第2話 引越し、そして決意
隣町への引っ越しは割とすんなりと終わった。前日に夜中までかかって何とか段ボールに荷物を詰め込んだ僕は寝不足で頭が少し痛かったけれど、サークル仲間三人の手によって次々と引っ越し先の新しい部屋が出来上がっていった。
「テレビ台はここでいいんだよなー?」
テレビ台を抱えた中川が大きな声で聞いてくる。大型の荷物はもうすっかり運び込んでしまい、残りは細々とした荷物のみになっていた。
僕たちは同じ大学のバスケサークルで出会った同期で、2カ月ほど前に卒業してからはそれぞれ就職したり大学院へ進学していたりしているが、遠くに就職・進学したメンバー以外とはよく集まっていた。今日手伝いに来てくれたのも、同じ県内に就職した二人に大学院へそのまま進学した一人の合計三人だ。
「うん、そこでいいよ。ありがとう。」
僕は荷解きをしながら声のした方へ目をやり、位置を確認して返事をした。
ちなみに僕は大学院に進学する道を選んだ。僕の通う工学部では大半の学生がその大学の大学院ないしは他大学の大学院に進学する。他大学を受験する気力を持ち合わせていなかった僕は内部進学を選んだ。とはいえそれなりに院試の勉強はしなくちゃならなかったのだけれど。そして、卒業と院進学を機に、思い切って交通の便の良いアパートを選んで引っ越すことにしたのだ。
「トラックと車で持ってきた分は全部運び込み終わったし、飯でも行くか。」
最後と思われる小さめの段ボールを床に置きながら侑吾が言った。
卒業を機に引っ越しをしようというのは院への進学を決めたころから頭にあり、それに向けて僕は毎日のようにバイトをして貯金に励んでいた。結果として業者に頼むこともなく安く引っ越しを済ませることができた分、今日の夕飯は僕のおごりで焼き肉の食べ放題に行くことになっていた。
「うん、本当に今日はありがとう。」
運び込まれた荷物を見渡す。段ボールに詰めた小さな荷物以外はそれぞれ配置にもつけてくれており、がたいのいい中川と侑吾は力仕事を担当してくれたので、僕と川内は途中から荷ほどきにあたることができたため、割とすぐに生活しやすい部屋が作れそうだった。
「いやあ、焼肉のために頑張ったようなもんだからな、今日は遠慮なく食べさせてもらうよ。」
部屋を後にして新居からほど近くにある焼肉屋に向かいながら中川はご機嫌そうに言った。大学に入学して間もなく筋トレを始めた中川は、バイト代のほぼ全額を器具やプロテイン、そのほかサプリ、食費に費やすというだけあって入学式で初めて会ったころからかなり見た目が変わっている。元々普通体型に老け顔がのっていたのが、ムキムキになったおかげですっかりがっしりとしたさわやかな若者といった風貌だ。
「中川が遠慮なく食べるなんて言うと少し怖いな。」
少し苦笑いを浮かべつつ、僕は中川のこの身体への執着心がどこから来るのか少し気になっていた。以前から気になっていたことではあったが、人生においてここまで熱中できる何かを有する彼を最近は尊敬している節もあった。
サークルでするバスケは楽しいが、バスケを始めた中学のころから、レギュラーに入れるか、だとか、背番号がもらえるかどうかどきどきして自分の名前が呼ばれるのを心待ちにしていたというわけでもなく、バスケを毎日したってプロになるわけじゃないということにも、そもそもそんな技量を持ち合わせてないことにもわりと早々に気づいたくちだった。
浪人までして苦労して入った大学だってそうだ。幼いころからおいしい魚を食べさせてくれる漁師である祖父に憧れていたが残念ながら船酔いがひどくてとても船に乗る人生なんて考えられなかった僕は船を作る側の人間になってみようと今の大学を目指すことにした。
