2 魔法使い

 西の大陸、ほぼ中心に位置する国『ガラン王国』のとある山中にて、一台の馬車が雲行き怪しい中、王都目指して進んでいた。その馬車を操っているのは若い夫婦である。荷台にはその夫婦の子が二人いた。一人は姉のイデア五歳、そしてまだ一歳にも満たない赤子であるバロンだ。 イデアは弟であるバロンがすやすやとゆりかごの中で寝ているのを見つめていた。


「イデア? バロンは寝たの?」



 黒い髪が美しい母が娘に尋ねる。


「うん。寝てるよ」


 イデアはそう言って、父の背中に飛びついた。馬達の手綱を握る父は少し驚く。


「おいイデア!? いきなり抱き着かないでくれよ」


「そうよイデア。大人しくしてなさい。お父さんは運転中なのよ」


「えー! だって暇なんだもん」


 イデアは頬を膨らませて、可愛い抗議を見せるが母に抱かれて父の背中から引き離された。



「もう! あとどれくらいで着くの?」


 イデアの問いに、父が答える。


「半日って所だ。もう少しだから我慢してくれ」


 彼ら一家はそろって深緑色のローブを身にまとっている。彼らは少数民族『守り手の民』である。西の大陸にあるとされる神聖木を守る一族で、強い魔力と魔眼を持つ民である。魔術に優れ、一族が住まう森を霧の魔術で囲む彼らは排他的かつ閉鎖的であった。他部族を受け入れず、厳しいおきてで出ていく者を許さない厳格な一族である。

 そんな一族でありがなら、この一家はなぜここにいるのか? それは父の兄が息子バロンの才能を高く評価し、王都に招いたからだ。兼ねてからこの若い夫婦は一族の閉鎖的な社会に不満を抱いていた。夫婦の兄は若い頃一族を見限り、一人森を出て魔術の研究と教育が盛んなガラン王国に仕えた。今では王政にも関わり、弟夫妻を招き入れる事など容易な立場となっている。

 そんな兄の誘いを受けて、弟夫妻は同じく一族を見限り、夜逃げ当然にこうして出てきたのであった。


「ん? 雨だわ?」



 母が降ってきた雨に気づく。それは次第に強くなり、馬車は運悪く崖沿いの道に差し掛かってしまう。こんな道を雨の中走る時に懸念するのは土砂崩れだ。父は馬を速めた。強い雨が降り注ぐ中、一台の馬車は急ぐ。馬車は揺れて中にいたイデアから「きゃ」と口から洩れる。

 急ぐ馬車であったが、遅かった。土砂崩れが予兆が始まる。ゴロゴロと音が鳴り、特有の臭いが一家の鼻を付いた。

 この土砂崩れは大きかった。

 


「くっ! これはやばいぞ!」



 石が何個も上から落ちてくるのを見て父が言った。


「来るわ!」



 母の大きな声にイデアは驚きと不安、恐怖を抱いた顔を見せる。すかさず母に抱きついた。そんな母もイデアを優しく抱くのであった。



「――――一族の掟を破った罰かなこれは」



 その父の諦めを含めた口調には理由がある。先の道はもう土砂崩れが始まり、大きな巨石が上から転げ落ちてくるのを見たからだ。止まり来た道を戻ろうにも遅かった。来た道も次々と土砂に呑まれていた。このままの速度ではあの巨石の下敷きとなり、ここで止まっても背後から来た土砂に呑まれて谷に落ちるだけ。もう打つ手はないと悟った様だ。



「イデア! バロンを抱け!」


 イデアは「うん!」と叫び、命じられた通りにバロンを抱く。そして母は父の言葉ない会話で察してイデアは母により馬車の運転席と運ばれた。三人並び座り、真ん中にバロンを抱くイデアを座らせる。


「バロンを頼む」



「――生きて」


 父と母のこの時言葉はその時のイデアには分からなかった。分かるのは目を覚ます時、それは同時に悲しみが襲う時でもあった。

 親子の最後の別れだった。父と母は同時にイデアの背中を押して、魔力により大きく押し出した。イデアとバロンは大きく飛ばされ、馬車から離れていく。飛んでいく中、イデアは訳が分からずぜんとした顔を見せる。対して父母は穏やかな笑顔を見せていた。


「お父さん! お母さん!」


 そのイデアの叫びと同時に馬車は土砂に呑まれていった。幼いイデアにとっては衝撃的な光景だ。濁流が両親を飲み込んでいく様は決して忘れる事など出来ないーーイデアの目に涙が溢れた。


「きゃああああああーーーー!!!!」


 幼い叫び声が山に木霊する。しかし、その木霊は土砂崩れの轟音と豪雨の音の前では小さな音でしかない。

 イデアは大きく飛ばされて、地面に背中から着地した。なんとか弟を守る様にして着地し、イデアは安堵するもそれも刹那だった。

 真横から巨石が迫っていた。イデアは判断を迫られる。このまま巨石に潰されるか、弟を投げ飛ばして自分だけ潰されるかーー誰でも躊躇う場面、しかし、イデアは迷わなかった。

 最後の家族。弟バロンを両手で押し出した――――豪雨と濁流のごうおんの中、巨石が落下した爆音が大きく鳴り響く、そこにはもう生きている人間などいないと主張するかの如く、その爆音は山に木霊したのであった……












 予言者と言う通り、弟夫妻は最悪の事態だった。絶え間ない豪雨が馬に乗る眼鏡の男に降り注ぐ。


「そんな――――」


 一族を捨て、ガラン王国に仕える守り手の民の一人シュケテルは最悪の光景を目の当たりにした。それは土砂に呑まれた馬車である。弟夫妻『アヒムとエルナ』の姿はなく、血が混じった水が土砂の中から流れていた。

 その光景から感じ取れるのは絶望のみ。テルドは唇を噛み締めた。己の責任を感じ、一足遅かった己を責めている様だ。そんなテルドの耳に一筋の希望の音が聞こえてた。それは赤子の泣き声だった。豪雨の音でよく聞き取れないが、土砂の向こう側から微かながら聞こえてくる。テルドはそれを頼りに聞こえてくる方向へと駆け出した。そしてその声の主をバテルは見つけ出す。



「イデア! バロン!」



 そこにいたのは奇跡的に土砂に呑まれなかった幼い二人だった。バロンは寸前で投げ出された様で、倒れているイデアから一m程度離れた場所でオギャーオギャーと泣いていた。そしてイデアは上半身は無事であったが足は間に合わず、不幸にも巨石に潰されていた。

 一家全滅は免れた。その事実にシュケテルは涙を流しそうになったが、ぐっと堪え幼きめいおいを救出するべく、全速力で向かうのであった――――







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