第十一話 重ねる嘘

 人払いをした居間の窓際で抱きしめられながらのキスが深く深くなっていく。あの夢に出てきた男性と被るからなのか、笑顔が近づいてくると胸がどきりと跳ねる。……私の心とは遠くて苦しい。


 一つの体に二つの心。エゼルバルドのキスを喜ぶ魔女と嫌がる私。嫌だと言いたくても、この世界では逃げられないから拒めない。


 腰を抱かれて頭の後ろに手を添えられているから逃げられない。息継ぎのタイミングが取れなくて意識が薄れるとエゼルバルドは慌ててキスを中断して私を抱きしめる。


「ミサキ、そろそろ息継ぎを覚えた方がいいぞ?」

 くすりと笑いながらエゼルバルドが髪を優しい手つきで撫でる。

 ぼんやりとした思考の中で、私の意識が緩やかに落ちた。


「エゼルバルド様、まだ確認していないのですか?」

 呆れるようなジェイクの声が聞こえて意識が浮上する。目を開いて起き上がらないとと思いながら、温かい腕のぬくもりが気持ち良くてまた眠りに誘われる。あの夢を見てから、ちゃんと眠っている気がしない。


「この葉は幻の薬草、〝天界の調べ〟と呼ばれるオルティラスです」

 ジェイクの言葉に私は内心舌打ちした。私が洗濯に使っている部屋でドレスを染めた後、一枚だけ葉を手帳に挟んで残していた。鞄の中も頻繁に調べられているのか。


 ドレスを染めたのは実際には塔の温室にあった薬草で、バレないようにと野菜の皮やお茶、それらしい材料を頼んで偽装したのに。


「……ミサキの元の世界の物かもしれない」

「持ち物は全て確認なさったのでしょう?」

「いや、開かない箱もあった」


 二人のやり取りの中、眠さを振り切って目を開く。


「……あの? 何か?」

 寝起きで舌がもつれて、ちゃんと発音できたか怪しい。エゼルバルドがくすりと笑って頬にキスをする。私はソファに座るエゼルバルドの膝の上に横座りに載せられて抱きしめられていた。


「ミサキ、この葉は何ですか?」

 ジェイクが優しい声で問うけれど、瞳は笑ってはいない。

「それは楓という木の葉です」

 私は用意していた嘘を吐く。実際、形も大きさも楓によく似ているけれど、オルティラスは蔓草つるくさだ。濃い緑色だった葉を魔法で乾燥させると赤くて薄いガラス状に変化した。金の葉脈が小さなステンドグラスのようで綺麗だったので一枚だけ残していた。


