第22話 事故とおかしな男
胸元にペンションのロゴが刺繍されたパジャマを着て脱衣所から出ると同時に、外から猛烈な急ブレーキの音と、続けてガシャガシャと何か崩れる音がした。
事故か。
やはりこんな雪の日に車で山道を走るというのは無謀なことなのだ。地元の人も出歩かないと言っていた。しかし、だとしたら一体誰が。
玄関に様子を見に行くと、すでにスタッフと宿泊客で人だかりができていた。
それは玄関をやや遠巻きに見守るような形でできており、なぜ誰も外に出ないのか不思議だった。
「事故ですか」
宿泊客の男性が、同じく宿泊客の女性に訪ねていた。僕は隣でその会話を盗み聞く。
「事故みたいだけど、ちょっと様子が変で。事故を起こした人がドンドン扉を叩いて、中に入れろってずっと叫んでるの。あっまた叩き始めた。怖いわ……」
ペンションのドアが乱暴に叩かれる音。男性の声。「開けろ」と叫んでいる。
「開けろ!!!いるんだろう!!!」
「出てこい!!!」
男性は叫び続ける。すでに時計は深夜2時を指していた。
こんな夜中に、一体何が目的なのだろうか。ペンションのスタッフたちもすっかり怯えて何もできない様子だった。
「とりあえず警察を呼びましょう。ドアは開けないで、警察が来るのを待った方がいい。」
宿泊客の一人がそう言うと、ペンションの女性が慌てて奥に引っ込んだ。今まで呼んでいなかったのか……。僕は若干の呆れと共に、スタッフルームへ引っ込む女性の後ろ姿を見送った。
そういえば、千歳さんはどうしただろう。
部屋にいるのだろうか。とりあえず一度部屋に戻ろう。僕が踵を返すと同時に、ドアを叩く男は大声でこう言った。
「田中景一郎!!!!!出てこい!!!!!」
体から一気に血の気が引き、代わりに冷や汗が溢れ出す。
男が叫んでいるのは、間違いなく僕の名前だった。
具体的な人名が出てきたことで、人々がざわつき出す。一体誰だ?誰のせいでこんな事になっているんだ?ペンションの玄関には、一気にそんな空気が充満した。
動かすつもりはないのに、僕の膝はガクガクと動き始める。初めての体験だった。膝が笑うって、こういうことなんだ。へー。恐怖に怯えながらも、僕の中には冷静な僕がいた。
「ろ、ろ、ぼ、ぼくの、ら、な、なまえです」
歯をカチカチと鳴らしながら、なんとか皆に伝えた。正直言いたくは無かったが、まるで犯人探しのようなムードになってしまった以上、特に何の犯人で無くともこのまま白を切り通すことは不可能だった。
ざわめきが大きくなる。男はなおも僕の名前を叫び続けている。
「田中景一郎!いるんだろう!!」
普段フルネームで名前を呼ばれることなど無いので、呼ばれる度に体がびくりとする。僕は田中景一郎。僕は田中景一郎って名前なんだな。改めて自分の名前を思う。
「田中あ!!!景一郎う!!!!」
「はい!!!」
一層大きな声で男が叫ぶ。僕はとうとう反射的に返事をしてしまった。
ふと、ドアを叩く音がぴたりと止んだ。
「返事をどうもありがとう、田中景一郎」
突然落ち着き払った声で男が礼を言ったので、かなりゾッとした。
バカペンション~かわいい君と、いかれた君のパパ~ 湯布院綾香 @yuhuin_ayaka
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