第九話 不機嫌の理由
食卓の席が変わった。長いテーブルでエゼルバルドと向かい合う位置だったのに、すぐ隣に椅子が用意されていた。手を伸ばせばすぐに手が触れる。
緊張しながら、今日もはちみつを付けてパンを食べる。ほんのりと甘いはちみつは優しい味で、沢山食べても胃もたれしない。
塩辛いチーズを牛乳で溶かして伸ばした物がでてきた。少し塩辛いホワイトソースのような味で、パンを付けて食べるとちょうどいい。ジェイクに頼んでいた料理なので、壁際のジェイクを見ると笑顔を返してくれたのでほっとする。
食事が口に合わないことが、こんなに苦しいことだとは知らなかった。元の世界に帰るまでの辛抱だと自分に繰り返し言い聞かせながら、パンを千切ってとろけたチーズを絡める。せめてスプーンとフォークが欲しい。
強い視線を感じてエゼルバルドの方を見ると何故か表情が強張っていた。私が勝手に料理をリクエストしたのが悪かったのだろうか。でも、食べたい物は何でも言えばいいと言っていたし野菜と果物の時もはちみつの時も特に何もなかった。
近くになったから、何か無作法をしてしまったのが気に障ったのかもしれない。視線を落として食事に集中する。会話を楽しむこともなく、パンを追加で頼んでお腹がいっぱいになるまで食べてしまった。
■
「うー。お腹いっぱいー」
塔の温室でヴァスィルに寄りかかると竜が笑う振動が全身に伝わってきて楽しい。朝も昼もエゼルバルドとの会話がなくて気まずかったけれど、ここに来れば思いっきり笑うことができる。
『ミサキはもっと食べた方がいいな。どんどん痩せてきていたから心配していた』
「太らせて食べようと思ってるんでしょ?」
笑って手をぺちぺちと叩く。
『そうだな。もっと肉が付いたら食べるかな』
「大変! もっと食べなきゃ! ヴァスィルがお腹をすかせちゃう!」
食人ネタは二人の間の笑い話だ。竜は決して人は食べないし、竜の姿で人を殺さない。
『そういえば、竜の姿で腹がすいたことがないな』
赤い竜が首を捻った。
「そうなの? 水も飲まないのね」
『水竜は時々水を飲むぞ。小さな池や泉だと飲み尽くしてしまうから、大陸の奥のトラン国に行って飲んでると聞いた』
そう言ってヴァスィルがぱくぱくと大きな口で飲みつくす真似をする。面白いので、ぺちぺちと手を叩く。
「トラン国って、水が豊富なの?」
『ああ。あちこちで地下水が沸くから川と湖だらけだ』
「水害とかありそうね」
『竜王候補だった力の強い水竜の一人が治水しているから、水害はないらしい』
ヴァスィルは八百年の間にいろんな国を見てきた。人の姿になって旅をしたこともある竜の話は、ささいなことも面白い。
ヴァスィルは異世界人の男性と旅をしたこともあるらしい。この世界では最強の竜でも敵わない強力な魔法を使い、世界でも数少ない魔法剣を作った男性は、剣の扱いが下手過ぎて一緒に旅をしていた女性に剣を奪われた。その人は旅の終わりに女性と結婚して、レイメイ国という国を作った。
「いろんな異世界人がいるのね」
私は国を作るとか、そういったことには関わらなくてもいい。元の世界に戻れればいい。
『早く帰れるといいな』
何故かヴァスィルのこの言葉だけは、胸にちくりと刺さる。帰りたいと強く思うのに、ヴァスィルと離れることになるのが寂しい。
ヴァスィルと一緒にこの城を出ることを何度考えても、私はヴァスィルの
「そうね。早く帰りたいわ」
私は寂しさを隠して微笑むしかなかった。
■
午後の散歩にエゼルバルドが付いてきた。
会話もなく、ただ後ろからついてくる。中庭には数本の木と雑草しかないし木も草の名前もジェイクに聞いて知っているから話題がない。
ひらりと大きな白い蝶がまとわりついてきた。優美な翅でひらひらと周囲を回る。鱗粉が落ちて来そうで蝶は大の苦手だったのに、何故か平気。
手を胸まで上げて指を差し出すと、蝶がふわりと指に止まる。その巨大さに驚いた。二十センチ程はある。
『ねえねえ、ここにお花が欲しいわ』
「え?」
女の子の声が聞こえて、周囲を見回してもエゼルバルドしかいない。まさか私の意思疎通能力は蝶にまで適応しているのだろうか。
「どんなお花が欲しいの?」
『蜜が沢山ある花なら何でもいいわ。貴女は私の声が聞こえるのね』
「貴女は独り?」
『いいえ、仲間はいっぱいいるわ。ここには花がないから、誰も来ないだけ』
「花がないのに、どうしてここに来るの?」
『昔々、ここには可哀想な魔女が王子を閉じ込めていたのですって、だ……』
蝶は突然緑の炎に包まれて姿を消した。
「え?」
「ミサキ、大丈夫か? 今の炎は何だ?」
慌てた顔のエゼルバルドが蝶が止まっていた手を調べる。
「わかりません」
何故か『可哀想な魔女』と聞いた瞬間に心の奥底で怒りが湧いた。恐ろしいことだけれど、蝶を焼いたのはきっと私の持つ魔女の力だ。
「今の蝶は風の精霊だ。何を話していたんだ?」
「蜜が沢山ある花が欲しいと言っていました」
私は咄嗟に嘘を吐く。可哀想な魔女という言葉は口にしたくなかった。私ではない誰かが心の奥底で怒っている。
「そうか。ここに花の種をまこう」
私の体に異常が無かったことを確認して、安堵の息を吐いたエゼルバルドが私の肩を抱く。
「……無事で良かった」
優しい笑顔が近づいてきて、温かいキスが始まってしまった。
■
夕食に私が頼んでいた蒸し野菜の皿が出た。この世界では生野菜を食べることはないらしく、サラダは無理だとジェイクに言われたので軽くゆでた野菜をリクエストした。
味付けの無い温野菜で塩辛い肉を巻くとかなり味が緩和される。これなら普通に食べることができる。特に話題もないので食べ続けていると、エゼルバルドはまた不機嫌な顔に戻った。
夜に不機嫌なエゼルバルドと二人きりになると、何を話していいのかわからなかった。私の行動が原因なのだと思っても、何が原因なのかよくわからない。
「どうして私を怖がる?」
ベッドでいつものように抱き込まれた瞬間、私の体が強張ったのをエゼルバルドは感じたらしい。
「……怒っていらっしゃるのは、私が食事中に何か失礼なことをしたからでしょうか?」
何か口を開かなければと恐る恐る聞いてみるとエゼルバルドが息を飲んだ。
「すまない。ミサキに怒っている訳ではない……自分自身に苛立ちを感じていた」
暗い魔法灯の光の中、エゼルバルドは困惑の表情を浮かべていた。
「苛立ち?」
「……私にはミサキを巻き込んだ責任がある。しかし何も返せないという自分に苛立っている。
「私の前では感情は隠さなくてもいいです。その方が私も気楽になれます」
不機嫌に見えていたのは、感情を必死で隠そうとしていた表情でもあるのかもしれない。そう考えると少し安心した。
「気を遣わせてしまって、すまない。……何か希望があるならジェイクではなく私に言って欲しい」
「はい」
私が答えるとエゼルバルドの表情が和らいだ。
そっと抱きしめられて、ゆっくりとしたキスが始まった。
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