第六話 ずるい計算
塔の温室へ向かうと、ヴァスィルは今日も同じ場所で横たわっていた。
起こさないように、静かに座り込んで眠る姿を見つめる。
炎のような色の竜は手を体に沿わせて、足を真っすぐに伸ばして眠っている。人が横に倒れて眠っているような姿に笑ってしまう。
静かに緩やかに白いお腹が上下する。背中の翼は少し開いていて無防備に眠る姿が可愛い。思う存分眺めてから、持っていた本の頁を開いた。
『……ん?』
「ごめんなさい。起こした?」
『ああ。来ていたなら、起こせば良かったのに』
ヴァスィルが腹を下にして起き上がって、どこか恥ずかし気な表情を見せた。長い首をゆらゆらと揺らし、目を泳がせながらはにかむ様子は可愛くて可愛くて頬が緩んでしまう。
「よく眠っているから起こせなかったのよ。……体調が悪いの?」
『いや、最近、酷く眠くなるだけだ』
無防備過ぎて心配だと告げれば、他の人間なら近づけば反応するはずなのに、何故か私のことは気が付かなかったとヴァスィルが言った。
「どうしてかしら?」
『ミサキは俺を襲ったりしないと思っているからかもしれない。外で眠っていると、いろんな奴らが竜を狙う』
「狙うって何を?」
『そうだな。主に鱗だな。爪や牙を狙う奴は少数だ』
「……えーっと。剥がそうとか思ってないから、鱗に触っていい?」
『ミサキは本当に子どもみたいだな。好きなだけ触っていいぞ』
ヴァスィルが笑って、大きな顔を近づけてきた。
炎のように煌めく鱗に覆われた竜の顔が目の前に来た。そっと片手を伸ばして触ると、ほんのりと温かい。
「え? 温かい?」
『火竜だからな』
火竜は温かくて他の竜は冷たいらしい。鱗の固くて柔らかい感触が面白い。爬虫類の鱗とは違うような気がするのは、その大きさのせいもあるかもしれない。
紫水晶のような目を近くで見ると、奥に小さくて丸い瞳孔が見えた。
「瞳孔が丸い……」
『昼間は丸い。夜になると細くなる』
ヴァスィルが話すと大きな口が開く。生臭いのかと思っていたのに、緑の匂いがする。
口が開いた瞬間に手を入れて尖った歯に触れる。真っ白い歯は物凄く鋭い。赤い舌は柔らかい湿った苔を触っているようで温かくて気持ちいい。
「あれ? どうしたの?」
舌を押したり撫でたりしていると、ヴァスィルが口を開けたまま大きな目を見開いて、翼を半開きにして硬直していた。
『……俺が口を閉じたら、ミサキの手を食べてしまうぞ?』
「食べていいよ」
『……ミサキ……俺を食人竜にしないでくれ』
私が手を口から完全に出すと、ヴァスィルはがくりと地面に突っ伏した。翼が半開きになっている。
「翼も触っていい?」
『……ああ。尖っている鱗があるから、気を付けてくれ』
ぐったりと突っ伏したまま動かないので、翼の方へと移動すると片方だけを開いてくれた。翼はかなり大きいけれど、これでこの大きな体を飛ばせるのかは疑問だ。もしかしたら体は見た目より軽いのかもしれない。
蝙蝠の翼とはちょっと違う。薄い膜にびっしりと細かい鱗。そっとふれるとサメ皮のようなザラザラ感。
「翼も温かいのね」
薄い翼も触ると温かい。押し返してくる弾力を手で楽しんでいると、ヴァスィルの体から振動が伝わってきた。
「どうしたの?」
『ミサキは本当に子どもみたいだな』
頭の方を見ると、両手を口に当てて笑いを堪えている。
「……笑わないで!」
ぺちりと翼を叩くと、ヴァスィルが吹き出して声を抑えながら本格的に笑い出した。
「ミサキ! 開けてくれ!」
外からエゼルバルドの叫び声が聞こえた。
「……さっき来たばかりなのに……」
『また来ればいい。あれは心配している声だ』
ヴァスィルは、そう言って私の背中を翼で押した。
塔の入り口の扉が開くと、エゼルバルドが立っていた。仕立て屋が予定よりも早く着いたので呼びに来たと説明を受けながら屋内へと移動する。
応接室の奥の豪華な椅子にエゼルバルドと並んで座る。この場所は主と女主人を示すらしい。ジェイクがエゼルバルドの斜め前に立つ。
城守に案内されて入ってきた仕立て屋は、装飾の多い服を着た中性的な細身の男性だった。
仕立て屋はわざわざ王都から呼ばれたらしく一般国民の服を着ている私を見下すような視線を感じた。どうせこの城ではドレスを着る機会はないし、そのうち帰るのだからと思っていたのに、エゼルバルドとジェイクがドレスを数着頼んだ。
他に希望はないかと何度も言われたので、仕方なく綿のワンピースを頼む。
採寸は衝立の中で、服の上から雑に行われた。ちゃんと計っているのか不安になっても、プロの仕事なのだから大丈夫だろう。
仕立て屋はエゼルバルドに恭しく礼をして部屋から出て行った。
「あの……私、何も必要ありません」
