モーニング・ルーティーン
つくのひの
モーニング・ルーティーン
モーニング・ルーティーンを紹介することが、ネットで流行っている。
その流行に便乗して、自分も朝の習慣を動画に撮ってみようと思う。
明日の朝、ためしに撮ってみて、それで投稿するかどうか判断しよう。
まあ、でも、自分みたいな一般人の、しかもオッサンの日常生活の動画なんて、需要はないだろう。とはいえ、人気のあるジャンルだから、もしかしたら再生回数が増えるかもしれない。という淡い期待を抱きつつ、スマホのアラームをセットして、寝た。
午前七時、起床。
まずは、眼鏡をかける。
スマホで録画を開始する。
「どうも、みなさん、おはようございます。ええ、本日はですね、いま流行りのモーニング・ルーティーンの動画を撮っていこうかなと思っております。起きてから、家を出るまでの、いつもの行動ですね。ええと、いまは七時ちょっと過ぎですね。だいたい、いつもこのくらいの時間に起きてます。もちろん、いつもならこんなふうに一人で喋ったりはしてないですけどね。ひとり暮らしなのに、一人でぶつぶつ言ってたらちょっと怖いですからね」
トイレで用を足して、ダイニングキッチンで電気ポットのコンセントを入れた。
お湯が沸くまでの間に、録画中のスマホを持ったまま、洗面所に行く。
タオル掛けにかかっていた青いタオルを洗濯機の中に入れる。洗面所に置いてある収納タンスから赤いタオルを取り出して、タオル掛けにかけた。
水で顔を洗う。
「いまは夏ですけど、自分は、顔を洗うときは冬でも水で洗ってます。お湯よりも水で洗うほうがいいらしいんですよね。そう聞いてからはずっと水です」
タオルで顔を拭いて、置いていた眼鏡をかける。スマホを持って、キッチンに戻った。
トースターに食パンを二枚入れて、赤いマグカップにインスタントコーヒーをなみなみといれた。
「この赤いマグカップは、インスタントコーヒーのオマケについていたものなんですけど、もうかなり長いこと使ってます」
テーブルの上に置いておいたノートパソコンを起動する。
「いつもはスマホでメールとかツイッターとかをしてるんですけど、今日はこの動画を録画するのにスマホを使ってますので、ノートパソコンを使います」
ほどよく焼けたパンにマーガリンをたっぷりと塗り込んでいく。
「朝はパンとコーヒーです。マーガリンよりもバターのほうがいいとかいう話も聞くんですけど、実際のところどうなのかはわからないです。コーヒーは、夏でもホットです。かなり苦めのブラックにしてます。やっぱり、朝はブラックですよね」
スマホスタンドに置いているスマホに、マーガリンを塗り込んだパンを近づける。
「おいしそうです。パンの焼き加減は、そこそこ焦げ目がついていて、かつ焦げすぎない、という微妙なラインがちょうどいいんですよね。でも、それがなかなか難しいんですよね。トースターのタイマーは同じでも、一枚一枚、パンによって焼き加減は変わるんです。同じ食パンなのに、個体差があるというんでしょうか。うん? 個体差? パンに個体差なんて言わないか。ええ、喋ってないで早く食べろって、はい、そうですよね。それでは、いただきます」
個体差? のところでピコンとクエスチョンマークのテロップを入れよう。
パンを食べ終わって、コーヒーを飲み干した。パンを載せていた白いお皿とバターナイフをシンクで洗った。もう一杯コーヒーをいれる。
「朝はだいだい二杯、コーヒーを飲んでます。そんなにのんびりしてていいのか、というと、いいんです。いーんです! 車で十五分くらいですからね。道が混んでても、三十分かかることはまずないです」
いーんです! のところでエコーをかけよう。
ノートパソコンでツイッターを見ながら、電動シェーバーでヒゲを剃る。
「自分はですね、肌が弱いですので、肌に優しいタイプの電動シェーバーを使ってます。もう、カミソリを使った日には、大変ですよ。流血事件になります」
流血事件は微妙だったか。出血大サービスとかのほうがよかったかもしれない。
「それでは、大きい方に行って参りますので、しばらくそのままお待ちください。さすがにそんなところを見たい人はいないでしょう。まあ、もしかしたら一人くらいは見たいというマニアックな人がいるかもしれませんけど。それはないか」
今のは余計だったか。安易に下ネタに走るのはいただけない。
「ただいま戻りました。今朝も健康でした。でもですね、最近ちょっと思うんですけど、大きい方をするたびにトイレットペーパーが少なくなってるような気がするんですよね。前回の自分はこんなにもトイレットペーパーを使ったのかと。使いすぎなんじゃないかと、毎回そう思うわけです。自分が貧乏性だからでしょうかね」
マグカップを手に取る。空だった。録画しながらで少し緊張しているのだろう。二杯めのコーヒーをいつ飲んだのか、記憶が曖昧になっている。
もう一杯コーヒーを飲みたくなるが、我慢する。続けて三杯は多すぎる。
