第十三話 花の種

 温かい居間の扉が勢いよく開いて、シャツの袖をまくり上げたエゼルバルドが入ってきた。

 暖炉で火を焚いているのは視覚的な効果を狙った物で、建物内の温度自体は魔力を持つ魔法石による気温調整が効いている。寒さは感じないけれど、さすがにシャツだけなのは心配になってしまう。


「ミサキ、花の種が届いた! 一緒に種をまこう」

 エゼルバルドの笑顔に鼓動が跳ねた。夢の中の男と似ているからだと思いながらも自分の心に戸惑う。


「こんなに寒い時期なのに種をまくのですか?」

 私は読んでいた本を閉じた。雪はまだ降っていなくても、外はかなり寒い。

「この花の種は冬の雪の下で育って春に花を咲かせる。春になれば、他の種をまこう」


 エゼルバルドのマントを借りて中庭へと出ると、すでに中庭のあちこちが掘り返されて土が整えられていた。どうやらエゼルバルドが土を掘り返していたらしい。本に集中していて窓の外に気がつかなかった。


 あちこちに花の種をまく。中庭の本来の用途を維持するために花壇を作ることはできないので、雑草とも共生できる花を選んだらしい。

「種が沢山残ってしまいましたね」

 広い中庭に撒いたのに、種の袋がいくつも残ってしまった。

「この種は食べることもできるから、残りは酒のつまみになる」

 エゼルバルドが種を摘まんで食べるのを真似してみると、薄皮付のバターピーナッツのような味がした。


「春が楽しみだな」

「ええ。そうですね」

 エゼルバルドの笑顔にまた鼓動が跳ねても、春までは遠い。それまでに帰りたい。私は曖昧に微笑んで返すしかなかった。


     ■


『ミサキ? 何をしてるんだ?』

「花の種を植えるの」

 塔の温室で私は土を掘り返していた。土の層はかなり分厚いらしい。鉄のクワやスコップ、手入れ道具は温室の入り口付近の箱の中に置いてあった。長い間放置されていた筈なのに全く錆もない。


 私が手にしているのは花の種。栄養が豊富だから気が向いたら食べるといいと小袋を渡されたけれど、ピーナッツはあまり好きじゃない。折角だから撒いてみようと思った。


『俺も手伝おう』

 赤い竜が七色の光に包まれて、一瞬で人の姿になった。赤い長い髪に紫の瞳、浅黒い肌。身長は物凄く高い。赤茶色の上品な光沢をもつ詰襟の上着は袖も裾も長い。ゆったりとしたズボンに茶色い革のサンダルのような履物。どことなく中華風の雰囲気が似合っている。


『この手ならミサキの頭を撫でられるな』

 ヴァスィルが笑いながら私の頭を大きな手で撫でる。私は口を開けたまま、声も出ない程驚いていた。


「……元のままでも撫でてくれていいのに」

『人間は弱いから、加減が難しい』

 笑うヴァスィルがあまりにも美形過ぎて怯んでしまう。綺麗な赤い竜は、人姿になっても綺麗で神々しい。腰まである長い赤い髪からは、光が零れ落ちるような幻覚さえ見える。


『ミサキ? どうした?』

 私が固まっているとヴァスィルが背をかがめて覗き込んできた。すぐ近くで紫水晶のような瞳が煌めく。胸の鼓動は静かに暴れ始めていて、ときめきが止まらない。


「……人の姿だと力を沢山使うんでしょ?」

 綺麗と言いそうになったけれど、それは恥ずかしいので辛うじて違う話題を口にする。心臓はもうどうしようもなく早鐘を打っている。

『ミサキと話す時間くらいは大した力はいらない』

 ぱちりと綺麗なウィンクをしたヴァスィルが素敵過ぎて、熱くなる頬を隠すために俯いてしまう。


 ヴァスィルがクワで土を掘る。まくり上げた袖から覗く筋肉質の腕には、ほのかに赤く透明な鱗があった。よくみれば、詰襟の上に覗く首にも鱗が見える。私はちらちらとヴァスィルを見ながら、小さなスコップで土を整える。


