第十二話 密やかな溜息

 ふと視線を移した窓の外、ジェイクに抱きしめられているミサキの姿に衝撃を受けた。ミサキの様子からジェイクの一方的な行為だと見てわかるが、抵抗していないことが気になって仕方がない。


 寝室でミサキを抱き込んで逃げ道を塞いでから疑問を投げかけた。

「……どうしてジェイクと抱き合っていた?」

「私が死んだ妹に似ているそうです」


 ミサキの言葉で記憶をさらう。ジェイクの妹が死んだのは、私が婚約する少し前のことだった。一ケ月の休暇を与えた覚えがある。死因は病死とだけ記載してあって……そうだ。報告書に病名が書かれないのは自死の隠語だ。自死であれば噂になった筈だが、直後に騎士になったばかりの男が惨殺されて、そちらの話題で王城内は持ちきりだった。


「……妹さんはどうして……」

「病死だと聞いている」

 ミサキの問いに咄嗟に嘘を吐いた。自死と聞けば心を痛めるだろう。


 目を伏せて黙り込んでしまったミサキの艶めかしさに、口付けを止めることができなかった。


     ■


 今日もミサキが塔の中にこもってしまった。塔へと向かう足取りは軽く、表情も明るい。塔の中で何を考えているのか知りたいと思っても、一人の時間が欲しいというミサキの願いは叶えなければならない。私が叶えてやれるのは、これだけだということが歯がゆい。


 ミサキの食事は変わっている。

 席を近くに移動させ、その食事を真似て口にしてみたが、これまでの料理より味が柔らかくて食べやすい。料理は目で楽しむものであって味など気にしたことはなかったが、個々の素材の味を感じ取ることができて興味深い。


 少しずつ口に入れて咀嚼する姿が小鳥の雛のようだと思うこともあれば、赤い舌が見えると艶めかしく思う。


 ジェイクと親し気に目配せする姿に苛立つ。要望は私に言うようにと指示をしても、未だにジェイクにも伝えている。生活の中での些細な事だというが、ミサキの願いを叶えているのが私でないことに焦燥している。


 これが嫉妬だと認めたくはないが、認めなければならない。誰かをうらやむことがこれ程までに苦しい物だとは知らなかった。


 ジェイクや城守の前でも口付けてしまうのは、ミサキは私の物だと見せつける為だ。人前でも構わないなどと思う自分の心が理解できないが体が動く。ミサキに関することだけは、どうしても冷静にはなり切れない。



 先日、中庭に姿を見せた白い蝶は風の精霊だった。人間が見ることができる精霊はかなりの力を持っている。緑の炎で焼かれたように見えたが、ミサキは呆然と見ているだけだったので姿を消しただけなのかもしれない。念のため、ジェイクに魔法での調査を指示したが何も掴めなかった。



 ミサキのドレスの中に紛れていた朱赤の婚礼用ドレスはおそらくは彼女ベアトリクスの物だ。一体、何故このドレスが送られてきたのか意図が不明だ。王城に残してきた側近に問い合わせると王や王族は関知していないという。ミサキという伴侶が出来たことに、これで呪いが安定すると安堵していて、どうやら貴族の娘の誰かを生贄にするしないで水面下では熾烈な争いが起こっていたらしい。


 あの仕立て屋は腕が良く、彼女のお気に入りだった。仕立て屋は見習いが間違えて送ってしまったという謝罪の手紙とミサキのサイズの朱赤の婚礼用ドレスを送ってきたがミサキにはまだ見せてはいない。


 我が国では婚礼時に女性は赤のドレスを着用する。ミサキとの婚姻を全く考えてもいなかったが、ミサキの年齢を知ってからは早く婚姻するべきではないかと思う自分がいる。……いや、早く婚姻したいとまで思っている。どのみち、ミサキはこの城から出られない。私と共にここで朽ちるしかないのだから呪いの伴侶ではなく、正式な伴侶となればいい。そうは思いながらも言い出すきっかけが掴めない。


 今回のドレスの件で、彼女が王城へと戻って来ていることを知った。隣国カザルタの護衛の騎士や吟遊詩人、数名の愛人を連れ帰っていて、王城内を好き勝手に歩き回っているらしい。父である国王は実妹であり公爵夫人でもある彼女の母を愛人にしているし、子供の頃から彼女には甘い。王城内には誰も注意できる者はいないだろう。



 近隣の町長や村長から、今年の収穫は大豊作と報告を受けて安堵した。領民が飢えることなく豊かに生活ができることは喜ぶべきことだ。王子が呪いを受け継いた年は必ず大豊作となると一人が口を滑らせたが苦笑するしかなかった。本人が顔を青くして謝罪をしていたが笑い飛ばして不問とした。


 不思議とこの生活に不満が起きない。訪れる者も少なく、多くの書物をじっくりと読み、剣術の鍛錬の繰り返し。これまでとは全く違うゆるやかな時間の中、隣にミサキがいることで心が安らぐ。もしもここにいるのが彼女であれば、この安らぎは得られなかっただろう。



 徐々にミサキの体に柔らかさが戻ってきた。出会った頃と同じ程度にはなったが、時折、夢で飛び起きることが気になる。目が覚めた瞬間に夢の内容を忘れたと溜息を吐く姿は、どこか艶めかしい。


「ミサキはどの程度の魔女の力と知識を受け継いでいるのでしょうか」

 ジェイクの問いに答えることはできなかった。魔力が必要な設備を一人でも使用できているから魔力は受け継がれている筈だが、魔力量はゼロ、神力量もゼロという測定結果がでている。魔法を使うこともなく、薬草の知識もない。歴代の生贄の魔女たちはその程度の差はあれ創薬の知識を持っていたが、無知のふりをしているとは思えない。異世界の知識が魔女の知識を凌駕しているので表に出てこないのではないかとジェイクは結論づけていた。


 確かにミサキが断片的に語る異世界の知識や情報は、我々の理解できない物ばかりだ。異世界に魔法はないというが、空を飛ぶ飛行機や、空の外、宇宙を飛ぶ宇宙船などというものは魔法だとしか思えない。


 この地面は恐らく丸く、なおかつ自転しているなどということは最初は全く理解不能だった。ミサキに図を書いてもらって、この世界の周りを回っているであろう白い月フルト、赤い月フラムと緑の月フランは同じ場所を保ちながら同じ速度で回っていること、小さな太陽は遥か遠くにあり、この世界は太陽の周りを回っていることは数日を掛けて理解した。


 ミサキの知識を教えてもらってからこの世界を見回すと成程と思うことが多い。もっと知りたいと思うが、世界に影響を与えることを心配するミサキは、断片的にしか語ってはくれない。


 ミサキのすべてを知りたい。私だけのものにしたい。

 窓から見える塔を眺めながら、私は密やかに溜息を吐いた。

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