第八話 溺愛の演技
時間ができるとミサキのことばかり考えている自分に驚いている。
二十六年間培ってきた筈の思考の切り替えができない。王城にいる頃は余計なことを考える時間は一切なかったが、ここでは時間が有り余っているのが原因なのだろう。
この城は元々は古い王国ライトゥーナの王城だった。我が国ローディアの初代の王がこの城を落としてライトゥーナを滅ぼした。
付随する領地は非常に豊かな穀倉地帯だ。本来はこの城を王城とすればよかったのだろうが、呪いをかけられた場所として忌み嫌われて、遠い場所に王城が建造された。
税として納められる農作物は、その半分以上を国に吸い上げられてしまうが、残った物だけでも十分な収入となる。万が一の時には、呪われた王子に代々秘密裏に伝えられてきた
彼女が赤い薔薇ならミサキは小さな白い花のようだ。守らなければ折れてしまいそうで庇護欲がくすぐられて仕方がない。少女趣味はなかった筈だと自嘲するが、薔薇と茨の紋様が刻まれた体は傷一つない成熟した女性の物で、凄絶に艶めかしい。
性行為の経験がないわけではない。王族のたしなみとして教育は受けていた。将来王妃となる者は必ず初夜の立ち合いと確認があるから、彼女とは一度も閨を共にしたことはない。それどころか口づけさえ許されず、いつも頬か手に掠める程度にしか唇で触れることはできなかった。
ミサキとの口づけは何故か甘い。人なのだから甘い筈はないが、不思議で仕方ない。
最初は口をふさぐ為、次は間諜に対する
間諜に見せるためだけの行為の筈が、徐々に口づけが深くなる。途中で止めなければと思いながらも止められない。ただ、何故か口づける度にミサキが遠くなっていくようで苦しい。これが演技だと気づいているのだろうか。受け入れてくれているのだから嫌われているわけではないと思いたいが、肩を抱くと黒い瞳が一瞬不安げに揺れるのが気になる。
塔の扉が開けなかったあの日、どうしようもなく焦燥した。己が使える様々な魔法を試してみたが開かなかった。力不足を感じた瞬間に扉が開いてミサキの姿を確認した時、安堵以上の何かを感じたような気がする。その後に塔を隅々まで調べさせたが、特に何もないと結果がでた。塔の上階に入る為には、高い場所にある扉を外から開けなければならないと聞いている。
あれから毎日夢を見る。赤い炎に向かってミサキが駆けて行く。私の呼ぶ声に振り向きもせず、赤い炎に飛び込んでいく夢だ。目が覚めると同時に、同じベッドで眠るミサキを確認しなければ安心できない。
「何か欲しい物はないのか?」
毎夜ベッドの中でミサキを抱き込みながら問う。暖かい体は、最近はっきりと感じる程痩せてきた。食が細いのかと思っていたが、果物は沢山口にしているから、単に食事が口に合わないだけのようだ。ミサキの料理は味付けを薄くするようにと指示はしているが好みがわからないので難しい。
「何もいりません。元の世界に帰りたいだけです」
ミサキの答えはいつも同じだ。元の世界に帰すことは難しい。ならば他の物をと思うのだが、ミサキは何も望まない。
口づけるとミサキはすぐに眠ってしまう。息継ぎが出来ずに気絶しているのではないかとジェイクに言われたが、眠る姿は健やかだ。
これは間諜に見せる為の演技だと思いながらも抱きしめていると心が安らぐ。こうしていれば、ミサキがどこかへ行ってしまうことはない。
ジェイクの報告に抜けが出始めていた。主にミサキの話だ。最初は何を話していたのかまで報告をしてくれていたが最近では全く報告がない。強く聞く程のことでもないと思いながらも、気になってしかたない。
ミサキが自分の食事を作りたいと希望したようだが、我が国では『女が厨房で働く城は滅ぶ』と伝えられている。迷信かもしれないが、古くから仕えている城守や使用人達の心情を無視することはできない。
城の外に出ることができれば、家でも借りて一緒に……。
そこまで自然に考えて、自分の思考に驚いた。異世界で独りで暮らしていたというミサキの生活は、常に人に囲まれて生活してきた私には理解できないもので、興味が尽きない。もしも……と再度考えて頭を振る。実現不可能な仮定の話は、考える時間が無駄だと学んできた筈だ。
私とミサキが城の外に出た瞬間、ミサキは殺され私も城に戻されるだろう。それでも何かあった時の為に剣術と体術の訓練は続けているが、手練れの間諜たちとジェイクを相手にしてミサキを護って逃げ切る確率は限りなく低い。
ミサキは王城にいた女たちと違って自らのことを話すことは少ない。異世界の技術や文化水準は、我々の世界よりも遥かに高く、私に話すことでこの世界に影響を及ぼすのではないかと恐れているようだ。聞けば断片的には答えてくれる。
ミサキがパンを追加で頼んだことに喜びながら驚いた。食事の席は遠く、後からパンに蜂蜜を付けて食べていると知って、王城の女たちは甘い菓子を食べていたことを思い出した。取り寄せれば食べてくれるだろうか。
ミサキをこの手で護りたい。その思いは庇護欲と義務からくる感情だ。
呪いに巻き込んだ以上、私はミサキを護る義務がある。
口づけした後の満足感、抱きしめている時の安堵感。
……この感情が、一体何であるのか、よくわからない。
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