第七話 甘いはちみつ
エゼルバルドのキスが増えていく。
誰かが側に居る時はキスをすることはなくても、二人きりになるとキスが始まるから、ざまざまな理由を付けてなるべく誰かと一緒に行動する。
夜はベッドで抱きしめられてキスをされている最中に眠ったふりをするとキスが終わる。無理に起こされることもないし、それ以上の行為はない。
最初は唇を合わせるだけのキスだったのに少しずつ深くなっていく。生理的な嫌悪感は特に感じない。キスの味も爽やかだ。エゼルバルドの顔が整い過ぎているから現実感がないのかもしれない。キスをしていても、強く抱きしめられてもどこか自分のこととは思えない。何かしっくりこないというか、借り物の体のようで心が動かない。
午後になると私は逃げるように塔の温室へと駆け込む。
眠っている赤い竜の姿を見ると心の底からほっとする。
エゼルバルドと一緒にいる時と違って、ヴァスィルの隣にいると緊張感がなくなる。子供扱いされても全然気にならない。むしろ子供のように優しく扱われることが嬉しくて、言葉遣いも幼くなっているのを自覚している。
ここではジェイクも間諜も誰も見ていない。あくびも居眠りも自由。些細な自由が、本当に心地いい。
「竜ってご飯はどうしてるの? お腹すかない?」
『竜の姿でいる時は食事をとる必要はない。人の姿になると力を多量に使うから食事が必要になる』
竜には魔法とは違う特殊な力があって、自然の中から常に少しずつ生命力を貰うらしい。竜族の寿命は二千年から三千年。
ヴァスィルは千百三十五歳。番に早く会いたいと少し遠い目で寂しげに呟いた。
「へー。そうなんだー」
注意を私に向けたくて、ぺちぺちとヴァスィルの巨大な手を叩くと、くすぐったいと竜が笑う。竜が笑うなんて考えたこともなかったのに、目の前の竜は笑っているのがよくわかる。
「冬とか寒い時はいいけど、夏とか暑くない?」
『暑くはないな。そういえば暑い時期は涼しい国へ行く仲間もいたな。あいつ、暑がりだったのか』
「渡り鳥みたいね」
『まぁ、空を飛ぶのは鳥と変わらないな。大きさは違うけどな』
「他の種族も同じくらいの大きさなの?」
『大きさは可変だ。この場所に合わせているが本来はもっと大きい』
「もっと大きいの? 見てみたい!」
長いしっぽを丸くしているから全長はわからないけれど十五m以上は軽くありそうに思う。
『俺の背中に乗って空を飛んでみるか?』
「……それは……他の人に知られてしまうから……今、元の世界に戻る方法を探してもらっているの。ここから離れたら帰れなくなるかも」
できることなら、このままヴァスィルと一緒に外に出て行きたい。遠くまで行ってしまえば追いかけてはこないだろうとは思う。でも、元の世界を捨てることはできない。
『じゃあ、元の世界に戻る方法がわかったら、帰る前に一度空を飛ぶか』
「嬉しい! 約束よ!」
『ああ、約束だ』
この綺麗な生き物の背中に乗って空を飛ぶ。一体どんな光景が見えるのか期待が膨らむ。
『ミサキは、いつも楽しそうだな。毎日俺の話を聞いていても飽きないのか?』
「飽きないわよ。面白いと思うわ」
『そうか』
赤い竜が笑うから私も笑い返す。一緒に笑うと、本当に楽しい。
ヴァスィルに請われて私の世界のことを話す。飛行機や宇宙船の話をすると特に驚かれた。話していて気が付いたのは、意外と自分の世界を説明するのは難しいということだった。この世界のように何でも魔法で解決するものではない。電気やガス、いつも当たり前に使っていた物を曖昧にしか説明できなくても、ヴァスィルは笑いながら聞いてくれた。
「……そろそろ戻らないと。また来るわ」
ずっとここで過ごしたくても、あまり長い時間はここにいられない。もしもヴァスィルと話をしていることが知られたら、きっと面倒なことになるし、何よりも私だけの秘密を護りたい。
『ああ。またおいで』
どことなく寂し気に笑う赤い竜が、とても愛しく思えた。
■