 ヴァスィルはあっという間に私が予定していた場所を掘り返した。

『この姿で体を動かすのは久しぶりだな』

 クワを肩に担ぐ姿も凛々しく見えてしまって鼓動が痛い。


 二人で花の種を撒いた後、温室の壁際にある水場で汲んだ水をやる。

『この花はいつ咲くんだ?』

「冬を越して春に咲くんですって」


『そうか。春が楽しみだな』

「ええ。楽しみね!」

 ヴァスィルに笑顔で返すと、また頭を撫でられた。完全に子供扱いでも構わない。こんなに綺麗な人に触れてもらえるだけで嬉しい。


『よし! ミサキ、持ち上げるぞ!』

「え?」

 上機嫌で笑うヴァスィルが、私の脇の下に手を入れて持ち上げた。くるり、くるりと世界が回り、赤く煌めく長い髪が踊る。


 ヴァスィルと私は、笑いながら回り続けた。


     ■


 エゼルバルドから夕食にはドレスを着て欲しいと言われて更衣部屋に入ったものの、たまたま選んだ深緑色のドレスは背中のボタンが留められず、一人では着ることができなかった。仕方なくドレスの胸元を押さえながら、外で待機していたジェイクを呼ぶ。


「すいません、背中のボタンを留めて頂けますか?」

「いいですよ。後ろを向いて下さい。……留める前に中から袖を整えます。肩に触れますよ」

 ジェイクはそう言って、ドレスの後ろから手を入れて肩を優しく撫でた。少し冷たい指の温度に体が震える。


「冷たかったですか。すいません」

 内側から袖を膨らませて、肩から背中へと手が移動する。ゆっくりと優しい手つきは官能的で、背筋がぞくぞくするから反応しないようにと気を引き締める。

「昔、妹のドレスを着せる手伝いをしていたことを思い出します」

 全身鏡に映るジェイクの笑顔は、どこか寂しくて遠い。優しい手つきに性的な意味は無いのだと、自分に言い聞かせて我慢する。


 スクエアネックで、リボンで編上げされた身頃。マトンスリーブの袖。ふわりと広がるスカートには控えめにフリルが施されていてデザインはとても凝っている。魔女の知識の薬草と魔法はシルクのドレスを染めムラなく綺麗に染め上げた。


 ボタンが一つずつ止められて、腰のリボンを綺麗に結ばれた。

「できました。久しぶりにリボンを結びましたが、覚えているものですね」

「ありがとうございます」

 左右も揃っていて、しっかりと結ばれている。きっと妹を可愛がって世話をしていたのだろう。お礼を告げて笑い掛けるとジェイクは私の頭を撫でて笑顔になった。


 髪は自分で結い上げた。いつもは晒さないうなじが寒い。豪華なエメラルドのネックレスと耳飾り、髪飾りが用意されていて、ずしりと重いアクセサリーをジェイクに付けてもらうと、ひやりとした温度に体が震える。


「よく似合っていますよ。可愛らしいですね」

 そっと背中から腕を回して私の腰を抱いたジェイクの笑顔は、どこまでも優しかった。


     ■


 その日の夢の中、私は淡い黄色のドレスを着用していた。薄荷色の髪は結い上げて、私が付けた物と同じ宝石が煌めいている。


 執務室のドアを開けると、机に向かってペンを走らせる銀髪の男がいた。真面目で凛々しい表情は、お酒をあおっていた男と同一人物とは思えない。


『首長たちが揃ったそうよ。応接室へ行きましょう』

「ああ、もうそんな刻限か」

 男が書類を書いていた手を止めた。私はそっと寄り添って男の肩を揉む。


「側近を呼び寄せて、町や村から使用人を出すように命令しようと思うのだが」

『側近は呼ぶ必要があると思うわ。町との往復の時間があれば、この書類の山の処理も手伝ってもらえるもの。でも使用人は必要かしら?』


「現状、お前に生活の全てを頼り切っている。このままではお前が体を壊してしまう」

 男が肩を揉む私の手をそっと包んだ。

『私は森で一人で暮らしていたのよ? 二人分の料理や洗濯くらいは何でもないわ。掃除は生活している部屋しか手が回らないけれど、順番に少しずつ片付けるわ』


「……だが……」

 男は私の手を取って、そっと口付けて自らの頬に当てた。心配してくれているのが伝わってくる。


『それなら、条件を付けていいかしら?』

「何だ?」

『使用人は男性のみにして? 難攻不落と言われたこの城を落とした時、間諜の女性たちを厨房で働かせて内部から崩したのでしょう? 同じことを他の国にされないか心配なのよ』

 ……それは建前で男に他の女は近づけたくないと思っているらしい。


「それは構わないが……私以外に心を移さないと約束してくれ」

『もちろんよ。私が愛しているのは貴方だけよ』

 微笑んで返すと、男が椅子から立ち上がって安堵の表情で私を抱きしめた――。



 夢から覚めると男と良く似た顔のエゼルバルドが私を抱き枕のように抱きしめていた。光量を落として薄ぼんやりとした魔法灯の中、現実味が感じられない。


 早くこの腕から離れたい。

 私は小さな溜息を吐いた。

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