「我が国の呪いに巻き込んでしまったことへの謝罪だ。どうか受け取って欲しい」
「……それなら……布の靴ではなく、革の編み上げ靴をお願いします」
城についてから用意されている靴は布製の室内履きのような華奢な靴ばかりだった。散歩に出る時には最初に貸してもらった編上げ靴を履いているけれど、元々はエゼルバルドの物だからサイズが違い過ぎて歩きにくい。
「その靴で逃げるつもりなのか?」
「え?」
表情を硬くしたエゼルバルドの言葉に耳を疑った。聞き返すとエゼルバルドがはっとした表情になる。
「いえ。布の靴で外を歩くと汚れてしまうので……」
「……すまない。今の言葉は忘れてくれ」
驚きながらも理由を述べると、エゼルバルドが頭を振って部屋から出て行った。
「私、何かお気に触ったのでしょうか」
逃げるつもりも何も、私に逃げる選択肢はない。女一人、この世界で外に出ればどうなるかは容易に想像は付く。この状況は呪いが掛かっていること以外は恵まれている。
ずるい話だけれど、ここから追い出されるのは困る。
「きっとお疲れなのです」
ジェイクが苦笑して、私に告げた。
「お疲れでしたら、寝室を分ければゆっくり休めるのではないでしょうか」
「それはそれで別の心配が出てきますよ。……ミサキの為に歩きやすい靴を頼みましょう。何色がいいですか?」
ジェイクの言う別の心配が何なのか聞きたかったのに、話題を変えられてしまった。
■
城の図書室は三十畳程の広さで、棚の本は半分ほどしかない。塔の中の図書室の方が本の数は勝っている。竜に関する本は五冊しかなくて、そのうち三冊は童話だったので、あっという間に読み切ってしまった。
「今、本を頼んでいる。届くまで少し待っていて欲しい」
一緒に本のタイトルを見ていたエゼルバルドが言った。
「どうして童話や絵本が沢山あるのですか?」
王子は子供が作れない筈なのに子供向けと思しき本がある。本は基本的に印刷物で挿絵には後から色が塗られていて、絵本の中には全て手書きのイラストの物もあった。
「……我が国の女性は文字を読める者が少ない。高位の貴族でも、手紙や書類はすべて口述筆記で済ませてしまうので書ける者も少ない。この城に来てから時間を持て余して文字の学習をする者が多いらしい」
学校はないのかと聞こうとして、この世界の文化水準がヨーロッパの中世から近世のレベルなのだとしたら、女性に学問は不要というのも不思議はないかと思いなおす。
元の世界に戻る私が学校を作る訳にもいかないし、教える程の知識はない。中途半端になると分かっていながら手を出すべきではないと思う。
「本が好きなのか?」
「好きという程でもありません。……私も過去の女性達と同じです。時間を持て余しているから本を読んでいます」
「そうか……ミサキの世界では、何をしていたんだ?」
エゼルバルドに問われて自分の元の生活を思い出した。仕事をして、家事をして、通信アプリやSNSでくだらない話で友達と盛り上がって、スマホゲームで時間を潰して……あれだけスマホが無ければ生きていけないと思っていたのに、この世界に来てからは全く気にならない。それどころか肩も凝らないし、目も首も手も痛くない。
「……何をしていたんでしょうね……」
今更ながら仕事以外、個人では何も残っていないことに気が付いた。通信アプリもすぐに話題は流れていく。SNSで褒められても一瞬で忘れ去られる。スマホゲームも運営が終了すれば、データすら残らない。
「仕事以外、何もしていなかったのかも……」
友達は沢山いても、親友と呼べる友達は今はいない。週末は誰かと必ず遊んではいたけれど、いつもSNS用の写真を撮る為だけの集まりだった。写真映えする何かを常に求めて、互いに褒め合う関係。……それらが一切無くなった今、妙に気楽に過ごしている自分がいることを自覚した。
通信アプリですぐに返答しなければ友人関係が壊れると恐れることもない。眠いのに、だらだらとやり取りを続けることもない。SNSに上げられた写真が、どんなにくだらない物でも無理矢理褒めちぎる必要もない。自分は楽しんでいると思っていたのに、実はネットに疲れていたのかもしれない。
元の世界にもどったら、いろいろと整理してしまおう。
「ミサキ?」
エゼルバルドの声に我に返った。
「あ、ごめんなさい。少し考え事をしていま……した……」
何故かエゼルバルドが私の肩を掴んだ。
ゆっくりと近づいてくる整った顔が、何を求めているのか分かった。
私は咄嗟にずるい計算をした。拒否をして城から放り出されたら困る。
私は目を閉じて、エゼルバルドのキスを受け入れるしかなかった。
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