 オルティラスは若返りの薬の一つだと言われていて、男性機能の強力な活性効果があり副作用が一切ない珍しい薬草だ。一枚の葉の粉で五十回分の薬ができると私は知っている。


「カエデ?」

「私の世界では庭に植えられている木です」

「庭に? これが?」

 ジェイクの目が見開かれた。


「ええ。何か珍しい物なのですか?」

「はい。非常に貴重な薬になる葉と似ています……すいません……」

 少し首を傾げて言うと、何故かジェイクが顔を赤らめて謝罪した。


     ■


 夢の中、黒いローブに包まれた私の腕が寝室の扉を開いた。

 大きなベッドに裸でだらしなく寝ころんでいた男が不機嫌な声を上げる。

「どこに行っていた?」

 男は体つきもエゼルバルドに良く似ていた。鍛えられた体には、剣で受けたと思しき傷もある。


『厨房よ。食堂に食事の用意ができたわ』

「ここで食べればいいだろう?」


『一度服を着て? ちゃんと洗ってあるから綺麗よ』

「……従僕はいないのか?」

『皆、出て行ってしまったわ』

 私が告げると銀髪の男が声を上げて笑い出した。


「金はあっても人は集まらないのか。そうだな。私の呪いが移っては困るだろうからな」

 狂ったように笑い続ける男の手を引いて、私は服を着せ付ける。


 私がシャツのボタンを留めていると男の笑いがぴたりと止んだ。


「この城に附随する領民はどうしている?」

『貴方の側近が近くの町で領主代行をしてくれているわ。……貴方が落ち着いたら報告したいと伝言を受けているの』

 服を着ると男の顔つきが理性的な物に変わった。


「……そうか。私が狂うのは予想されていたのか。子供の頃からの付き合いだからな」

『貴方は狂ってはいないわ。ただ、急な話だったから心が付いて行けなかったのよ』


「私は何日ここにいた?」

『十二日ね』


「錯乱していたとはいえ、お前に非道を強いた。すまない」

『大丈夫よ。貴方が治癒してくれたし、私は貴方が好きだもの』

 私が微笑むと男は痛々しい物を見る目になってしまった。


「無理はしなくていい……」

 そう言いながらも男が私の腕を引いて、そっと私を包む。


『私は貴方を愛しているし、私はどこにも行かないわ。ずっと貴方と一緒よ』

「……私はお前を壊してしまったのか……」


『私は元々壊れていたのよ』

 男の腕の中は温かい。力を抜いて男の胸に寄りかかると、大切な宝物のように優しく抱きしめられた。


     ■


「はー。早く帰りたいー」

 塔の温室で、温かいヴァスィルに寄りかかる。柔らかくて固い鱗に包まれた竜の胴の感触は気持ちいいから、全身ですり寄って両手で撫でる。

『まだ方法は見つからないのか?』

 赤い竜はくすぐったいと言って笑う。


「そうなの。もうすぐ百日になるわ。季節も変わっちゃうじゃない」

 この世界に来た頃は過ごしやすい気候だったのに、そろそろ寒くなってきた。温室は温かくても天井のドームの一部が割れたままだから、寒い風が吹き込むこともある。

 仕立て屋に冬物の上着を頼んでくれているけれど、納品がかなり遅れているからエゼルバルドから借りたマントを羽織っている。


『精霊を呼んで帰る方法を探してもらおうか?』

「ダメ。精霊は嫌いなの。呼ばないで」

 ヴァスィルが何度も提案してくれても、私は断り続けている。


 私がどうやってこの世界に来たのか調べる為には精霊に会うことが必要になると言われても、白い蝶の精霊に会ってから精霊と聞くだけで心の奥底で怒りが湧き上がる。また精霊に会ったら、私の中の魔女が何をするかわからない。


 元の世界に帰りたいとは思う。でも、この綺麗な赤い竜と離れたくないとも思う。ヴァスィルがつがいに早く会いたいと話す度に心が寂しくなる。私が番でないことが悔しい。


「あの夢がなければ、もうちょっと快適なんだけど」

 時々、魔女と男の夢を見る。目が覚めるとよく似たエゼルバルドの姿に心臓が跳ねる。夢を見た日はちゃんと眠った気がしない。


『最初の魔女の記憶だろうから、その茨を取り除かないと無理だろうな』

 ヴァスィルが長い首を曲げて大きな顔を近づけてきた。そっと抱き着いて温かさを感じ取る。


 夢は他人事だから別に映画か何かを見ていると思えば大したことじゃない。問題は、その直後によく似た人に抱きしめられてキスをされるということで。好きでもなんでもないはずなのに、鼓動が早くなってしまう。


 私はヴァスィルが好きなのに。

 その一言を、私は心の中でそっと呟いた。



 塔から出ると警護の城守でなくジェイクが待っていた。

「ミサキ、お菓子が届きました。戻ってお茶にしましょう」

 ジェイクが笑って私の頭を撫でる。いつもジェイクは私を子供か何かのように扱うから、恥ずかしくて顔が赤くなってしまう。


「お菓子は嬉しいのですが……子供扱いしないでください……」

「ミサキは死んだ妹に雰囲気が似ているので、つい頭を撫でたくなります」

「え?」

 驚いて見上げるとジェイクの笑顔が少し寂しげな物に見えた。ずっと私を妹のように思っていたから、細々こまごまと世話を焼いてくれているのか。


「少しだけ、妹のように抱きしめてもいいですか?」

 そう言われれば断りにくい。頷くとそっと腕に包まれた。


「……ミサキは温かいですね」

 ジェイクは悲し気な溜息を吐いた。

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