第5話 先に言ってよ……

 豚の化け物が一歩前に出る。

 それだけで僅かに地面が揺れ、微小な振動が足を伝って感じられる。


「ニンゲン、ヨワイ、オデ、ツヨイ」


 ガチガチと牙を鳴らし、不快極まる笑顔を見せやがった。


『ミナト! 黙って我の力を使え! オーク如き骨も残さん!』

「だから、火事になったらどうするんだよ! いいから黙ってろ!」

『っく……分かっておろうな! 貴様が如何に武に長けておろうと一撃でももらったら終わりだぞ!』


 わかってる。

 地面を揺らすほどの重量を持った相手の一撃だ。

 ウェイトの差から考えても捌くのはリスキーすぎる。


「なら、当たらなきゃいんだよ!」


 先程の一撃を見る限り、奴の攻撃は確かに半端な威力じゃない。

 だが武器を持たない素手での大振りはリーチも短く見切りやすい。


 なぎ払う様な一撃をかがんで躱すと、鳩尾に全力の拳を見舞う。

 だが、やはり分厚い脂肪に阻まれ、多少動きを鈍らせる事が出来たが、ダメージを与えるまでには至らない。

 その後も隙を見ては拳と蹴りを叩き込むも致命打には至らない。


「ニンゲン、ヨワイ、オマエ、チカラナイ」


「っけ! 言ってろよ、こっちはまだ一発も貰ってねぇんだ」


 だが、ダメージが無いだけだ。

 そもそも一発でも貰えばよくて戦闘不能、最悪一撃死という状況は、通常より遥かに体力を消耗する。

 このままでは持久戦になり、そうなるとやられるのは時間の問題だ。

 クロに力を借りなくても、手がない訳では無い。

 恐らく通用するし、一発で倒す自信もある。


 だが、それは恐らくあの豚にとって致命傷になる。

 ゴブリンの時は予想もしていなかったし、あんなにあっさり死ぬとは思っていなかった。


 でも今は違う。


 そんな俺の迷いは、当然の様にクロに伝わってしまう。


『そんな甘い考えは捨てろ! ここは貴様のいた世界とは違う、子どもの喧嘩では無いのだ。 情けをかければ自分が死ぬ事になるぞ!』


 分かってる。

 分かってはいるが、自分の中の道義が決断を鈍らせる。


『いいか、よく聞け! 貴様には今、自分の命の他に、この我とあの娘の命もかかっておる! しかもあの娘はただ殺されるだけでは無い、オークは繁殖に人間の女を使う、長い時間嬲られ、慰みものにされるのだぞ!』


 最悪だ。


 そんな話を聞かされたらもう腹を括るしかないじゃないか!


