第五話 火竜との邂逅

 天井から零れる光に煌めく赤い鱗。

 熱帯雨林のような濃い緑の中、炎のような赤い色が目に焼き付いた。

 横たわった赤い竜は、静かに呼吸をしているから眠っているだけなのかもしれない。


「……綺麗……」

 起こさないように、静かにしなければと思ったのに、口から言葉が零れ出た。


 竜がゆっくりと目を開けると綺麗な紫水晶のような瞳。

 恐怖は感じなかった。ただただ、綺麗だと思った。

 見つめ合うと鼓動が跳ねた。自分の心臓の音がうるさいと思う程、高鳴っている。


 その大きな口で、食べられてしまっても構わない。

 むしろ食べられてしまう自分を想像して、何故かときめく。

 この綺麗な生き物に食べられて同化したい。


『誰だ?』

 低い男の声が竜から聞こえて驚く。私に付与されたという意思疎通能力は竜にまで対応できるのか。


「私は倉屋美咲くらがやみさき

『ミサキか。俺は火竜ヴァスィル』

「火竜?」

 私が首を傾げると赤い竜が笑ったのが分かった。体を起こした竜は腹を下にして首を上げる。正面から見る竜の顔はとても凛々しい。


 私の髪と目の色で異世界人とわかったらしい。ヴァスィルは、つがいを探して、八百年以上世界を彷徨っていた。何度もこの温室を訪れていて、この城が出来た頃の主にもあったことがあると言う。


「番って何?」

『俺も会ったことはないからわからない。ただ、番がこの世界に出現すると、竜の本能でわかるらしい』


「出現って何?」

『その瞬間はいつあるのかわからない。番が産まれた時、成人した時、何かのきっかけで番が番を呼ぶ。だから出現と呼んでいる』


「会ってどうするの?」

『婚姻を結ぶ。寿命を分け合って、一生を共にするんだ』


「相手は竜なの?」

『竜であることが多いそうだが、ごく稀に人間のこともある』


「自分では選べないの?」

『選べない。……何だ、ミサキは小さな子供みたいだな』

 ヴァスィルの前に座り込んで、次々と質問をすると笑われてしまった。竜の笑いは声を抑えていても豪快で、首を上下に揺らすと地面から振動が伝わってきて、何となくくすぐったい。


「だって、竜なんて初めて見るんだもの」

 子供と言われて頬が熱くなる。それでもこの綺麗な生き物のことが知りたかった。


『怖くないのか?』

「全然。物凄く綺麗だと思うわ……」

 その輝く鱗を触らせて欲しいとお願いしようとした時、外が騒がしくなった。


「ミサキ! 開けてくれ!」

 強く扉を叩く音と、エゼルバルドの叫び声が聞こえる。


『呼んでいるぞ。早く行ってやれ』

「……また来てもいい?」


『ああ。いつでも。しばらくはここにいる。またな』

 私は後ろ髪を引かれながらも階段を駆け降りた。


 螺旋階段から出ると、扉が自動的に閉まって石壁になった。

 入り口の扉を見た瞬間、扉が開いてエゼルバルドが飛び込んでくる。


「ミサキ! 大丈夫か!?」

「え、ええ」

 何故かエゼルバルドが抱きしめてきて、ジェイクも安堵の息を吐く。


「扉が開かなかった。何があった?」

「……何も」

 私はエゼルバルドに嘘を吐いた。塔の入り口の扉が開かなかったことは全く知らなかった。私は泣き疲れて眠っていたから何もわからないと言えば、二人とも口を閉ざした。


     ■


 異世界での生活が静かに始まった。

 私には魔女の魔力が受け継がれているらしい。魔力がなければ使えない魔法灯も扉も、浴室の設備も一人で問題なく使える。魔法を使っているという感覚はない。度々感じる〝知っている〟という不思議な感覚は、魔女の知識によるものなのだろう。


 呪いの為に生贄になった最初の魔女という人はどういう女性なのか一応興味はある。それよりも私はあの綺麗な生き物、竜のことを知りたくて仕方ない。


 食事のパンが焼きたての柔らかい物に変わり、スープがよく煮込まれたどろどろのケチャップやソースのような物になって、焼いた肉がメイン料理として出てくる。最初は酷く塩辛かった味付けが、徐々に薄くなったので少しは食べられるようになってきた。


 スプーンやフォーク、カトラリーが一切なくて食事は手づかみ。エゼルバルドの手つきは優雅でも違和感が拭えない。私自身、他者から見られても見苦しくならないようにと気を遣いながらの食事は息苦しい。


 できることなら自分で作りたいとは思うものの、居住区から厨房までは遠い。

 何が食べたいのかと問われて、野菜と果物と答えると、翌日から加熱された野菜と食べやすくカットされた果物が出されるようになった。


 エゼルバルドは午前中には剣や体術訓練をジェイクと行っていて、午後は大抵本を読んでいる。タイトルには異世界や召喚といった文字が見えるから、私の為に調べてくれているのだとは思う。私はこの国の歴史書を読むことにした。