シンクでマグカップを洗った。冷蔵庫からペットボトルの麦茶を取り出して、少し飲んだ。
ノートパソコンを閉じて、スマホを手に取る。
スマホで録画しながら洗面所に向かう。
眼鏡を置いて、青い半透明のハブラシを手に取る。
「自分は青が好きなんですよね。ハブラシも青です。この半透明なのがまたいいんですよね。クリアブルーです」
白い洗面台の大きな鏡と向き合って、歯を磨く。
背後にある浴室から、水滴の落ちる音がする。歯ブラシをくわえたまま、浴室の磨りガラスのドアを開ける。
「蛇口はちゃんと閉めないとダメですよ。もったいないですからね。いや、でも今は蛇口とは言わないのかな。レバーですからね。レバーだと、なんて言うんだろう。閉める、でいいんでしょうか」
口をゆすいで顔を洗った。青いタオルで手と顔を拭いて、眼鏡をかける。
「いやあ、眼鏡もそろそろ新しいのを買おうかなと思ってるんですけど、今はサイフがピンチなんですよね」
スマホを手に取って、キッチンに戻る。
テーブルの上のノートパソコンのディスプレイで、CGの熱帯魚が泳いでいた。
「スクリーンセーバーはこの熱帯魚のやつにしてます。これがまた癒されるんですよね。でも、スクリーンセーバーってなんのためにあるか知ってます? 昔は必要なものだったんですよ。まあ、それを説明しだすと長くなってしまいますので、それはまた別の機会に、ということで」
説明したことにして、それをばっさりカットする演出のほうがよかったかもしれない。
ノートパソコンを閉じて、寝室に向かう。スマホはテーブルの上に置いたままにしておく。
「ちょっと着替えてきますので、しばらくお待ちください」
「はい、時刻はただいま八時二十分です。今から家を出るわけですけど、自分のモーニング・ルーティーンはだいたいいつもこんな感じです。いかがでしたでしょうか。この動画がいいなと思ったら、評価のほうと、それからチャンネル登録もぜひお願いいたします。それでは、行ってきます」
スマホの録画を停止する。
どうだろう。やはり、一般人、しかもひとり暮らしのオッサン、の日常を見せられてもなあ、と自分でも思う。まあ、せっかく撮ったんだし、帰ってからとりあえず投稿してみよう。
ファミレスで晩ご飯を食べて、家に帰った。
家に帰ると、洗面所の電気が点いていた。
またやってしまった。最近、電気を点けっぱなしにすることがよくある。自分では消したつもりなのに。まあ、今朝は撮影をしていたから、いつもどおりではなかったかもしれない。それでうっかり忘れてしまったのだろう。
シャワーを浴びて、冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出す。
ノートパソコンを起動して、ツイッターに書き込んだ。
「今日も一日がんばった。おつかれ、自分! みなさんも、おつかれさまです。乾杯!」
プルタブを起こすと、プシュッとおいしそうな音がした。
ひととおりツイッターを見て、朝に撮った動画の編集を始める。明日は休みだから、多少遅くなっても今日中に編集を終わらせて、動画を投稿してから寝よう。
時刻は午前一時。
編集の終わった動画を公開した。
有名な動画投稿者なら、夕方の十八時くらいに動画を公開したりするけど、自分のような動画投稿者にとっては何時に公開してもたいした違いはない。
スマホのアラームが設定されていないことを確認して、寝た。
午前七時、起床。
休みの日くらいもっと寝ていたいのだが、いつもの時間に目が覚めた。
一度トイレに行って、もう一度寝ようとした。
二度寝をする前にスマホで動画の再生回数をチェックする。
驚いた。再生回数が十万回を超えている。いつもは一万回にもならないのに。モーニング・ルーティーンとはこんなにも人気のあるジャンルだったのか。
コメントの件数を見てまた驚いた。五百件を超えている。いつもは百件もないのに。
コメントをチェックする。
「なんか、おかしくないですか?」
「編集ミスってない?」
「編集ならいいけど」
どこかおかしかっただろうか。自分ではちゃんと確認したつもりだったのだが。まあ、たしかにお酒を飲みながらではあったけれども。
さらにコメントをチェックする。
「絶対おかしいって」
「誰かいませんか?」
「もう一人いる」
ああ、これはもしかして、嫌がらせだろうか。嫌がらせというほど悪意があるわけではないにしても、ドッキリというか、イタズラというか、そのたぐいだろう。
こういうときのネットでの一致団結力はすごいものがある。深夜だったのに、よくもまあこんなに人が集まったものだ。
正直、動画の再生回数が伸びてラッキーではある。
それでも、コメントを見ていくうちに、不安になってきた。
一応、もう一度確認してみよう。
そう思って、動画を再生した。
本当だった。誰かいる。
モーニング・ルーティーン つくのひの @tukunohino
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