ向かった。駅の防犯カメラに姿が映るだけで充分だが、よりアリバイを堅固にすべく知人のマンションに押しかけた。情報系の専門学校で後輩だった男で、今期最高の作品だというアニメを視聴させられた。連続殺人犯を何人も造りあげる悪漢と名探偵が対決するストーリーだった。

(なにやってんだか)

 夜中、自分のアパートに帰った。現場から持ち去った登山帽を克紀はハサミで切り刻むとトイレに流した。疲れていたが、横になっても眠りはなかなか訪れてはくれなかった。

(なにやってんだろうな)

 列車の窓ガラスに真昼の幽霊のような顔が映っている。シェーバーを実家に置き忘れたせいで、無精ひげが生えていた。里山の稜線を目でなぞる。五分後に駅へ到着するというアナウンスが流れた。

 倒していたリクライニングを戻し、克紀は立ちあがった。ダッフルコートを羽織り、ショルダーバッグを手にとる。ノートパソコンが入っているせいで、ずしりと重い。

 ダークウェブにアクセスするためのブラウザは、もう消した。犯行計画を整理するために作ったメモや、ネットで参考にした資料の類もすべて削除した。ハードディスクを丸ごとデータ消去し、OSをインストールし直した。

 車両間のスペースに行く。振動と音が強くなる。どうやら他に降りる客はいないらしい。扉の嵌め殺し窓から市街地を眺める。

(終わったな)

 沙東萌さとう めばえの死を知ったのは単なる偶然だった。資格試験の勉強に飽きて、実家の居間で何の気なしに新聞を広げた。美容室の従業員が店舗内で首吊り自殺という記事があった。美容室の名前に聞き覚えがあり、やがて喬一の母親の店だと思いだした。

 中馬加奈江は息子が自殺した後も店を続けていた。死んだ沙東萌は二十三歳だった。死の直前、美容室の公式ブログに沙東は遺書めいた文章を残していた。ブログから記事は削除されていたが、アーカイブサイトで読むことができた。加奈江の厳しい指導にストレスが溜まっていたこと、心療内科に通院していたことが綴られていた。

 強い怒りは覚えなかった。克紀が抱いたのはむしろ、あきらめに近い感情だった。やりきれない。無言で頭を垂れる者たちが列を成し、真夜中に雨の降る荒れ野を崖へと歩いていくのを目にした気がした。

 年の暮れ、克紀は就業中に倒れた。熱っぽさを覚え、休憩を入れようと立ちあがったとたんに目眩がした。気を失い、救急車が呼ばれ、過労と診断された。

 わけがわからなかった。多忙な時期ではなかった。スマートフォンアプリの下請け開発が無事に終わり、納入が間に合わず別契約となった運用マニュアルを制作していた。終電帰りが続いていた頃ならわかる。たかがドキュメントの執筆で体調を崩した理由がわからなかった。

 自分はもう三十七歳なのだと知った。結婚もせず、若い頃と同じ無茶ができると信じたまま働き、気がつけば崖っぷちに立っていた。

 三ヶ月間の休暇を願いでて、上司からは文句のひとつも無かった。忘年会の席で「片蕗さん死ぬんじゃないかと心配してました」と後輩社員に笑顔で言われた。

(死ねるかよ)

 列車の速度が衰えていく。扉が開き、克紀はホームに降りた。重いバッグを担ぎ直し、改札へ歩く。

(死ねばいい)

 実家の居間で、漫然とテレビのニュース番組を眺めていた。大企業のCEOが保釈中に中東へ逃亡したニュースの続報が報道されていた。苛立ちが込みあげてきて、リモコンをつかむとチャンネルを変えた。そこでも同じニュースが報道されていた。

 名前の残る奴と、残らない者がいる。人を殺しても平気な奴と、知らずしらず殺されていく者がいる。善悪がせめぎあうのではなく、強い奴と弱い者たちがいて、あるがままに世の中は動いていく。

(さて、と)

 これからどうするか。来月から、また仕事だ。性格的に自分は結婚に向いていないと思っていた。このまま独身を貫いて良いのか、真剣に考えなければならない。健康も重要だ。食生活を見直したほうがいいのかもしれない。

 そうそう、英語を勉強しないとな。文法を復習しないとまずいだろう。なに、いまどきネットの助けを借りれば機械翻訳もできる。焦ることはない。ほとぼりが冷めるのを待つ必要があるのだから。

 この犯行計画とその結果を文章にしよう。少しずつ英語に訳していこう。どこかの会員制サイトで、新しいアカウントでそれを公開しよう。固有名詞さえ置き換えれば、どこの国の出来事か気づかれるはずもない。一般大衆がまだダークウェブのことを知らない、今こそ旬だ。共犯同盟という考えは、もっとブラッシュアップできるはずだ。

 悪辣なことをたくらむ奴がでてくるだろう。組織的な犯罪に利用されるかもしれない。それならそれでいい。こんな些細なことで壊れる世の中なら、いっそ壊れてしまえばいい。

(ふざけるな)

 駅員に切符を渡す。改札を抜ける。売店の前で背広姿の男たちがたむろしている。ガラス扉を押し開ける。

(こっちは生きてるんだ)

 ロータリーを端から端まで見渡す。母の車がみつからない。まだ来ていないのか。

「片蕗克紀さんですか」

 ふりかえると、背広姿の男が三人いた。さっき売店の前にいた者たちのようだ。

 いきなりフルネームで呼びかけてきた男は、浅黒い顔をしていた。首を傾け、まぶしそうに顔をしかめると、警察の者だと名乗った。

「お聞きしたいことがあるんで、署まで来てもらえますか」

 瞬時に、克紀は理解した。この刑事たちは克紀が駅に到着する時刻を母から知ったのだろう。事前に克紀のスマートフォンへ連絡を入れることはせず、待ち伏せしていた。克紀をただの情報提供者とはみなしていない。重要容疑者とみなしている。

 他の二人の刑事が、左右にそっと別れる。いつでも克紀の腕をつかめる位置に立つ。

「な、り……その」

 まただ。克紀は自嘲した。これだから俺はダメなんだ。トラブルにすぐうろたえる。

「理由をお聞かせ願えますか」

「中馬加奈江さんの件で」

 きょうとめし。ぽつりと刑事がつぶやいた。

「京都飯。変わった名前ですが、そう名乗る人物から署に連絡があったんですよ。罪に耐えられない、すべて告白するってね」

 頭の中で、強い光がまたたく。闇と光、黒と白、虚構と現実が何度も入れ替わる。

(ありえない)

 そんなことは、ありえない。京都飯が裏切ることなど、絶対にない。

 なぜならなのだから。導師も京都飯も、なのだから。

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