 いつも控えている五名の城守達以外にも、多くの人が働いていると聞いている。全員が男性と聞いて、自分の服はどうしても自分で洗いたいとお願いして渋々了承された。


 ヴァスィルに会いに行きたくても、中々タイミングが掴めない。何故か他の人には知られたくなかった。私だけの秘密が、この異世界での不安を和らげてくれる。


 散歩をしたいと希望すると、大抵エゼルバルドが付いてくる。

 黒い石の城壁に囲まれた広い中庭には数本の木があるだけで、あとは雑草ばかり。


「ここには何も植えないのですか?」

「基本的に城壁内の庭は騎士や兵を入れる場所だ。……何か植えたいのか?」

「いいえ。少し殺風景だと思っただけなので、気にしないでください」

 私は元の世界に戻るから、何かをこの世界に残していくのはおこがましいと思う。例えば何か歴史に影響を及ぼすような行動は絶対に避けたいと思っている。


 誰が私を召喚したのかは知らないけれど、何の接触もないということは、何かの間違いだったのだと思う。異世界で静かに過ごして、何も残さず消え去ることがこの世界の為だ。


 一冊の歴史書を読み終えて、次の本を探す為に城の図書室へ向かっていると青い竜が織り込まれたタペストリーが廊下の壁に掛けられていた。

「……この世界には竜がいるのですか?」

「ええ。世界のあちこちで村を作って暮らしています」

 同行していたジェイクが答えてくれた。


「竜の村? 竜が沢山住んでいるのですか? 家はどうしているんです? 道を竜が歩いているのですか?」

 ヴァスィルのような竜が沢山いる場所なら行ってみたい。

「流石に竜の姿では不便なのか、人間に近い姿に変化して、人間のように暮らしているそうです」

 苦笑するジェイクの答えに落胆した。竜があの大きな手で何かを作っていたり、あの姿で歩くのを見たかった。


「……どの竜でも人になれるのですか?」

「そう言われています」

 ヴァスィルが人になったら、どんな姿になるのだろう。想像してもよくわからない。できれば竜のままがいいと思う。


「会ったことはありますか?」

「私は会ったことはありませんね。エゼルバルド様は竜王陛下にお会いになったことがありますよ」

「竜王陛下?」

「世界中の竜の村を統括している方です。今代は風竜、アルフレート・クラツィーク陛下です」


 竜は火竜・水竜・地竜・風竜の四種類が存在している。世界のあちこちで村を作って暮らしていて、基本的には村のある国に所属しているけれど、竜の一族として竜王陛下に統括されている。


 竜王陛下は空に浮かぶ天空城に住んでいて、請われれば各国の重要な祭礼や儀式に参加するらしい。


「竜に興味があるのですか?」

 色々と質問していると、ジェイクが苦笑した。そうだ。ヴァスィルにも子供みたいだと笑われたんだった。


「ごめんなさい。私の世界にはいない生き物だから……」

 羞恥で頬が熱くなっていくのが止められない。

「竜に関する本もある筈です。一緒に探しましょう」

 ジェイクが笑って、私を図書室へと案内してくれた。


     ■


 夜はエゼルバルドと同じベッドで眠っている。城のベッドはとても広くて、掛け布を分けてもらっているから、隣の布団で眠っているようなものだ。


 裾の長いシャツのような夜着は恐らくシルク。エゼルバルドが夜着の上着として着ている物と同じ。私にはズボンはないので足元がこころもとない。


「ミサキ、どうした?」

 暗がりの中、ほんの小さな溜息を吐いた時、エゼルバルドが問いかけてきた。

「……日中、一人になる時間を頂けませんか?」

 何度も言おうとして諦めた言葉を告げる。ヴァスィルに会いたいという気持ちがどうしても我慢できない。


「!」

 エゼルバルドが突然口をふさぐだけのキスをして、私を抱き込んだ。抵抗しながら意識が薄れる。


「……城の中には王の間諜がいる。一人になるのは危険だ」

 抵抗を諦めた私の髪を撫でながら、エゼルバルドが耳元で囁く。


 王は私ではなく他の女性を茨の魔女にしようとしている可能性があるらしい。一人でいては殺されるかもしれない。そう聞いても実感はなかった。


「……それでは、あの塔の中で過ごすというのでは駄目ですか?」

「先日、扉が開かなかった理由がわかるまでは駄目だ」

 私の提案にエゼルバルドの声が鋭くなった。


「私が眠っていたら閉まっていて、起きたら開いたということではないのですか?」

「何故一人になりたいのだ?」

「私はずっと一人で暮らしていました。常に人がいる環境には慣れていないので気疲れしてしまいます。一人の時間があれば、少しは和らぐのではないかと思っています」

 何度も考えていた理由を告げる。一人で泣く時間が欲しいと言えば早いかもしれないけれど、泣く訳ではないから後ろめたい。


「……わかった。午後の少しの時間だけだ」

 見つめ合う沈黙の後、エゼルバルドが囁く。私は安堵の息を吐いた。


「ありがとうございます。……あの……もう、お話は終わりなのでは?」

 何故かエゼルバルドの腕は解けない。


「……しばらく、このままで」

 そう囁いたエゼルバルドの温かい腕の中、優しく髪を撫でられながら、私は眠りに落ちた。

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