第4話 自分を見つめる

 物事に熱中するのは得意ではないけれど、昔からまじめだけが取り柄な僕はせっせとジムに通っていた。せっかく払っている月謝がもったいないという貧乏性もそれを手伝っていた。ジムでは最初にトレーナーさんが教えてくれたメニューをこなしながら、たまに中川に相談して背中、脚、胸を中心に毎日部位を変えながら日々トレーニングにいそしんでいた。

 どこかの筋肉を意識しながらトレーニングをするというのは、生きていく中でどの筋肉を使って体を動かしているのかなんて考えたこともなかった僕には新鮮なことだった。とはいえ重量がいきなり伸びたりはしないし、数か月通ってみたところでがりがりに毛の生えた程度だった。

 ユーチューブやSNSで筋トレの効率的な方法や食事のとり方なんかを詳しく解説してくれるコンテンツは飽和しているといっても過言ではないくらいにそこらにたくさんあり、僕はその中から評価の高そうなものを採用して実践していた。それでもなかなか効果は目に見えては現れない。

 「なかなか成果って出ないもんだなあ。」

 たまたまジムで会った中川に愚痴をこぼすと、そりゃあね、と中川は笑った。

 「簡単に大きな成果が出るもんなら俺だってこんなに苦労してないし時間もかけてないな。でも俺から見ると大分変わったように見えるけどな。毎日鏡で自分の姿をチェックしたりしてるか?」

 「うん、風呂に入る前にチェックしてるよ。」

 今までも分かってはいたものの、中川のこの腕やこの脚、肩は並大抵の努力じゃ身につかないくらいすごいものだったのだということを再確認する毎日だった。タオルをぬぐう腕はつやつやと太く、血管が浮きたっている。

それはジムにいる他の人も同じことだ。自分自身の身体が、他でもない自分の努力を反映する鏡なんてなかなか素敵なことのように僕は感じていた。だからこそ頑張りたいというモチベーションはあるのに、なかなか成果がついてこないことで少しずつそのモチベーションは下がろうとしていた。

 「できれば全身鏡がいいぞ。ほら、お前の引っ越し先玄関に全身鏡あっただろう。」

 なるほど、と僕は中川の言葉に頷いた。確かに家では風呂の前にある上半身のみが映る鏡でしか自分の身体を見ていなかった。

 「少しずつの変化を自分が見てやらないとな。」

 中川は大真面目な顔で言い、僕も大真面目にその言葉を受け止める。

その日から僕は風呂に入る前にわざわざ玄関までせっせと行き、そこにある細長い全身鏡で、パンツ一丁になって自分の身体を食い入るように見つめるという、はたから見たらおかしな行動が習慣化されるようになった。

最初はなんだか照れ臭かったけれど、だんだん体の小さな変化に気が付くようになっていった。胸が厚くなっていったり、ひょろひょろでなんだかむしろ皮がたぷたぷしていたような二の腕や太ももに張りが出てきたり、それらはもちろんほんの少しずつの変化で気を付けなければ見逃してしまうような変化だったが、1カ月もすれば僕は大真面目な顔で毎日鏡の前に立ち、その日の変化を見つけることができるようになっていた。

日々の成果が小さくても目に見えるようになるというのは精神的な大きな支えとなった。つまり、僕は僕の変化に気づけていなかったということだった。

 よく筋トレは自信をつけるのにいいとかいうけれど、自分の頑張った分でしか付かないうえに目に見える形でそれが表れてくるというのは、単純によく頑張った自分をほめてやりたくなるものだと思う。だからきっと、自信がつくのではないか、僕はそう思いながら今日も鏡を見つめていた。

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