OP4  カロンは虹の架け橋を渡るか


大学の来賓用の応接間。

迎賓館を改装して作られたその部屋は、ロココ様式の白地のティーテーブルとソファが並べられ

大学の応接室にしては豪奢なあつらえになっていた。

屋内でサングラスに革ジャンの男が、そのソファに浅く腰掛けて周囲を見渡す。

対応した事務員は、学内の奇人共を見慣れているせいか、男の外見にひとかけらの興味も抱かず

「今、切間先生も研究室から向っております」と、男の目の前にコーヒーカップを置く。

カップもアンティークなのだろうか、宗教画調の天使が虹をかける絵が描かれている。

濃い琥珀色のコーヒーは、かなり焙煎が強く、苦味が引き立っている。

男は一口飲むと、用意されていた小さなミルクポットを注ぎ、その色を薄くした。

男がコーヒーをすすっていると、ノックの音が聞こえてくる

事務員が扉を開けると、そこに女が一人。

長い黒髪に白衣。白衣の下にはオレンジ色のツナギが見える。年は20代ほどだろうか、

何も知らない人物が彼女の顔を見れば、ここの院生かと思うかもしれない。

遮光用のゴーグルを額に乗せた女は、男を見て作業用の手袋を外し、右手を差し出す

「水城さん。思ったより早かったね」

男も立ち上がって、右手を出して握手をする。

「田舎だから電車が早いのさ。顔を合わせるのは二年振りだな、切間さん」

「『家庭教師』の時以来か。葵君はいい生徒だったよ」

女が席につくと、事務員が置いたコーヒーに角砂糖を三つばかり加えてかき混ぜ始める

切間が事務員に軽く礼を言うと、相手はニコリともせずに部屋から出ていった。 

「UGNのどこの応接室より金かかってるな。 それとも俺が入れてもらえてないだけ?」

「スポンサーを集めるのは、得意な方なんでね」

と、口の端を歪めた後、

「だけど流石に今回はまたキミのスポンサーを集める気は無いよ」

サングラス越しに、男が苦笑いするのを切間は呆れた目で見ていた。

「今回サインして欲しいのは借用書じゃなくて…こっちだ」

男が、切間の前に一枚の紙を差し出す

題字には、「レネゲイトロン 実用稼働試験テスター兼調査員契約書」

と書かれていた。

契約書の文言を軽く、―傍から見れば軽く、彼女にとっては数十分にも感じられるほど長い時間

目を通した後、切間は口を開いた。

「人体スケールでの実験フェーズ? 随分一気に進んだんだな。 

つい半年前まで直径30cm規模での空間ゆらぎの封じ込めに四苦八苦していたじゃないか」

「いやぁほんとアレには参ったよな」

腹の肉より揺れるんだものといいながら、空になったコーヒーカップを置いた。

「と、言うことで切間先生。失敗して暴走すりゃアンタは肉塊。

上手く行けばこの反逆者(レネゲイド)渦巻く世界の救世主」

この博打に乗るかいと男が声をかけた時には、すでに契約書が男の目の前に戻されていた。

やや右上がりに書いた 切間 沙織というサインが加えられて。

「どっちにしろ、冥土の土産話には丁度いい題材だからね。 約束通り『乗る』よ」

「加速空間に対して耐えられるバロール(時空間能力者)のオーヴァードで、こんな危なっかしい実験装置に乗ってくれるほど物好きで、

タキオンの研究に精通しているフリーの学者…」

「オマケにとびきり写真映えする美人となれば、切間センセが地球上でオンリーワン、だ」

「わかればよろしい」

男の世辞も気にする風もなく、切間は話を続けた。

「だが、ここに至るまで葵君は随分と親孝行な事だな」

「女房子供を質に入れ、を地で行くようなヤクザな父親相手にここまで付き合ってくれるとは」

「樵が斧研ぎ10年かけて、質屋に娘の買い戻しをする為せっせと働いてる。 実に滑稽だわな」

サングラス越しの目が少し俯いたのを、切間は見なかった振りをした。

男―水城 清の妻、そして娘は両方賢者の石の所持者だった。

単体で、世界を一変させるだけの力。

だが幸か不幸か、二人ともその石の力を戦闘に使うだけの技も、戦意も持たなかった。。

ただ、多数から力目当てに狙われるだけの立場。

質屋―研究の協力者として家族を装置に『縛り付ける』ことで、家族を血なまぐさい戦いから避けようとした。

「娘を人殺しにするか、機械に縛るか悩んで…」

「娘の『友達』を、人殺しにするのを選んだ。 因果な父親さ」

そう言って、研究資料に写った娘の写真を眺める。 横には、護衛の暁 錬の姿もそこにあった。

「おめでとう。キミは地獄行き確定だ。 ま、私も遅かれ早かれそっちに行くんだ。 向こうで酒でもおごってくれ」

「地獄なんてものがあれば、な」

「科学者らしい事を言うね。…キミは危なっかしいからな。前もそうだったが、

焦って自分の命を地獄の窯にくべるなよ。友達からの警告だ。」

切間は、親ほどにも年の離れた男にそう、言い放った。

男は茶化すように答えた

「切間センセは真面目だねぇ。 教科書に載ったら、その名言も載るんじゃない?」

「『オーヴァードによる火星テラフォーミング計画」、上手くいきゃあレネゲイドウイルスだけじゃなくて

人類の諸問題をひっくり返すレベルのプロジェクトだ」

「狭い地球で化け物未満がちまちま殺し合いをするより火星でジャガイモを作ってるほうが世の為だからな」

「私が教科書に載るかはどうでもいい…。教科書を読む程度の文明は維持してもらいたいものだ」

「流石に天才は言うことが違うね。レネゲイド産の天才(ノイマン)どもでも追いつかない発想力だ」

そういって、一呼吸おいて資料をドン、と切間の目の前に積み上げる

「そんな天才の切間さんに贈れる、ロートルからのオンリーワンの勉強机のプレゼントだ。」

「…ああ、さぞ良い机に違いない。UGNと君等の人生をつぎ込んでるんだからね」

目の前の資料には、K町に建つ法螺貝めいた施設が映っていた。

『レネゲイトロン実験棟」 そうタイトルのうたれた写真を指差して男は胸を張る仕草をした。

「この水城清謹製の天下無敵の名槍、名前のダサさ以外は完璧だ」

「反逆者(レネゲイド)を貫けるように、せいぜいこの槍を上手く扱ってやるさ。…一ヶ月後を楽しみにしているよ」

カレンダーの日付は、5月14日。 これが、切間と水城の別れの言葉となった

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