第四話 塔の上の竜
翌日もほとんど馬車での移動だった。
少しでも食べるようにと勧められ、初めて口にしたスープは塩辛くて食べきることができなかった。硬く焼き締められたパンをかじって、水替わりの弱い発泡酒で流し込む。あとは乾燥果実とナッツを口にするのが精一杯。
エゼルバルドとジェイクには気を遣われているのがわかる。エゼルバルドはずっと膝に乗せてくれて眠っていればいいと言ってくれる。姿勢を少し変えただけで、何がしたいのか、何かいるものはないかと聞かれて返答に困る。
夜には天幕に女性物の服が届けられた。
「服が届きました。一般国民の物ですので後日仕立て屋を城に呼びます。しばらくは我慢をお願いします」
ジェイクから渡されたのはゆったりとしたワンピースやブラウスとスカート。下着はキャミソールとドロワーズしかない。
体を拭きたいというと、たらいで湯浴みをさせてくれた。わざわざ湯を沸かしてくれたのかと恐縮すると、魔法を使うので遠慮はしなくていいとジェイクに苦笑された。
■
三日で着く予定だと聞いていたのに、四日目の昼頃に到着した。もしかしたら私の為に馬車の速度を落としてくれていたのかもしれない。初日よりも馬車の乗り心地は良かった。
森の中にそびえたつ岩山の上には、黒い石でできた要塞のような城。高い城壁で囲まれた中央に塔が空高くそびえたっている。塔の上はドーム状になったガラス。一部が割れて緑色の木が顔を出している。
石畳の坂道が続き、木製の橋を通って城門に入ると狭い庭。さらに四隅に塔を持つ分厚い城壁があった。二重の城壁は、外からの敵を阻むと同時に中から逃がさない為でもあるのかと私はぼんやりと眺めていた。内門を抜け、整えられた庭の中央の丸い塔を横目に馬車は奥へと進む。
馬車を降りると城守と呼ばれる使用人五名が待っていた。
「エゼルバルド・ローディアだ。彼女はミサキ。これから、よろしく頼む」
エゼルバルドは私の肩を抱いて、城守たちに挨拶をした。
分厚い城壁は居住用でもあるらしい。内部は普通の建物と変わらなかった。玄関ホールはパーティでもできそうなくらいに広い。優雅な曲線を描く木の階段をのぼって案内された三階の部屋は、驚くほど居心地良く整えられていた。
壁は白く明るくて、あちこちに明るい色合いの織物が掛けられている。飴色の家具は優雅な曲線を描いていて重厚。クッションには優雅な刺繍が施されていて、磨かれた石の床にはあちこちに絨毯。
「少し庭を歩いてくればいい」
突然のエゼルバルドの提案に、何か私には聞かせることができない話をするのだろうと察したので、素直に中庭へと出た。後ろからジェイクが付いてくる。
「何か要求はないのですか?」
「要求ですか?」
ジェイクに問われて聞き返す。
「このような状況に巻き込まれたのですから、何か対価を要求するのが普通でしょう? 貴女は何も要求しないので、エゼルバルド様もお困りです」
「……私は元の世界に帰ることができれば何もいりません」
私がそれだけを告げるとジェイクが肩をすくめて溜息を吐いた。実際、それだけでいいと思う。戻れればそれでいい。この薔薇の模様が消えないと困るけれど、とにかく戻りたい。
中庭の中央にそびえたつ塔は、かなり大きい。間口は十五m近くあるだろうか。高さはビル十階くらいはあるような気がする。入り口の大きな木の扉に手を掛けると簡単に開いた。
「あの、入ってもいいですか?」
「どうぞ。鍵がかかっていないのですから、入ってもいいのでしょう」
ジェイクが苦笑しながら、先に入って指を鳴らすと壁に設置された照明で中が明るく照らされた。
「魔法灯です。これは魔力がある者しか灯すことができません」
塔の中は外見に比べてかなり狭く感じた。壁が相当分厚いのかもしれない。石が敷き詰められていて、四隅には太くて丸い柱。中央には直径二m程、高さ一m程の黒い石で噴水と、黒い石でできたベンチが設置されている。
噴水の水に触れようとした時、ジェイクが私の手を止めて安全かどうかを魔法でチェックした。
「大丈夫です。飲むことは難しいでしょうが体に害はありません」
水に手を入れて触れていると心が緩んだ。同時に涙腺も緩み掛けて天井を見上げる。天井には綺麗な色のモザイクタイルが貼られていて、魔法灯に照らされた色でタイルではなく、天然石だと気が付いた。
「……少しだけ一人にして頂けませんか?」
「何故です?」
「……一人で泣く時間を下さい」
「わかりました」
憐憫の眼差しになったジェイクがすぐに扉の外へと出て行った。泣くつもりはなかったけれど、そうでも言わないと一人にはなれないと思った。
やっと一人になれた安堵で溜息を吐く。この数日は、ずっとエゼルバルドかジェイクが側にいたので緊張の連続だった。親しくもない人が隣にいるストレスは、心が削られていくようでつらかった。
この噴水の水は飲めると、何故か知っていたので顔を洗ってハンカチで拭う。すっきりとした気分で深く深く息を吸うと、肩の力が抜けてきた。
大きく伸びをして歩きながら、周囲を見回す。上の階がある筈なのに階段の類が一切ない。今度は壁に触れながら歩くと、突然壁が溶けて木の扉が現れた。
惹かれるように扉を開けると割と大きめの螺旋階段。石でできた階段を昇ると、踊り場があってまた木の扉。
扉を開き、指を鳴らして魔法灯を付けると図書室か何かのようだった。壁の周りには天井まで本棚が設置されていて、全て本で埋まっている。部屋の中にも多数の本棚が置かれていて、本がぎっしりと並んでいた。
魔法灯を消し扉を閉めて、さらに上を目指す。一階の噴水部屋と二階の図書室の部屋の高さを考えても、塔の高さには足りない。てっぺんのドームから出ていた木がずっと気になっていた。
三階の扉を開くと床は土だった。天井からの光があちこちの壁に反射して明るく室内を照らしていて、室内なのにモンステラやパキラに似た葉、熱帯植物園で見たような植物が茂っている。ここは塔の上の温室、なのかもしれない。
大きな葉をかき分けて進むと、中央に短い草が生えた開けた場所。
そこには、赤く輝く竜が横たわっていた。
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