ミドル2 虹の円環

早朝、空が薄紫に染まりつつある。


黒いセダンの後部座席の中央に、切間沙織は居た。

「こんな早朝から送迎だなんて、UGNのエージェントも大変だね」

「我々の仕事ですので」と、UGNから派遣されたエージェントの女の一人が答えた。

沙織を挟むようにスーツ姿の女が二人、助手席に一人。

そして、

「同姓同名でもしやと思いましたが、まさか本当に沙織ちゃんとは」

軍帽を被ってハンドルを握る帰蝶が、沙織の警護についていた。

「ああ、私もばぁやの運転で送り迎えしてもらうなんて、子供の時以来だよ」

クスリと笑う沙織の顔、そしてばぁやという単語に怪訝な顔を示したエージェントに笑って帰蝶は応える

「これでも、自分は長くこの世と付き合っておりますからな」

「お知り合いだったのですか」

「私にとっては古い付き合いだよ。ばぁやはちっとも変わらないね」

ふふ、と笑った帰蝶は「沙織ちゃんは随分と立派になりましたなぁ」と返した

「なに、好きなように生きてたら面倒な肩書がついただけ―」


と、沙織の返答を遮るかのように、ドクンと心音めいた音が聞こえてくる

「…おい、今日の稼働試験は7時からだったんじゃないのか?」

訝しげに沙織が尋ねるが、エージェントの耳には入っていない様子だった

「…生命信号ロスト!?  場所は!? 稼働試験区画だって!?」

エージェントの一人がインカムの内容を聞いて叫び声を上げる。

その声を聞いた沙織の顔が、バックミラー越しに蒼白になるのを見て

「沙織ちゃん。 深呼吸」

と、帰蝶が柔らかい笑みで語りかけた。

その笑みを一瞬で真顔に戻し、アクセルをやや強く踏み込む。


「思ってたよりもずっと早く動きやがったでありますな。 揺れにご用心」

「試験区画付近のレネゲイド反応が急速に増大しています!」

「事故? セキュリティチームからの返答は?」

「ありません! そもそもこの時間に詰めてる職員なんて…」

「彼奴が乗り込んで来たのやも。 周辺の映像は?」

「地上付近にレネゲイド反応の検出なし。陸路のルートはオールグリーンです」

「彼奴は…『天使」の名の通り飛べますからな。3次元検出はどうでありますか?」


沙織は、ただ呆然とエージェントと帰蝶の話を聞いていた。

彼女にとって、こういった修羅場など殆ど無縁だ。冷静にものを考えるなど到底出来ない。

ましてや、友人が事故、あるいは事件に巻き込まれた。その事実を一研究者がそうそう飲み込めるはずもない。

(また、ばぁやに頼りっぱなしなのか、私は…)


「補足しました! 映像出します!」

映像には、数メートルはあろうかという翼を広げ、カメラが捉えるギリギリの速度で空を滑っている白い人型の影があった。

「ふむ。間違いない。天使―「ウリエル」―本人でありますな」

「ですがこの映像、58分前のものです」

「構わんでありますよ。 彼奴が現れた事実があれば良し」

そう言って、帰蝶はさらにアクセルを踏み込む。 エージェント達も銃を構えるもの、エフェクトの光を放つもの。

各々の戦闘態勢に入っていった。

沙織が、この状況から逃げるように目線を後部座席の窓に向けると

空に、虹がかかっていた。

否、空から、虹が『降りて』きた。


無意識だった。沙織の胸の前に野球ボール大の青い正八面体がスルリと出てくる。 

人が『魔眼」と呼ぶそれが青く鈍い光を放つと、沙織の周囲の時が止まった。


事態に気づいた沙織は、虹をじっと見つめる。  

これまでのゾッとするような「事故』の経験から、沙織は直感した。

(このままでは…あの『虹』で私達が『消し飛ぶ」)

止まった時の中、動かず外せないシートベルトの隙間をなんとか縫って、前方を見る。

分かれ道だ。 

(先程一瞬見えた『虹』の方向、角度、もしあれがレネゲイトロンからの「流出」だったら…

考えられるエネルギー量は…いや、今欲しいのはそこじゃない)

首を振って、必要な思考に収束させる。

―左と右、どちらなら、生き残る確率が高いか。

『虹』の描いた放物線から暗算で簡易な位置を割り出す。

(…まったく、とんだ試験問題だな。)

結論は出た。―後は神にでも祈るしかない。

彼女の計算が終わるちょうどギリギリに、魔眼は光を失い、時が戻り出した。


時が戻ったと同時に、沙織は叫んだ


「左だ! 左のトンネルへ!」


その声に一瞬たじろいだ帰蝶はだが、何かを察して左へハンドルを切り、トンネルへと突っ込んだ


『虹』が落ちてくる。それと同時に、トンネルの外壁が瞬時に老朽化したかのように崩れ落ち始める


周囲が虹色に光るのを見て、もう一つ沙織が叫んだ


「目をつぶれ! アレを直視するな!」

そう言いつつ、魔眼が再び青く輝きだす。 

と同時に、車の周囲に薄暗い膜が貼られ、朽ちていく周囲から護るように滑っていく

「彼奴め、なんという無法を」

車のスピードメーターが、デタラメに数字を変えていく。

周囲のエージェント達も、状況が飲み込めず当たりをキョロキョロと見回している。

虹の光を躱して、黒いセダンはトンネルを抜ける。


その眼前には―空に浮かぶ「天使」の姿と、

合図によって車に向けて天から放たれた紫色の柱の影があった。

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