12 天使の子
浮遊諸島。この世界の空に浮かぶ島々の事である。人間魔族が住まう大地より数十キロ上空に漂う土の大地は人を寄せ付けない。そのせいか大地に住まう人達は空高く(そらたか)見える浮遊諸島を神聖化し、時には信仰の対象としていた。また神聖する理由はもう一つある。
それは天使が住まうからである。浮遊諸島の一つ。天使諸島は天使の国であった。白い翼を持ち、光属性の魔力を持つ天使は古代から人間達に知恵を授けてきたとされる。人間が扱えない魔術を使い、時には幸をそして時には災いをもって人間達を導き裁いてきた。
だが、もうそれは昔の話。現代の天使は人間と魔族に対して、さほど干渉はしなくなっていた。地上はまだ争いは絶えないが、人間魔族ともに絶滅の危機には瀕(ひん)していない為、天使の政府機関〝天使議会〟は下界が比較的平和である限り、最低限の交友のみとして、年に一度の神国への使者派遣だけを行っていた。
そんな天使の国。天使諸島の最高一等地のとある白い豪邸から一人のの天使の少女が出て行く。
彼女の名はヘレネ・ルシファー。天使族において名門の中の名門ルシファー家の令嬢にして、史上最高の美貌の持ち主として名高い天使界でも有名な十歳の女の子である。美形揃いの天使であるが、彼女は飛び抜けて美しいと評されている。
「ヘレネちゃん! ダメだよ!」
豪邸の敷地内からヘレネを止める声が聞こえてきた。その声の主は同じく名門のウリエル家の令嬢リリエス・ウリエルだった。
二人ともブロンドで、ヘレネは金色の目。リリエスは赤い目であった。二人は共に十歳で、数百年年以上生きる天使の中ではまだ赤子同然だ。
「リリは臆病ね! 外の世界に出るぐらいで怯(おび)えるなんて」
ヘレネはとても美しい天使の子ではあったが、少々お転婆であった。豪邸のメイドにいじわるな悪戯(いたずら)をしたり、男の子達と遠くへ行ってしまったりと活発な女の子であった。それにくらべて同い年のリリエスはおとなしく、どちらかといえばお淑(しと)やかであった。
「お父様達に言われているでしょ? 決して結界の外には行ってはいけないって」
先に飛んでいくヘレネにリリエスは後を追いながら言った。
二人が飛んで向かうのは天使諸島を外から隠蔽し防御している結界の境である。一等地から上へ上へと飛んでいけば子供でも十分程度で辿り着く所にある。
「すぐ帰ってくればいいだけよリリ。少し外を見て帰るだけ!」
リリエスの言葉をほとんど聞き流しながらヘレネはどんどん上昇していく。リリエスは渋々それについて行くのであった。
「バレたらお菓子抜きどころじゃないよ」
「大丈夫よ。結局、お父様は私に甘いわ」
天使は長寿で老化が極めて遅いのが特徴であるが、一方で生殖能力は低く、子を授かるためには若い夫婦でも十年は覚悟しろと言われる程である。その為、生まれてきた子を甘やかし、過保護になりがちであった。
「だからってこれはさすがに……」
「ああ、もう! リリはうるさいな! そう言ってついて来てるじゃん!」
「だってヘレネちゃんが心配なんだもん」
「おおげさよ。ちょっと外に出るぐらいで」
「だって外にはドラゴンとかいう火を吐いて空を飛ぶ魔物がいるってメイドさんが言ってたよ。もし、出会ったら――」
「ドラゴン? いてもすぐ結界に戻れば平気! 平気!」
二人がそんな会話をしばらくしている内についに二人は結界の境まで来た。天使諸島を覆うように張られている結界は天使魔術によるもので、外部から天使諸島を透明化よって隠蔽し、侵入しようとする天使以外の存在を攻撃して拒む強力な防壁である。結界内部に映し出されいる空の景色は偽りであると聞いたヘレネは、本当の外の景色を見る為に来たのであった。
「やめようよヘレネちゃん」
「ここまで来て引き返すなんてありえないからねリリ」
意を決してヘレネは結界に手を入れた。すると何の抵抗もなく差し入れた手は結界に呑まれ、何の問題が無いとわかったヘレネはそのまま飛び込んだ。
「これが外の世界!」
初めて見る本当の世界はヘレネにとって新鮮そのものだ。地平線にある山脈や下界の町や村、そして緑の大地はヘレネの心を躍らせた。
「もういいでしょヘレネちゃん! 外の世界見れたし帰ろう」
同じく結界を通り抜けたリリエスが言うが、それをヘレネは無視してあちこち飛び回る。白い雲を何度も通り抜け、雲が水の細かな粒の集まりだと分かると、ヘレネは少し残念そうな顔を見せた。
「雲って掴めないのね」
濡れた髪を触りながらヘレネは言った。
「うん、そうだね。雲の事はわかったたから、もう帰ろうよ」
「リリ。そこまで帰りたいなら一人で帰っていい。私は一人で大丈夫だから」
「何を言っているの!? ヘレネちゃんを一人にして――」
それはリリエスの言葉を遮る様に来た。突然の火球が二人を襲う。
ワイバーンである。この地域に生息する青いワイバーンが天使の二人を獲物の鳥と勘違いし、攻撃を仕掛けてきた。
リリエスは翼を火球で少し火傷した程度で、飛行には影響なかったが、ヘレネが炎を多く浴びてしまい、翼が痛みにより動かなくなり、直ぐさま落下をし始めた。
「あっ……」
「ヘレネちゃん!」
咄嗟にリリエスは叫ぶが、その声に反応したワイバーン大きな鳴き声を上げて向かって行く。それに怖じ気づいたリリエスは一目散に結界内に逃げていってしまった。
それを落下しながら見ていたヘレネは後悔し、涙を流しながら下界に落ちていってしまったのであった。
その後、天使諸島に戻ったリリエスの報告により、大人達が捜索隊を結成するも、運悪く嵐が来てしまい、ヘレネの捜索は難航。天使諸島は常に移動している為、長期間の捜索は不可能であった。ヘレネの父で当主でもある十三代目ルシファーは議会にて捜索続行を訴えたが、一週間半で捜索は打ち切られた。その後、へネレの父、十三代目ルシファーは議会の反対を押し切り、多くの家僕で落下地域をくまなく捜索させるも見つからず、一月たってヘレネは公式に行方不明扱いとされるのであった。
一人娘を失った名家ルシファー家はお家断絶の危機を迎えてしまうのであった。
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