OP2 虹は一炊の夢の架け橋となるか
山沿いの鄙びた景色を眺めながら、少女は書類を眺めていた
〇〇年度 決算報告書 UGN K町支部
その下には、 UGN K町支部長 Nelloa felix Banediet(ネロ・バンディット) とサインが書かれている
一年前、少女がこのK町の支部長になった日にも、この名前について尋ねられた事を、思い出していた
「いらっしゃいませ、ようこそK町支部へ、だ。」
自分を迎えに来たサングラスと革ジャンの男が、渡した名刺を見てしばし悩む
「よく来てくれたな、えっと…」
「ネロでいいわ」
日本に来てこのかた、9割以上の相手が自分の名前を発音できた試しがない。
(フリガナでもつけておこうかしら)
「ま、とにかくご苦労さん。 俺が研究に金を使い込んだせいでここまで来たんだろ?」
「若いのに大変だな。ま、そこにかけてくれや」
サングラスの男…屋内でもサングラスをかけているその男は、悪びれもせず、かといって侮りもせずに目の前の自分に応対する。
UGNという組織には、10代、下手をすれば小学生程度の年齢で活動している職員やエージェントが多数在籍している。
とはいえ、娘と同い年ほどの相手にこうもフラットに応対できる眼の前の男は、懐が広いのか、あるいは周りに平等に興味がないのか。
「茶も菓子も用意してある。俺好みで揃えてあるがな」
「ええ、それじゃあ遠慮なく頂くわ。 久々の菓子ですもの」
「監査役殿はご冗談が上手い」
冗談ならどれだけよかったろうか。目の前の甘みの薄い茶菓子を口に入れながら、ネロは考えていた。
伯爵家の令嬢ともてはやされたのは幼少まで。何の因果か家財は全て失い、親類のツテをたどってこの遠い島国へ
家族の残した莫大な負債を返済することが、10代の少女の双肩にのしかかっていた。
彼女が超人(オーヴァード)であるが故に、その責務を受け止める力があることが、不幸だったのかもしれない。
その借金返済の為の金銭へのシビアさ、会計知識が買われてこの沈みかけた泥舟のような支部へとやってきた。
目の前に居る男が、この舟を道楽で沈めかけている張本人だとも、彼女は把握していた。
レネゲイトロン オーヴァードの研究者である男が取り組んでいる夢物語のようなプロジェクト
バロール・シンドロームの時間操作能力を転用し、研究時間を永遠とも言える長さへと伸ばす。
男が見る一炊の夢かと思ったが、そうではなかった。
自分の妻、そして今は娘が保持する「賢者の石」を動力にする事で、それを現実のものにしつつあった。
「理論や成功した際の利益は十分に理解できるけれど、自分の娘を動力にとはね」
自分の不快な視線に気づいたかどうかはわからないが、男は話しを逸らすように答えた
「鏡みたいなもんだな。付き合ってもらってるのは加速の前後だけさ。 元々の名目は賢者の石の安全な摘出…ま、公私混同だな」
「真っ当な研究なら、私の出番はないものね」
「ああ、この町にあるのは時代遅れのロートルと、ハコモノだけさ」
そのまま、男は続けて話しだした。サングラス越しのせいか、表情は相変わらず読み取れない
「で、何を削る? 監査役兼次期支部長さんの最初の仕事だろ」
「その前に、やることがあるでしょう? 資料だけでは、わかるものもわからないわ」
「言えてるな。 実地で見るのは賢明だ。 それで削る予算を上手く減らしてくれれば、俺も助かるし…」
「アンタが、この世界の"裏切り"を終わらせた功労者と評されるのも夢じゃないかもな…いや、夢物語、か」
男の言葉に、口角を少し上げて応える。
「夢を見なければ、人は前に進めなくってよ?」
決算報告書を読みながら、ネロは奇妙な研究者―水城 清という男との1年を振り返っていた。
身なりはだらしない、口は悪い、すぐに金をちょろまかそうとする、といった点を除けば、研究者としては誠実な男だった。
予算もなんとかそれなりで収められている。この町の高校を卒業する頃には、一区切りつくだろうか
そう思っていたところで、支部のパソコンから通知音が聞こえる。
メッセージの差出人は、水城 清 題名は【有人実験フェーズへの移行】
実験が、最終段階へと突入したという意味を察したネロは、ふっと表情をゆるめる
「ようやくできたのね。…この茶菓子ともお別れかしら」
「虹の架け橋」と称された寒天を食べながら、ネロはそう、つぶやいた。
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