13 魔法使いと天使
バロンがガラン王国を立ち約一月が過ぎた。ガラン王国のある西の大陸からアルドア王国ある東の大陸には徒歩で二ヶ月は掛かり、道中危険も多い。特に東の大陸は魔物が多いため、武の心得がない者では危険であり、無事に西の大陸に辿(たど)り着いても、今度は人間が脅威となる。盗賊が多いのだ。
一人、深緑の草木に包まれた森の道を一人進む。彼の得意分野は医療系魔術であるが、攻撃魔術も習得しており、道中に出会った脅威はほとんど蹴散らしてきた。そして医療に携わる者として立ち寄った村や町ではほとんど見返りなしで病人、怪我人を助けている。
「雲行きが怪しいな……」
黒いローブのフードの奥からバロンは空を見てそう呟いた。確かに雲は段々と黒い雲が立ちこめ、今にも雨が降りそうである。
(ローブに雨反らしの魔術を発動させておくか・・・・・・)
バロンは頭の中でイメージし、魔術を発動させる。天才と評されるバロンの発明した魔術は、簡単な魔術であれば予め仕込んでおく事で、脳裏でイメージするだけでそれが発動するという画期的な物である。
しばらく森を歩いていくバロンは気づく。それは何かが近づいてくる感覚だ。音と振動でなにやら複数の動く物がこちらに近づいてくるというが分かる。
バロンは青い杖を構えた。そして雨が降り出したその瞬間にバロンの目の前にそれは通り過ぎた。それを見たバロンは呆気に取られると同時に驚嘆する。
「あれは……まさか天使か?」
彼の前を通り過ぎたのは一人の幼き天使とよく出会う魔物であるキラーウルフだった。 どうやら幼き天使はキラーウルフに追われている様で、こちらに気づく事なく道を横切って行った。
(あの天使様……どうやら翼を怪我(けが)をされているようだ)
一瞬の事でもバロンは見逃さなかった。幼き天使は怪我しており、そのせいで飛んで逃げる事が出来ないのだと容易に想像できた。
(叔父さんから聞いていたが、天使様は古来人間を導いてきた天界の使者。崇敬すべき存在だと教えられたけど……)
叔父の話とは違う姿にバロンは戸惑いながらも、走り出す。あの幼き天使を助ける為だ。
(どんな事情でも怪我(けが)をしている子は助けなければ――)
バロンは道を外れ、森に入っていった。
翼を鋭い爪で裂かれた幼き天使ヘレネは必死に逃げていた。両目から大粒の涙を流し、翼の痛みと空腹に耐えながら、キラーウルフから走って逃げる。
天使諸島から地上に落ちて三日目。ワイバーンから逃げる事に成功するも、気づいたら地上に降りていたヘレネは混乱し恐怖した。
初めて来た地上は彼女にとって未知の領域。泣きじゃくるも助けはこず、ついには泣き疲れ嵐も来た為、とある洞穴に逃げ込んだ。そこで一日は過ごし、大人の助けを待ったが、意味は無く。ついに三日目にして空腹に耐えかねた彼女は食料探しに出る。そして運悪くキラーウルフと出会い、今に至るのである。
「たすけて!!!! ママァァ!! パパァァ!」
ヘレネは叫んだ。だが、空の上に届くわけはなく。空しく響くだけだった。後ろからは恐ろしい顔でキラーウルフが迫る。
泣き叫ぶヘレネを今にも食わんとするその魔物は人間界において、一匹程度では雑魚扱いされる。しかし、魔術の事についてもほとんど教えられていないヘレネにとって脅威度は高い存在でしかなく、生まれて初めて味わう死の恐怖にヘレネはただ怯え震えて叫び逃げるだけだ。
ヘレネは森を抜けて、開けた平野に出た。そしてそこで足を挫いて、盛大に転んだ。
「へっ!?」
一瞬、転んだ事に気づかないヘレネだったが、すぐに背後から飛びかかってきたキラーウルフにより、転んだ事を気づかされた。