「わーったよ!」

『よし! なに火事を起こすようなヘマはせん!』


 俺は息を吸い込むと覚悟を決め、一足飛びでオークの間合いに飛び込む。


 ここまでの攻防でおおよそコイツの動きは掴んでいる。

 コイツの動きは極めて単純だ、太く重い腕を振り下ろすか、なぎ払うか——

 そしてそのどちらも渾身の一撃だ。

 当然、交わした直後は大きなスキを見せる。


 狙うはその一点——


 これまで以上に接近する必要がある。

 それこそゼロ距離まで詰めなければならない。


 オークが間合いに入った俺を見ると、予想通り大振りの横なぎを放つ。

 これまではその場でかがみ、躱していた。

 だが、今回はそこから更に体制を低く落とし、もう一歩踏み込む——


 その時、オークと俺の距離は更に詰まり、ほぼゼロ距離になる。

 もし、この一撃が効かなかったら、恐らく次の攻撃は躱せない。

 捕まれば一巻の終わりだ。


 だが、そんな心配は必要ない。

 これは普段の技とは、根本から違う。

 そもそも普段のそれは技とも呼べない。

 なにも考えず振るわれる子どもの拳と根本は同じだ。


 しかしこの技は違う——

 相手を制する為でも、倒す為のものでもない——


 純粋に破壊する事にのみ特化させた技だ。


 生み出した力を一点集中させ、無駄無く相手に撃ち込む一撃だ。


「—ッ!! 破!!」


 俺の場合、それを両手の掌から相手の正中線に向けて放つ。

 放たれた衝撃は相手の体内でぶつかり合い爆ぜる。


 今回の場合、ほぼ確実に倒せる一点を狙った。


「ブ、ブヒ?」


 オークが膝から崩れ、先程までカチカチと牙を鳴らしていた口からは真っ赤な血液が零れ落ちる。


 俺が狙ったのは背骨——

 ほぼ全ての生物にとって傷つけばほぼ確実に致命なダメージを負う。

 ましてや二足歩行する生物だ。

 背骨を砕かれ、神経が傷つけば立っていられない。

 そういう風には出来ていない


『ほぉ、やるではないか。 いったい何をした?』


「浸透勁とか呼ばれる技だよ、背骨を砕いた、奴はもう動けない。 もっとも内蔵にもダメージがあったみたいだから放って置いたらまず助からないだろうけどな」


 改めて、それを自分がやったという事実に胸糞悪くなる。


『仕方あるまい、この世界で人間は生態系の頂点ではないのだ。 抗わねば死ぬだけだ』


 クロのいう事は正しいのだろう。

 きっと俺は綺麗事を言っているだけだ。

 既にゴブリンを殺し、オークは時間の問題だ。


 割り切るしかない。

 それが出来ないなら大人しく殺されるか、逃げ回るしかない。


「よしッ!」


 バチンと音を立て自分の頬を打つ。

 すぐは無理でも切り替え、慣れるしかないのだ。


『そういう事だな、まぁ今回の様な無茶はもう御免だ。 貴様がオークに肉薄した時には念仏を唱えたぞ。 次からは我の力を使え、貴様に死なれては我も困るのでな』


「考えておくよ」


 それより今はあの女性が気になる。

 俺は瀕死のオークから離れ、女性に近づく。

 距離が近づくにつれ、薄暗く見えなかったのが見えるよになる。


 長く、綺麗な金髪——

 目鼻立ちはくっきりしており若い——

 恐らく、年齢的に俺に近い気がする。


 ぶっちゃけ美人と可愛いの中間で、とりあえずめっちゃ可愛い。

 この子があの豚野郎にあんな事やこんな事をされてたかと思うと——


 うん、オークには悪いが助けて良かった。


「あー……大丈夫?」


 俺がそう声を掛けると目を一瞬キョトンとしだが、慌てて頭を下げた。

 腰が抜けて地面に座り込んだ状態でだ。

 結果、側から見れば俺が助けた女性に土下座させるというシチュエーションの出来上がりである。


「す、すみません! 助けてくれてありがとうございます!」


「いや、それは良いからとりあえず顔上げて? 女の子に土下座させるとかちょっと人格疑われそうだから」


 そう言うと彼女はゆっくりと顔を上げた。

 おでこに若干土がついてるが、やっぱり可愛い。


『何を見惚れておる、そんなに気に入ったのであればこの場で手籠にしてしまえば良かろう?』

「サイテー過ぎるアドバイスをありがとう、でも黙れ」

『冗談に決まっておろう、この娘には森の外まで案内してもらわねばならんのだからな』


「あ、あの……ところで貴方は?」


「ん? あぁ、悪い悪い、俺は日向ミナト、んでコイツは……」


 そこまで言いかけてようやく俺は自分の失態に気がついた。

 あまりにも当たり前に会話していたからクロに存在を感じていたが、冷静に考えなくてもこの子から見れば俺は完全に独り言を喋る危ない奴だ。


「コイツ?」


 案の定、彼女は首を傾げている。

 俺は慌てて、事情を説明した。

 唐突にこの世界に召喚された事、自称魔王が俺の中にいる事、ここがどこか分からず迷っていたらオークに追われる彼女を見つけた事など洗いざらい説明する。


『ミナト……貴様、自分が如何に突拍子もない事を言っておるか自覚しておるか?』


 一通り説明した後で言わないで欲しい。


「…………」


「ほら見ろ! めっちゃ怪しまれてるじゃん!」

『逆ギレするでない、それにまた声に出しておるぞ、心の中で話しかければよかろう?』


 どうやってだよ! そう心の中でツッコむ。


『それで良い、貴様が意識的に我に伝えようとすればそれで伝わる』


 もうね、ホント先に言ってよ……

 なら最初からそれでよかったじゃん……


「えーっと、ヒュウガさんは異世界から来て、その魔王さんの魂が同居してるって事で良いんですか?」


 クロとの下らないやり取りをしていると、彼女がそう聞いてきた。


「うん、いや、違——くないけど、違うって言うか、待って弁解させて!」


 必死である。

 迷いに迷ってようやく出会った人間だ。

 怪しまれてる逃げられでもしたら、また森を徘徊する事になる。

 と言うか、逃げられたら色々と傷付く、色々と——


「という事はヒュウガさんは迷い人と言う事ですか?」


 そう言う彼女の瞳には訝しむ色はなく、キモがる様子も無い。

 と言うか、なんか俺のした荒唐無稽な話が通じている様だった。

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