第三話 呪いの茨

 空の月を見て気を失ったミサキをベッドへと横たえると、ジェイクは防音結界を張り巡らせた。

「危機感のない少女ですから、このまま〝生贄の魔女〟となっていただきましょう」

 ジェイクが囁く。


「異世界人ならば、いつか異世界に戻るのだろう?」

「一般には知られていませんが、異世界召喚された者は元の世界では死んでいます。戻ることはできません」

 ジェイクの言葉を聞いてミサキに憐れみを感じた。空の月を見た狼狽ぶりは突然知らない世界にきた衝撃によるものだったのか。元の世界に戻れないと知った時、ミサキはどうなってしまうのだろう。


 ミサキの黒髪を撫でながら、私は初めてあった夜のことを思い返した――。


 あの夜、魔法灯ランプを付けると黒髪の少女が座り込んでいた。

 震える少女の脚は酷く傷ついていた。未遂とは言え、我が国の兵に襲われかけた少女を見捨てるという選択肢は採れなかった。呪茨じゅしを受けてから女性に近づくことを避けてきたがどうしようもない。


 少女を抱き上げた時、不安に揺れる黒い瞳に庇護欲が沸いた。なるべく感情を抑えて少女の傷を癒したが、その間も少女の名前を知りたいという衝動が起きる。


 少女――ミサキが名前を口にした時、体に刻まれた呪茨が歓喜に震えてつるを伸ばしたのを自覚した。自分では止めようがなくミサキは茨に絡めとられてしまった。


 意識を失ったミサキの血と泥で汚れた変わった服を脱がせると、体は成熟した女性のものだった。背徳感を感じながらも胸に咲いた薔薇と茨の紋様の艶めかしさに震える。


 少女に見える成人女性とわかれば、間諜や暗殺者の可能性もある。鞄を開けて荷物を調べたが、短剣などの武器はなかった。開け方のわからない小箱や重い板、見たこともない精緻な柄の布、使い方が理解できない物ばかり入っていた。


 荷物の点検を終えベッドに寝かせたミサキに向き合うと自らの欲望が頭をもたげてきた。眠る少女に手を付けてしまえば、流された噂の一つが真実となってしまう。離れる選択肢も採れず傍らで寄り添いながら、ミサキが目覚めるまでは強い自制が必要だった。


 ジェイクはミサキの姿を見ても顔色一つ変えることもなかったが、胸の薔薇を見た瞬間だけは息を飲んだ。幼い頃から仕えてくれている側近だ。魔術師となる資格と強い魔力を持ちながらも、私の従者でいることを選択してくれている。


 通常、間諜と疑われる女は、脚を開かせて体内に凶器を隠していないか調べるが、ミサキの体内をジェイクに触れられることに拒否感があった。柔らかな体を洗い、手伝うふりをしながらジェイクの手を阻止すれば珍しく驚かれた。


 これまで揺れる馬車の中で女性を膝に乗せることはなかったが、ミサキの小さな体が跳ねるのを見てはいられなかった。膝に乗せると、その体温が心に染みた。呪いを受けてからは多くの人間に避けられ、私自身も避けてきた。人の体温が懐かしくて心地よかった。


 ――ミサキは、とても温かい。


「……この少女を逃して、ベアトリクス様が送り込まれてきたらどうするのです?」

 私が沈黙していると、ジェイクがこの四年の間、絶対に口にしてこなかった名前を出した。ジェイクは彼女を毛嫌いしている。同じ馬車に乗るのも嫌だと言って、彼女が同行する時には苦手な馬に乗って並走する程だった。


 もしも彼女が送り込まれてきたら、ジェイクも逃げ出してしまうかもしれない。


 ベアトリクスは従妹であり、元婚約者だった。私が呪いを継ぐことが発表される直前に婚約破棄を申し込んできたということは、恐らくは事前に知っていたのだろう。直後に隣国カザルタの第二王子に嫁いだものの、数々の不貞が発覚して来月家に戻されると噂に聞いた。


 彼女は私を貶める噂の出処の一つだった。どうやら彼女自身は私のことを生真面目すぎると嫌っていたらしい。


 彼女は大輪の赤い薔薇のような、燃え盛る赤い炎のような女性だった。

 赤みがかった金髪、煌めく青い瞳。婚約破棄から四年もの間、顔を見ることもなかったが未だに彼女の姿は脳裏に焼き付いている。


 自らの意思を隠し平穏を装う者ばかりの王城の中で、彼女は自分の意見をはっきりと他者に叩きつける。彼女の言葉は理不尽な内容が多かったが、毅然として話す姿は輝くばかりの美しさだった。


 少年時代に婚約者となってからは自分には無い、ある種の強さにずっと惹かれていた。婚約者として隣に立つことができるだけで喜びを感じていた。


 毎日着飾って観劇や夜会に出かけることが好きな彼女が、牢獄にも似た城へ閉じ込められれば耐えられないだろう。彼女と静かに生活する未来は思い浮かべることもできない。


 彼女に噂を流され、呪いを受けることになり裏切られた。人生を狂わせる程の酷い仕打ちを受けたというのに、私は未だに彼女が幸せであればいいと思っている。


 私は彼女の為にミサキを騙すことに決めた。ミサキが隣にいてくれれば、王が彼女を送り込んでくることはないだろう。


 ジェイクはミサキが元の世界に戻れないと言っているが、方法は探したいと思っている。見つけられる可能性は限りなく低いが、私の生涯をかけて戻る方法を探し続けることであがないたい。