「楽しそうですね。何か良いことがありましたか?」
散歩の途中でジェイクが私に笑顔で言った。エゼルバルドは城守達と何か話があるようだったので、居間から出てきた。
「……あの……お昼に食べたリンゴが美味しかったので……」
まさかヴァスィルと話すことが楽しいとは言えないので、咄嗟に嘘を吐く。
「ミサキはリンゴが好きなのですか?」
ジェイクが笑って頭を撫でてきた。まるで子供のような扱いで、恥ずかしくて頬が熱くなる。
「子供扱いしないでください……甘い物が好きなんです。今日のリンゴは甘かったので……」
今日、出されたリンゴは皮が濃いオレンジ色で中身が赤色。甘くて美味しかった。食事にも甘い物がでないし、お茶の時間にもお菓子はないどころか砂糖が無くて甘みの薄いはちみつが添えられるだけなので甘い果物だけが楽しみ。
「あの……食事の時、パンにはちみつを塗って食べていいでしょうか?」
「パンにはちみつですか?」
「……この世界では可笑しな食べ方ですか?」
「聞いたことはありませんが、ミサキが食べたいのなら用意させましょう」
目を丸くしたジェイクによるとはちみつはお茶やお酒に入れる物で、パンに付けて食べるというのは聞いたことがないらしい。
「ミサキの世界では、パンをどうやって食べているのです?」
「……いろんなパンがあるのですが、食事用のパンは薄くスライスして、バターやはちみつを塗って食べたりします。あとはチーズを乗せて焼いたり……」
「バター?」
何か理由があってバターが出ないのかと思っていたけれど、どうやらバターはないらしい。チーズはいろんなタイプがあっても、一様に塩辛い。
「私が自分の食事を調理することは可能ですか?」
「それは難しいですね。私もミサキの料理を食べてみたいですが、この城ではいろいろと規則があります。今日の夕食にははちみつを出すように指示しておきます」
落胆した私の頭を撫でてジェイクが優しく微笑んだ。
その日の夕食には、小さな壺に入ったはちみつが出された。嬉しくなって壺を傾けて皿に乗せたパンに掛ける。加減が難しくてたっぷり掛かってしまったので、パンを追加で頼んで全部を食べきった。
「おやすみなさいませ」
眠る準備がされて、ジェイクも城守達も寝室から下がって行った。
「今日の夕食はいつもより多く食べていたな。パンに掛けていたのは何だ?」
ベッドの中で抱き込まれながらエゼルバルドに問われる。分けられていた掛け布は一つになってしまった。夕食で食べた量はいつもより多くても、元の世界で食べていた量よりは少ない。この世界に来て私はかなり痩せてしまっていた。
「はちみつです。甘い物が好きなので」
「そうか。甘い物と言われても果物くらいしか思いつかないな」
この世界では甘いお菓子を男性が食べることはないらしい。王城で女性達が食べていたお菓子を取り寄せようとエゼルバルドが微笑む。
他に何か欲しい物はないかと言われて、私は元の世界に帰りたいと返答した。
「すまない。方法がわかるまで我慢して欲しい」
硬い声でエゼルバルドが答えて、抱き込まれながらの温かいキスが始まった。
■
ある日の朝、中庭に箱型の馬車が着いて大量の本が運び込まれた。居間の窓から運ぶ作業を見ていると城守でない使用人たちの姿もあった。十代前半の少年たちもいる。
「凄い量ですね」
隣に移動してきたエゼルバルドに話し掛ける。
「異世界と竜の関連の本を頼んだ。外国の本も取り寄せを頼んでいる」
「ありがとうございます。読むのが楽しみです」
エゼルバルドを見上げてお礼を言うと、肩を抱き寄せられた。
「え? ……あの……人が……」
居間の壁際にはジェイクと数名の城守が控えている。視線で訴えてみたものの、そのままゆっくりとしたキスが始まる。
「一緒に図書室へ行こう」
唇を解き、笑顔になったエゼルバルドは私の手を引いた。
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