第20話 ペンション再び
明かりの消えたペンションのベルを鳴らすのは気後れしたが、出てきた女性は僕らを快く中へ入れてくれた。
無事で良かったと何度も言いながら、泣きそうな顔でタオルを準備してくれる彼女は、よく見ると髪には白髪が混じっていて、目元の皺の感じや、頬のこけた所なども、僕の母親と同世代くらいに見えた。
先程食堂で見た娘とおぼしき女の子は中学生くらいに見えたが、もしかしたら息子の方は僕と同い年くらいなのかもしれない。
女性は夕飯時と同じエプロン姿だったが、よく見るとエプロンの下は寝間着のようだった。時計を見るとすでに0時を過ぎており、僕は彼女に申し訳ない気持ちで胸が押し潰されそうで。
風呂は24時間開いているとのことだったので、タオルを返すとそそくさと浴場に身を隠した。
浴場には誰も居なかった。湯に足をつけると、きんと冷え切った肌がビリビリとしびれる。ゆっくりと全身を沈めていくと、だんだんとしびれが心地よさに変わっていく。
「ああ……」
思わず声が漏れる。僕は心底疲れていた。
目まぐるしい一日だった。女の子と一緒にいるって、こんなに疲れることなんだ。風呂を出たらまた千歳さんと顔を合わせなくてはいけないと思うと、ほんの少し憂鬱になってしまう。僕はできるだけゆっくり風呂に入ることにした。
一旦湯船を出ると、露天風呂へ続くガラス戸に向かう。二重の戸を開けると、キンと冷たい空気が身体を包んだ。
一瞬心地よさを感じたが、氷のように冷え切った石の床材が一気にすべての体温を奪っていった。僕はつま先立ちであわてて湯船に入る。内湯と違い、少しとろみのある優しい温泉だった。
誰も居ないのをいいことに頭まで沈めて湯の中でしばらくじっとしてみると、どんどん心が落ち着いていくのがわかる。
生まれる前とか、死んだ後とか、こういう感じなのかな。
湯の中は無音ではない。これは何の音だろう。水の音?それはそうなのだろうが、水がどうなる音?わからない。でも、聞いていると静寂を感じる。
二人無言で雪を踏みしめていた時。あの時と同じだ。
思えば一日中、心が飛んだり跳ねたりだったな。
湯の中は、ずっとこうしていたいと思う程心地よかったが、悲しいかな僕は生きているから、息が苦しくなる。ザバリと湯から頭を出して、空気を吸い込んだ。美味しい。僕は生きているんだということを強く実感した。頭がすっきりする。途端に、僕はこれまで何か大きな間違いをしていたのではないだろうかと思えてきた。
僕が考える、愛について。僕たちの、人生について。
「田中くん?」
あまりに驚いて、体がびくりと震えた。隣り合う女湯から、千歳さんの声がした。
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