     ■


 次に目が覚めたのは、天幕のベッドの上だった。

 エゼルバルドとジェイクが安堵の息を吐いたのはわかった。


 エゼルバルドに背を起こされて、ジェイクから緑色の液体が入ったカップを手渡される。

「滋養の薬です。苦いですが我慢してください」

 促されて一気に飲み干す。覚悟していたのに、それほど苦い物ではなかった。リジドの汁をもう少し足せば飲みやすいのにと何故か頭に浮かんで戸惑う。リジドなんていう物を私は知らない。


「貴女は異世界からこの世界にやってきたことを理解していないのですね?」

 ジェイクの問いに私は混乱した。異世界と言われてもよくわからない。そもそも、私がここにいる理由がわからない。


「……困りましたね……意思疎通ができるのですから、誰かが召喚術を行使した筈なのですが、その痕跡がありません」

 ジェイクが溜息を吐く。指摘されてようやく気が付いた。二人の男が話す言葉と口の形が合っていない。


「貴女は私たちの言葉や手話が全て理解できますね? その能力は、異世界召喚術の際に付加される以外ではありえないのです」

 私はぼんやりとジェイクの説明を聞いていた。異世界召喚、そんなものは小説や映画の虚構の世界の出来事だと思っていた。


「私……」

 疑問を口に仕掛けて思い出した。天幕の外には間諜がいると言っていた筈だ。


「天幕に結界を張っていますし、夜は呪茨じゅしを恐れて近づかない筈です」

 口を手で押えた私に、ジェイクが苦笑しながら教えてくれた。


「私、どうやったら帰れるんですか?」

 ゲームや物語のように魔王を倒すとか、何か宝物を手に入れれば帰ることができるのだろうか。


「少し時間がかかるかもしれませんが、帰還の方法を調べる時間を頂けますか?」

 ジェイクの柔らかな笑顔に少し安心したけれど、まだ気になることはある。


「でも……私の胸の模様は何ですか?元に戻せないというのは?」

「それは我が国に掛けられた呪いだ」

 固い表情で黙っていたエゼルバルドが口を開いた。


 この国が出来た五百年前、国に呪いが掛けられた。その呪いはどうやっても解けなかった為、一人の王子と魔女が身代わりとなって呪いを受けた。呪いは受け継がれて、これまで十六人の王子が犠牲になっている。


「どんな呪いなのですか?」

「国土全てが荒廃し、国民すべてが子を成せず、全ての作物が実らないという呪いだと言われています。国の身代わりとなった王子は子を成すことができません。……今代は弟君のエグバード様が呪いを受け継ぐ筈でした」

 ジェイクが少し迷うような声で説明を始めた。


 エゼルバルドが二十二歳、エグバードが二十歳になった時、突然呪いはエゼルバルドに継がせると王から発表があった。その少し前からエゼルバルドについてのあらゆる悪い噂が流されていた。


「正しい行いをしているのだから、何も言わずともわかってもらえると考えていたが甘かった」

 エゼルバルドは噂の真偽を聞かれれば否定をしても、噂を打ち消すような指示は出さなかった。気が付けば、側近以外の王族や貴族たちが噂を信じてしまっていた。


「結局は声が大きい方が勝ってしまうのが事実だ。嘘でも繰り返し大声で騒ぎ続ければ、それが本当なのではないかと疑問が産まれる。私が何も反論しないのは、その証拠だと思われたようだ」

 エゼルバルドの表情がさらに固くなる。


 それから四年。二十六歳になったエゼルバルドは一ケ月前に病気で亡くなった王弟から呪茨を受け継ぎ、代々の呪い持ちが住む城へと向かっている途中だった。


「茨は王族の男子の血を求めます。さらに魔女の器も求めるのです」

「魔女の器?」

「茨は王子の伴侶を選び、選ばれた女性は魔女の力と知識を受け継ぎます」

 ジェイクの言葉が全く理解できない。魔女の力と知識なんて、どうやって受け継ぐというのか。


「……呪茨を受けてから、女性には近づかないようにしていたが……治療には他の者を呼ぶべきだった。巻き込んですまない」

 エゼルバルドが謝罪の言葉を述べた。そうか。私は呪いに巻き込まれたということか。じわりと理解し始めたような気がしても、まだ実感はない。どこか他人ごとのようで、遠い話だった。


「仕方がなかったのです。聞いた状態ですと貴女の傷は私や他の者では治療できない程、深い傷でした」

 ジェイクが庇うように口を挟む。謝る王子と庇う従者の姿に、私は何も言う事ができなかった。あのまま放置されていれば、私は歩くこともできなかっただろう。偶然の事故と思うしかない。


「代々の王は呪いが国へ返ることを恐れているから、遠い城に閉じ込め、王子と魔女が逃げ出さないように監視している」


 王子は国を護る為の職務として覚悟を持っていても、女性は大抵覚悟を持てないままに選ばれてしまう。過去に何人もの王子が女性を逃がそうとして失敗し、女性は足や腱を切られて歩けなくされたり、薬漬けにされて王子に戻されたりしたらしい。それでも言う事を聞かない場合は、その女性を殺して、新しい女性を茨にあてがうこともあった。


「ただ、異世界に戻ることができれば、誰も追いかけることはできない。帰還の方法がわかるまでは、我慢して滞在してくれ」

 エゼルバルドに真っすぐに見つめられて、私は仕方なく頷くしかなかった。


 夜はエゼルバルドと同じベッドで眠る。絶対に手は出さないと言われても、組み立て式の簡易ベッドは狭くて少し動けば体が触れ合う。緊張しながらも、私は疲れで眠りに落ちた。

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