もう、お終いとヘレネは頭を両手で抱え、ブルブルと震えながら身構えて目を瞑り、死を覚悟した。しかし、キラーウルフは突如、炎に包まれた。ヘレネの上を通過した。炎に包まれ、のたうち回り、ついには情けない鳴き声を出してその場から逃げていった。
「えっ?」
訳が分からないヘレネは呆然とし、そして少し落ち着いて雨が降っている事に気づいた。
「大丈夫でありますか天使様!?」
その声でヘレネは振り向く。すると逃げてきた森から黒いローブを身に纏った人間が森から現れた。
大人から教えられた地上の下人。我々、天使より格下の存在でありながら、神の命により教え導けと言い伝えられし種族。
「えっと……」
ここでヘレネは思い出す。父から教えられた言葉である。それは『人間とは言葉を交わすな』である。
人間は我々天使と比べると貧弱な存在でありながら大昔から争い、殺し合い、憎んで妬み合っている愚かな存在だ。お前は務めが来るまで、人間と出会ってもしゃべるなと父ルシファーから言いつけられていた。
「どうなされましたか? もしかして大きな怪我でも?」
そう言いながら近づいてきた人間にヘレネはとりあえず頭を横に振った。
おしゃべりがダメなら、身振り手振りならいいはずだとヘレネは咄嗟に思いついた。
「どうやら翼をお怪我されている様で。僕はこれでも医療魔術が使えますのお診せください」
人間はそう言ってヘレネのそばでしゃがんだ。だが、ヘレネは初めて見る人間に警戒しており、涙を拭って少し怯えた様子で人間から少し離れた。
「……僕を警戒しておられるのですか」
ここでヘレネは人間が男で、しかも少年と言える年頃の若い男であると気づいた。
その少年であるバロンは、フードを取り顔をヘレネによく見せた。
「僕はバロン。ガラン王国医師団所属の魔術師です。この度、東の大陸に向かう傍らあなたを見かけ、お助けしましたが余計なお世話であったでしょうか?」
そのバロンの問いに対し、ヘレネは首を横に振った。
「それは良かった。天使様の助けになれたなら光栄です」
バロンはそう言って安心した表情を見せた。
「しつこい様ですが、翼をお怪我されていますね。どうか、この僕に治療させて頂けますか?」
生まれて初めて出会った人間に対し、ヘレネは戸惑っている。この人間は信用していいのか?
父ルシファーからは人間の醜さ、愚かさは散々聞かされていた。正直な所、頼りたくないはずであるが、ヘレネは意を決して頷いた。
「ありがとうございます」
バロンはそう言うと、自分のローブを脱ぎ、ヘレネに被せた。
「とりあえず、雨が止むまで雨宿りしましょう」
バロンはヘレネを背負い、近くの大きな木の下に移動した。そして治癒魔術にてヘレネの傷ついた翼を治癒した。
「これでとりあえず治しましたが、まだ飛べるまでには時間が掛かります」
ヘレネは翼の痛みが無くなって少し安堵した。すると空腹ゆえにお腹が鳴った。ヘレネは少し赤面する。
「お腹が減っているのですね?」
バロンは肩掛けバックからパンを取り出し、ヘレネに渡した。
「お口に合うかわかりませんが……」
ヘレネは人間の食べ物に抵抗を感じているのか、すぐに手にはしなかったが、もう我慢はできない。涙をこぼしながら、手に取り食べた。
「あまり慌てないほうがいいですよ」
バロンの忠告は届いていないのか、ただただもくもくと食べる。そんなヘレネを見て、バロンは安心すると共に笑った。
ヘレネがパンを食い終わる頃には、雨は止んだ。通り雨だったようで、二人は晴れた空を見上げるのであった。
「さて……これからどうしましょうか? 天使様?」
雨上がりの森の中、バロンは人間界に落ちてしまった幼き天使に問う。その問いに幼き天使は迷ってしまうのであった――
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