漁師をしていた祖父は僕が中学の時にがんで死んだ。発見が遅れたこともあって割と急な死だった。祖父が死んだ時、高校生だった兄は医者になると宣言してその言葉通り現在医者として働いている。要領はよかったが勉強を一生懸命するタイプではなかった兄が高校三年生から必死で勉強している姿はかっこよかったし、見事医学部に合格したときはもっとかっこよかった。僕も当時は死んだ祖父のためにもいい船をいっぱい作るんだ、と意気込み勉強を頑張っていたが、並の成績のままだった。
何とか希望の大学に1年の浪人を経て入学し、卒業して院へ進学もし、就職先もいくつか候補は考えてはいるものの、入学当初のようなやる気のようなものはどこかへ消え失せてしまっていた。自分が何かを成しえる人間ではないことに気づいたからだ。いや、入学する前からうすうすわかっていたことなのかもしれない。くいっぱぐれのないところに行ければという人並みの願望があるくらいだ。
「うーん、やっぱりタンはうまいなあ。」
僕たちのテーブルはタンが半分以上を占めていた。
「小さい頃はカルビが一番おいしいと思ってたけど、最近はタンだとかハラミだとかが好きになったなあ。」
川内の言葉にみんな頷く。
カルビ、豚トロ、子供の頃大好きだったお肉の王様はいつしか胃もたれするようになってしまっていた。
「まあ、そのかわりこうしてビールのおいしさに気づけたから大人になっていいこともあるよな。中川は今日も飲まないの?」
おいしそうにビールを流し込むのは侑吾だ。
こういう時中川は酒を飲まない。今日も中川の前にはゼロコーラのジョッキが置いてある。酒は筋肉に悪いらしい。前に聞いた話だと、ジムなんかでできたらしい中川の筋トレ友だちたちも積極的にはお酒を飲まない人が多いみたいだ。
「うーん、別にストイックに減量してる時期じゃないし飲んでも構わないんだけど、今日はやめとこうかな。」
中川は絶対に飲まないというわけではなくて、先輩に誘われた時の付き合いや大人数が集まってくるような飲み会では酒を飲む。気を使わない相手だとか、理解のある人と一緒の時は飲まないのだそうだ。
「すごいよなあ、筋トレは社会人になっても続ける予定?」
ひょろひょろの自分の腕と中川のがっしりした腕を見比べながら僕は聞いた。人並みには食べるが、面倒な時は食事を抜いてしまう僕はかなりひょろひょろで、シャツなんかを着るとその体の貧相さが目立ってしまう。
「続けられそうな範囲でな。今までみたいに大会に出たりとかはもうしないかな。」
大学時代に中川の応援に行ったことを思い出す。ステージの上には海パンをはいたマッチョがずらりと並んでいて、みんないろんなポーズをとりながら自信ありげにニッと笑っていたあの映像が今もすぐに思い出すことができる。
てかてかと光る筋肉、彼らの努力の結晶以外の何物でもないそれにひどく心を惹かれたその気持ちが同時にまた僕の心の中にちらついてくる。
「そうだ、お前さ、ジム入会しない?ここ近くさ、俺のバイト先だったところがあるんだ。」
思いついたような中川の提案に僕は少しびっくりした。今まで中川が誰かに筋トレを勧めているようなところをみたことがなかったからだ。自分でやるのは好きだけど、誰かに押し付けるようなことはしたくないと言っていたくらいだ。
「前から興味あるって言ってたろ、俺もバイトは就職を機にやめたけどまだ会員として通うつもりだしトライアルからどうかな。」
今までにない圧を感じて僕は思わず頷いていた。
普段がたいに似合わない穏やかな笑顔をずっと浮かべている中川の真剣な表情はなかなか迫力がある。
「お、いいじゃん、ひょろひょろが少しくらいましになるんじゃねえか?」
からかうように侑吾が言う。
「お前はそのビール腹をどうにかしろよ。」
侑吾のぽよんとした腹を僕は指さす。まずはこれをやめなくちゃな、とにやりとして侑吾がビールジョッキを目の高さに持ち上げた。
ジョッキの中のビールは金色に揺れていて、それがなんだか今日はいつもより眩しく見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます